※ほしのこえパロ




はぁ、と漏れた溜息は白く具現化し、けれども、イルミネーションの灯りを前にあっという間に空気に溶け消えた。煌びやかな光の前で、それはあまりに儚いものだった。地球温暖化だと騒がれた前世紀の予想は外れなかったけど、それを抑えるだけの科学力の方が発展し、気温の上昇は緩やかな曲線を描いてるらしく、冬になればやっぱり寒いものは寒い。ぐるぐると巻いたマフラーに口元を埋める。ちょっとだけ寒さがマシになった気がした。

(手袋、持ってこればよかったよな)

イルミネーションに夢中になって停止している人ごみを縫うようにして歩を進める。凍える指先は迷わずポケットの中に行き着き、自然と押し込めたケータイに触れた。癖のように取りだしたそれは想像した通り、何のランプも点灯してなくて。つまり、メールは来てねぇ、ってことで。けど、それで気落ちする、ってこともなかった。

(がっかりしなくなったのは、いつからだろうな)

すっかり、慣れてしまった。来ないメールを待つ日々に。彼が--------------兵助がいない日々に。胸に巣食う淋しさは、とっくの昔にぽっかりと穴を開けてしまった。宇宙の果てみたいに昏い昏いそこで、俺はずっと独りぼっちのままだった。

『なお、このクリスマスツリーは、来年の1月7日まで点灯されます』

そのままポケットに仕舞おうと思って、けれど、どうやら画面を触れてしまったらしく、ワンタッチで起動しまった手の中のケータイの上が急に明るく盛り上がった。テレビが付いてしまったらしい。ニュースを告げるキャスターのお姉さんの顔は、ざらざらとした光のモザイクで埋まっていた。急に暗くなったり、逆に目を突くようなくらい眩しくなったり、安定しねぇ。3Dのために一応は、お姉さんは立体視されているものの、もはや砂上の楼閣というべきか足下の画像は乱れ、崩れ落ちている。

(もう10年以上も使ってるしなぁ)

よく死んだじっちゃんらが「便利になったのぉ」と口にしていたが、こういったディバイスは、俺らの祖父くらいの時代に『携帯電話』とか『パソコン』とか『テレビ』と呼ばれていた機械がひとつにまとまったものらしい(って、産業の歴史の授業で習った)。最初は画期的な発明だと、何やかんやと洒落た名前が付けられそうになったらしいが、結局の所『ケータイ』ってのに落ち着いたらしい。今や、何をするにもこのディバイスひとつで事足りる。世界中、いや、宇宙に散らばっている誰かと連絡を取るのも、気になるニュースや情報を調べることや3D映像を見ることも、ワンタッチもしくは声ひとつで操作できる。そんなケータイは、日々、進化を遂げていて、使えるアプリも分刻みで増えていく。長くても一年単位、短い人は一ヶ月で買い換える中で、俺のそれは10年以上と、異常なまでに持ちこたえていた。

『CMに続きましては、天気予報。そして、クリスマスの夜に見れる流星群についての話題です』

だが、どれほど頑張っても、次の春には買い換えなければならない。画面が切り替わり、さっきまでのキャスターの代わりに、ケータイの新機種のCMが流れ出した。だが、変わらなかった部分がある。ディバイスの下部に延々と流れている『データ通信第3世代放送開始。それに伴い、お使いの機器の放送は来年3月には見られなくなります』という文字だ。この案内が表示されるようになって、もう1年以上経っている。その言葉の通り、来年の春にはこの機械は使い物にならなくなるだろう。だから、新機種を買わなければならねぇ、ってのは、よく分かっていた。

(けど、いい加減、見あきたっつうの。これ、どうにかなんねぇかなぁ)

『それでは、明日のお天気です。まずは、この周囲を見てみましょう』

明るいお姉さんの声が消えると同時に、映し出されたこの周囲の天気予報の下で相変わらず流れ続ける文字に溜息を吐く。何を見ていたって必ず視界に入ってくるこの文字郡。一時も休む間がないそれが目障りで仕方なくて、何とかしたいけど解除する方法が分からなかった。というか、多分、解除できねぇんだろう。

(まぁ、一番、簡単な解決策は、買い換えることなんだろうけどよぉ)

最近は今時、骨董品と周囲に笑われるこのケータイを、俺は買い換えることができなかった。

(だって、ここには兵助がいる---------------)

もう10年も前、だ。兵助から最後のメールが来たのが。それがこのケータイにはずっと眠っている。もちろん、新しい機器にメッセージを転送することだってできるし、ちゃんとバックアップを取ることだってできる。もう何度も店員に確認した。けど、どうしても、新しいケータイを買い換えることができねぇ。

(これを換えてしまったら、もう、二度と兵助に会えないような気がして……)

『続いては太陽系のお天気……』

いつの間にか天気予報は地球を飛び出して宇宙へと変わっていた。人も、それから人以外もそれなりに宇宙に行くことのできる時代。宇宙旅行、なんて言葉も珍しいものでもなんでもなくなった。それでも、せいぜい、火星か木星かその辺りが一般的な所だろう。それ以上となると、一般人はなかなか踏み込めない領域だ。何せ距離が果てしなく遠い。冥王星ともなれば、光の速さでメールを送り合うだけでも一年以上も掛ってしまうような距離なのだから。そういった所に行くのは、特殊な任務を請け負った人だけだ。-----------たとえば、兵助のように。



***

兵助と俺は、中学の同級生だった。ずっと、信じていた。同じ高校に行くんだ、って。俺は兵助と違って馬鹿だったから必死こいて勉強しまくった。兵助に頼みこんで、テスト前は勉強を教えてもらった。とにかく兵助に置いていかれたくなくって、一緒にいつまでもいたくって。だから、同じ高校に合格することを目指して、死ぬ気で勉強してた。あの夏の日まで。

「ごめん、俺……」

あの時、兵助は泣いていただろうか。それすら、もう思い出せない。あまりに昔のことだからだろうか、それとも、信じがたくて無理やりに記憶を消去してしまったのだろうか。真相は闇の中だが、ただ、ぽっかりとした空白の中、ただ、俺のシャツを引っ張る兵助の指が震えていたことだけは覚えている。「俺、宇宙に行く」という言葉も。

タルシアンと呼ばれる地球外知的生命体------いわゆる宇宙人の存在が実証されて以来、急にこの地球は騒がしくなった。調査隊が派遣されるようになった。火星のタルシス遺跡の解析に始まり、その範囲は遠くへ、さらに遠くへとなっている。彼らとの邂逅はこの地球にさらなるテクノロジーの発展という産物をもたらしたが、いいことばかりじゃねぇ。調査隊の一部は、タルシアンに襲われ悲惨な最期を遂げている。それでも、人類の繁栄のために、と選抜メンバーが宇宙へと送り出されていた。----------兵助は、その選抜メンバーだったのだ。

「……だから、一緒に、同じ高校に行けない」



***

あの頃の俺はガキで(今でもガキであることは変わりねぇんだろうけど、それよりももっともっとガキで)自分のことしか考えられなかった。引きとめることも、駄々をこねることもできず、ただただ、兵助に裏切られたようなショックだけを抱えているうちに、兵助は行ってしまった。宇宙へと。気が遠くなるほどの時間をかけてメールのやりとりをしているうちに、彼は選ばれし人物だけが行くことができる、太陽系の一番外の星とたどり着き、そうして俺がその想いにようやく気付いた時、すでに、それよりももっと遠いところに兵助は行ってしまっていた。

「会いたい、か」

遠い宇宙から来た、ノイズが混じった一通のメール。一光年以上を掛けて届いた、兵助の言葉。最後のメール。それまでのメールでは一回も書かれていなかったその言葉。最後の一通だけは、溢れるほどにその言葉が書いてあった。会いたい。会いたい。会いたい。その言葉しかしらない子どもみたいに、ただひたすらに。-------------俺だって、会いてぇ。

(けど、会えねぇ)

その同じメール記されていたのは、さらに遠くに行くという趣旨の言葉。メールが届くのさえ、8年7ヶ月もかかるということ。すぐさまに返信したけれど、俺の返事を兵助が読むとっくの前に彼はその星に移動している。なにせ、彼がさらに遠くに行くと寄こしたメールは一年前に兵助が送ったものなのだから。

(なぁ、兵助……今、お前は何を想ってるんだ?)

東の空を、そっと見る。けど、華やかに飾られたイルミネーションのせいで、地上の煌めきが邪魔をして、空は随分と明るく闇は薄まっているような気がする。星を肉眼で見ることはほとんどできない。そんな中、ぽつん、と取り残された青白い光。シリウス。-------夜に肉眼で見える、地球から一番近い星。

(なぁ、そこにいるんだろ?)





かみさまがきえたよる