(今夜も帰ってこない、か)

夜のしじまに、じりり、と燭台の焔が焼けつく。
長屋は健やかな眠りに包みこまれ、更けていく夜は穏やかだった。
ただ一つ、彼が、伊作がこの部屋に帰ってこないという事実を除けば。



武具の手入れを終えると錆がついた指を手拭いでふき取って。
明日も早いんだった、と起床時刻を考えながら就寝の支度を整えて。
伊作の布団もついでに敷いておいてやろうと、押し入れに入っているそれを抱える。



人の匂いが薄れたそれは、彼が数日の間そこで寝ていないことを示していた。
校外での実習が多くなってから、そのこと自体は珍しいことではない。
けれど、この所、彼が部屋に帰ってこない理由は実習ではなかった。

(昼間の授業では、一緒なのだから)



彼はその理由を何一つ言わないけれど、だからこそ、はっきりしている。

もうすぐ、誰かが、死ぬかもしれない、と。

そのことを捩じ伏せるように、俺は布団の中に潜り込んだ。






と、どれくらい経っただろうか、はっきりとしない足取りが布団に押し付けた体から伝わってきた。
その危うさに、今夜一つの魂が駆けたことを、知る。
こんな夜がこなければ、と祈っていた自分の愚かさを嘲笑う。



(俺はどうすればいいんだろうか)

ぎゅ、っと布団の端を掴み、答えなどでないと分かりつつも、幾度となくくり返してきた疑問に身を沈める。

寝たふりをして、知らないふりをすることも、
明るく励ます言葉の言葉をかけることも、
どちらもできないまま時は流れ。
何もできないのだと、気づいたとき心臓に穴が開けられたような孤独感があった。

それなのに、また、こうやって考える。

-------------俺は、どうすればいいのか、と。



ふわふわと浮いた足音は、部屋の前で途絶えた。
さっきとは対照的に、何か泥に足を取られたかのように。
扉の前でいつまでも留まったままの気配は、不気味なほど静かで。



ごくり、とのみこんだものが中耳で痛いほど響く。
それが自分の中だけでしか聞こえないものだというのは嫌というほど分かっていた。
けれど、それが、伊作に聞こえたのでは、と思うほどに大きくて、思わず繕う言葉を探す。



数日前からずっと部屋の滞っていたままの薬草の匂いが、ふ、と外へと流れていくのを感じた。
彼が中に入ってきたのを背中で感じながら、溢れ返る感情は、何一つ言葉にならなくて。
ただ、途切れることのない静寂が、俺たちを繋げていた。



「ありがとう」

伊作の言葉が闇に滲んで、俺の心は孤独に震えた。



(きっと、俺にできることは、布団を敷くことだけなのだろう)

悼む人

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