※ほしのこえパロ・近未来SF(?)
かみさまがきえたよるむかし、むかしのねがいごと のシリーズ



「どーしても、城北高校を志望するのか?」

担任は明らかに渋い表情をしていた。その手には俺が書いた進路希望調書。『どーしても』と強調された言葉を真似、「どーしても!」と力んで喋り、それから「城北高校に行きてぇんで」と付け足した。そんな俺に、担任は大きな溜息を一つ零した。教室の温度が下がった気がしたのは、きっと、気のせいだろう、もしくは、夕方になってきて寒くなってきたか。

「お前、最初、この紙を見た時は冗談かと思ったぞ。……ってか、冗談だろ?」

そう担任が俺の方に突きつけてきた希望調書の枠には余白がねぇくらい、でかでかと『城北高校』という文字が躍っている。わざわざ大きく書いたのは、何としてでも行ってやる、という宣言のつもりだったのだが、どうやらこの中年教師には通じなかったらしい。軽いノリの言いようにちょっとムカっときつつ、けど、さっきまで希望調書と共に並んでいたテスト結果が印字されている個表の内容を考えれば、まぁそう思われてもしかたねぇか、と、腹立ちを慰める。

(どう考えたって、今のままじゃE判定だもんなぁ)

県内有数の進学校である城北高校は、学年でも上位十数人くらいしか合格できねぇ。俺にとってはまさに雲を掴むような話で。一方の俺は、まぁ、平均的な成績だ。好きな教科である理科はそれなりにできる方だけど、社会や国語が足を完全に引っ張ってる。家族や教師が冗談だと言うのも無理ねぇ。けど、

「冗談なわけないじゃないっすか」

きっぱりと言い切った。真剣なことが伝わるように、まっすぐ、教師を見つめて。----------俺の宣言を笑わずに聞いてくれたヤツがいたから。「ハチなら、きっと城北に行ける」って、そう心からの笑顔で俺を支えてくれるヤツが城北高校に行くから。----------兵助と同じ高校に行きたいから。

「本気なのか?」

俺が頷けば、暫く、俺と紙とを交互に見遣っていた担任は、ちらりと目を俺でも希望調書でもなく机上に置かれたケータイに視線を落とした。電話やメールはもちろん、テレビやパソコン、リモコンetc.etc.……様々な機能が備え付けられているが、一番使うのは、こうやって時計機能だろう。そこに示されていた時刻は15分間という懇談の時間が終っていて、次のヤツの時間に食い込んでいた。教師側も廊下で順番を待ってるであろうクラスメイトが気になってるんだろう、話を終わらせようとする雰囲気が俺たちの間で漂っていた。やがて、また軽く溜息を漏らし「本気なんだな」と念を押してきた。俺も、さっきよりも更にでけぇ溜息を俺に聞かせた。それから、希望調査書を机に滑らせた。投げ出された希望調査だけじゃない。俺の進路-----------いや、俺の未来もだった。

「まぁ、あと1年ちょっとあるからなぁ…記号死に物狂いでがんばるんだな」

***

失礼っした、っと挨拶の声を上げながら、がっ、と勢いで教室の扉を開ける。と、廊下に潜んでいた寒さが一気に俺を取り囲んだ。次に待っていた三郎は「遅ぇ、竹谷」と肩を震わせていて、顔も青白いのは、すっかり冷え込んできたからだろう。口を尖らせた三郎に「悪ぃ悪ぃ」と手刀で侘びを入れる。

「ずいぶんと長かったな。他のクラスのヤツ、とっくに中に入ってるぞ」
「だから、悪ぃ、っって。まぁ、最終だからいいじゃねぇか、ちょっとくらい伸びたって」
「いいわけないだろ」
「仕方ねぇだろ、まー信じてもらえなかったんだから。城北高校に行きたいだなんて」
「そりゃ信じれるわけねぇだろうが、お前の成績で」

嫌味というよりもじゃれ合うような言い回しの三郎に「うっせぇ」と言い返していれば、教室の中から、「おい、次、鉢屋」と待ちわびて呼ぶ声が聞こえてきた。面倒だ、という表情をありありと浮かべた三郎が部屋の奥に向かって返事を寄越した。

「はい、はいはいはい。……じゃぁな」
「おぅ」

教室の中に三郎が吸い込まれていくのを見送り、俺はその場を後にした。燃えるような夕空。冬は夜が長い。もうどうやら日は落ちたらしく、西の山の稜線は茜に焦がされたような色合いをしていた。三郎の言っていた通り、どうやら他のクラスのヤツはすでに懇談を始めているらしく、廊下には誰もいなかった。

(何か落ち着かねぇな……)

赤銅色の爛れた空。足元に伸びる一つ分の影。耳に痛い静寂。あまりの静けさに、胸打つ鼓動がじわりと少しだけ速くなった。いつもなら部活に勤しんでいる時間で。普段だったら校内にはそれなりに人気も活気もあるけど、今日はちょうど個別懇談のためにどの部活も休みで、校舎は静閑とている。毎日、目にしている空間なのに、まるで自分一人だけが別の世界に置き去りにされたみたいだ。俺自身が考えた想像だと言うのに、ぞわり、と膚が粟立って。変なことをこれ以上考える前に帰ろう、と昇降口へと通じる方に脚を向け、

(あ、そうだ。兵助)

俺の一つまえのコマに懇談が入ってる、と聞いて、一緒に帰る約束をしていたことを思い出した。鞄の中に押し込めてあったケータイを取り出す。サブディスプレイに表示された時間は、16時30分を少し過ぎた頃。懇談が予定時間よりオーバーしてしまったために、現地点で30分以上も待たせてることになる。

(やべっ。けど、きっと、まだ待ってるよな)

兵助の性格上、先に帰ってることはないだろうと踏んで、ケータイに向かって「メール」と呼びかける。それまでの省エネモードから復旧したのだろう、ぼわ、っと薄闇を押し破るようにして光が灯った。新たな新着メールを示すアイコンはねぇから、俺はもう一度画面に向かって「新規作成」と話しかけた。すると、画面上に浮かび上がった3Dのキャラクターが「誰に送るの?」と問いかけてきて、俺は「兵助」と迷わず答える。今や命の次に大事なものかもしれねぇ。

(何せ、兵助と繋がってるもんな)

誕生日に買ってもらったばかりの最新機種のそれは海外どころか宇宙にある他の惑星とでもその滞在ステーションの通信網を使えばメールを送受信することは可能だという。けど、あまり実感はねぇ。なにせ、使ったって、せいぜい国内、いや、県外に出ることすらねぇからだ。

(まぁ、県内だろうと宇宙だろうと、兵助と繋がっていれば何でもいいけどな)

宇宙にいる誰かと交信できることよりも、俺にとっては兵助とメールできることの方が余程重要だった。新規作成画面に向かって「悪ぃ、今、終わった。まだ学校にいるか?」と話しかければ、すぐに『悪ぃ、今、終わった。まだ学校にいるか?』と言った口調のままで変換された文字が真っ白だった画面に羅列されて。俺はそのままタッチパネルに浮かび上がった絵文字をいくつか選び、メールを賑やかにさせると、送信という文字を押した。

(どこで待ってるか、聞いとけばよかったな。教室……は、まだ懇談だろうし、だとすると自習室か、それか図書館か?)

おそらく勉強しているだろうと踏んでその二カ所に見当を付けたものの、自習室と図書館は、今いる場所から行こうと思うと正反対の棟にある。うかつに動けず、兵助の返信待ちだな、と思っていれば、すぐにケータイが震えた。携帯の画面上に『新規メール』という文字が浮かび上がるよりも先に、俺の指はそのアイコンに触れていた。メールを開けば、『いる。図書館』と絵文字も何もない文面が再生される。シンプルな文面は、別に怒ってるわけじゃねぇ、ってのは、日頃、メールのやり取りをしているからよく分かってる。

(これでメールが来なかったら、違ってくるかもしれねぇけど)

ちゃんと返事が届いたということはイコール怒ってないってことで、俺はさっきと同じように『今から向かう』と星の絵文字を付けた分を作った。それから、そのまま送信し、俺は再びケータイを鞄に突っ込んだ。誰もいない廊下に奔るのは俺の足音だけ。

(前だったら、心配になったけどなー)

割と俺は絵文字を使う方だった。というか、絵文字や顔文字があると感情が伝わりやすいような気がするから。けど、兵助のメールには滅多に見ない。最初はあまり親しくないから付いてないんだろうか、とか、俺だけに使われてないんじゃないだろうか、色々と想像(というか妄想か)をして、勝手に落ち込んだりもしたけど、どうやらそうじゃなく、単に面倒で絵文字や顔文字を使わないのだということがそのうちに分かってきた。

(顔文字とか使うのも、よっぽどテンションが高い時だもんなぁ)

そもそも、あまりメールを好まない兵助から返事が来るだけですごい、そう知ったのは、この一年くらいのことだ。前にどうしてメールが好きじゃないのか聞いたら、兵助はちょっと困ったように視線を落とした。言葉を産み落とそうとしては何かが違うのか、しきりに軽く首を傾けていて。ようやく、兵助は一言一言を確かめるようにしながら俺に教えてくれた。「だってメールだと、嘘、吐けるだろ」と。

(……そういうものなのか?)

よく分からなかった。今まで、メールで嘘偽りを書いたことはなかったし、兵助にメールで嘘を吐かれたことはなかったと思う。だから、そう兵助に言われたときも実感は湧かなかったし、今でもよく分からねぇ。ただ、兵助に嘘を吐く必要もない今、俺にできることは北校舎の一番端にある図書館を目指すことだけだった。

***

薄暗さに閉ざされたこの場所は、呼吸一つするだけでそれまで潜んでいたものが目を覚ましてしまうような、そんな静けさに包まれていた。さっきの人為的な静寂とは違う、時が延々と降り積もって重なって、そのまま周りの音を全て吸い込んでしまったかのような、そんな感じだ。

(兵助は落ち着いて勉強できるって言うけど、俺は静かすぎてやっぱり落ち着かねぇ)

全てがデータ情報で手軽に手に入れることができるこの時代、図書館だなんて過去の遺跡に来るような人物ってのは余程の変わり者だ。一応、学校だから残されているだけで、本を貸し出したりするっていう本来の役目はほとんど機能してねぇ。だからだろう、人が全然、来ねぇ。兵助は、勉強がはかどる、と割と好んで図書館を利用しているらしいが、俺はそれこそ兵助との待ち合わせでしか入ったことがなかった。

(ってか、どこにいるんだ?)

部屋の端にある長テーブルに、ぽつん、と置かれているのは見慣れた鞄。兵助のだ。ノート類が広がってないところを見ると、勉強じゃなく今日は本を借りるつもりだったのだろうか。とりあえず、その姿を探してみるものの、ぱっと目についた場所にはいなかった。長机が手前半分に並んでいて、見通しがいい部屋の手前側はもちろんその姿を認めることはできなくて。奥の壁際にある林立する本棚辺りにいないだろうか、とその場で軽く背伸びして覗き込んでみるけど、どれも同じように見えて、埒があかねぇ。昔から増築だけを重ねた館内は、迷路みたいに入り組んでいて、足に頼るしかなかった。

「兵助」

さすがに、声を張り上げるわけにもいかず、ひそ、と声のトーンを落としながら館内を探すことにする。すぐに手前の分類番号9番の文学から徐々に番号を下げていけば、自然と図書館の奥へ奥へと向かっていった。最初は、通路まで身を乗り出して探していたが、途中でさっさと顔だけを覗いて次の書架に移るって感じへと変わっていく。日が落ちてできた暗がり何かいるんじゃねぇか、って思わずには居られない闇が四隅に集いだしたからだ。何となく薄気味悪くて、足も早くなる。兵助、どこにいるんだ。

(……あ、いた)

いったいいくつの本棚と本棚の間を通り抜けたのだろうか、は、っと俺の目に止まったのは兵助だった。あまりに空気に馴染んでいるために、危うく、そのまま、素通りしそうになったが、俺の目は捕らえ違いをすることなんてなくて。だから、目の前の本棚と本棚の間にいるのは紛れもなく兵助と分かった。けど、声をかけれなかった。------------その横顔が、泣き出しそうだったから。気の利いたことを声かけれそうにもねぇし、かといって、逃げ出すこともできずにいて。どうすればいいのか分からず、俺はその場に立ち尽くしていた。どれくらい経っただろうか。二、三分かそれとも永遠か、日も完全に没み足の影がそのまま床から広がる夜に溶ける頃、ふ、っと兵助が顔を上げた。

「あぁ、ハチ……悪ぃ」
「何見てるんだ?」
「宇宙から撮った月食だって」

手招きされて、兵助の手にしている本を覗き込む。ぴかり、と一カ所だけ光がカッティングされた宝飾のように美しく光っていた。そこを起点として薄い光の輪ができていた。ダイアモンドリング、だ。日食なんかでは聞いたことがあるけど、兵助が今見ているのは月食の写真で。そんな珍しいもの、初めて見た。写真の傍らにローマ字が刻まれている。どうやら写真の出所らしく、俺はその一文字一文字を読み上げた。

「か、ぐ、や……かぐや?」
「そう。じいちゃんくらいの時の『かぐや』って月周回衛星があって、それが撮影したらしい」
「かぐや、って、すっげぇ昔のあの国語で習った『かぐや姫』から?」
「そうなんじゃないか?」
「すげぇな、いつか俺も見てぇな。宇宙から、そのダイアモンドリングってやつ」



***

夕方からは降り出すでしょう、という予報通り、気が付けば雨が地面を濡らしていた。せっかく今日は月食だというのに、この分だと見えなさそうだ。ケータイで受信箱を開けば、そこには『もうすぐ月食だな』という件名から始まる短いメール。兵助に教えてもらわなければ、わざわざ空を見上げることなんてしねぇだろう。声なき兵助の、声。どう返信すればいいのか分からず、ずるずると返信を先延ばしにしていただけに、さすがに今日、出さないとマズイだろう。

(メールだと嘘を吐ける、か……)

兵助からのメッセージを返すのに、いつものように音声でケータイのメール機能を操作することもできたけど、俺は音声入力ではなく、一文字一文字をちまちまとボタンを打つことを選んだ。口にしてしまったら、声を出してしまったら、今の感情がそのまま迸ってしまうから。「会いたい」って言ってしまいそうだから。

(そう思って音声入力止めたのに、何やってるんだろうな)

文面の最後にあるのは『会いたい』の四文字。避けようとして、わざわざ手打ちを選んだのに、結局、気が付けばそこに行き着いている自分がいて。苦笑しながら、その四文字だけを消そうと、クリアボタンを四回連打した。つもりだったのが、勢い余ってどうやらそれ以上の回数を押してしまったらしい。一瞬浮かんだ消去確認のメッセージに、あっ、と思った時既に遅く、それまでしたためていたメールはあっさりと消えた。

(会いたい、っていうね……この胸の感情もこうやってボタン一つで消えたらいいのに)

真っ白な画面になっても刻みついた想いを消すことはできない。けれど、それを一日がかりで届けたところで、何にも変わらない。あの日、宇宙からダイアモンドリングを見たいと望んだ俺ではなく、兵助が、今、宇宙にいる。確かに、このケータイで連絡が取れる場所にいるし、宇宙船の軌道を低くすれば見ることも出来るという。これから兵助が宇宙船の乗組員試験に合格してしまって宇宙の果てと行くことと比べたら、ずっと近い。けれど、距離よりも、もっとずっと、遠さを感じてしまう日々。

(会いたい、って言ったって、どうせ会えない)

『俺は元気にしてる。月食は、こっちは残念ながら雨で見えなかった。けど、宇宙からの撮った写真はニュースで見た。やっぱりすげぇな。本当にダイアモンドリングが見れるんだな』

つらつらと書き連ねるのは嘘ではなかった。けど、本心でもなかった。---------------地上の俺と、宇宙の兵助を隔て続けている雨雲は、一向にどきそうになかった。





ぱ、っとは消えない想い