仙蔵と伊作の低く落とした声が、それでも耳に痛いくらいにはっきりと届く。
胸一杯に息を吸い込むとわずかに黄泉の匂いが入り込み、肺が痺れていくような感覚に陥る。
それを嫌って大きく吐き出すと、“俺は寝ている”と印象付けるための鼾に似せた音へと変わった。



「あ、伊作」
「何?」
「名前を教えてくれないか」

仙蔵と共に伊作の言葉を待つ自分は、自然と拳を握りしめていた。
正気を保とうと、ぐ、っと立てた爪の痛みを意識の中で準える。
じわりじわりと速まっていく鼓動が煩い。



「あぁ。ごめん、言ってなかったね。5年は組の…」

その瞬間、硬直していた体から、どっと力が抜け、自分の重みが布団に押し付けられる。

(そんなに知らないやつ、だ)



足音が双方向に分かれ遠ざかっていくのを肌で感じながら、もう一度俺は喉を窄めて大きく息を吐いた。
それが鼻を抜けていく時に鼾に似た濁った音になると知ったのは、いつのことだったか。
仙蔵が作法委員長になり俺が身につけた技が、このたぬき寝入りだった。



片方の足音が一つ離れた部屋に吸い込まれ、もう片方が気配を絶ったのを確認すると、目を開けた。
瞼の裏を流れる血潮の残像が暗闇の中で溶けていき、ぼんやりと焦点が合っていく。
伊作が纏わせていた生が切れた匂いが、いつの間にか部屋の中を侵食していた。



「5年は組のやつ、か…」

心のうちに留めておくはずだった言葉は、知らずの内に音となり、口から零れていた。
さっき伊作が告げた名前が、おぼろげながら、記憶にある面影と結びつく。
けれど、それ以上の哀しみも痛みも、何の感情も湧き出てこない。

元々面識がさほどある奴ではないけれど、彼の名はもはや何の意味もないただの記号になってしまった。



(これが仲のいい奴や会計委員の下級生だったら、たぬき寝入りを続けられただろうか)

即座に“応”と答えることのできない自分に、思わず漏れた苦笑が闇を揺らした。
伊作が仙蔵を呼びに来る夜が来るたびに“その瞬間”のことを考える。
“その瞬間”はいつか来るかもしれない。来ないかもしれない。

-------------だから、今は覚悟など、いらないのだ。



自分に言い聞かすように、ぐっ、と目を閉ざした。



(やはり、自分は保健や作法の委員長でなくて正解だった)

悼む人

→ back → next