藍鼠色をしたひだ状の雲が空を覆っていた。風向きが変わったのだろうか、窓に叩きつけられていた雨粒の数が減る。集まった水滴は、電車のスピードに乗せられ、ガラスを斜めに斜めに横断していく。時々、流れていく遮断機の赤いランプがやけに目立つのも、空が暗いせいだろう。まるで、まだ夜の底から目覚めてないような、静かで重々しい朝だった。傘から滴り落ちた雨が、床に不可思議な文様を描いている。様々な臭いが生々しく籠る車内には、普段以上に眠そうな顔が並んでいる。

(竹谷も、いつも眠そうだなよな)

ふ、と頭の中を彼の顔が過ぎった。同じ電車に乗り合わせて以来、なんとなく、気になって彼のクラスの前をわざと通ったり、合同授業の時はついつい見てしまっている自分がいた。電車の中はともかく、教室では寝ていたり、欠伸をしたりする姿を見かけることが増えたように思える。とはいえ、今まであまり竹谷のことを気にかけていたわけじゃないから、前からなのかもしれないけど。

(まぁ、毎日、この時間から部活があるんだと、体力的にも大変なんだろうな)

足もとから響く揺れに傘が倒れそうになり、慌てて柄を掴み、ぎゅっと握りしめた。

(きっと、これと、同じだよな。目の前で倒れそうになったから、だから、助けてくれたんだ)

まだ、胸に残る熱。昨日の、抱きとめられた感覚が、離れない。竹谷は、あの後もいつもと変わらなかったと思うけど。俺はすっかり頭の中が白くなってしまい、何を話したのか、全然覚えていなかった。

(そう、だから、気にすることなんて、ない)

***

車内放送がもうすぐ竹谷が乗ってくる駅に着くことを知らせ、電車のスピードが落ちていく。窓ガラスを斜めに走っていた雨粒の集まりも、少しずつ力を失っていって。駅のホームが見えてきた頃には、重力に従って下の方向に垂れていた。さっき、気にするな、と言い聞かせて納得したはずの心が騒ぎだす。もし、変に思われてたら、と。

(どんな顔して、竹谷と会えば、いいんだろう)

心臓が緊張のあまり壊れそうだ。自分から話しかけようと決めた昨日よりも。この電車に乗ってくるかどうか分からなかった一昨日よりも。ずっとずっと拍動が速い。気にするな、と思えば思うほど、胸を突き破りそうなほど鼓動が暴れる。ちらり、と顔を上げれば、薄暗い車内の窓ガラスにくっきりと映っている自分の顔は赤くなっていた。

(っ、)

別の車両に逃げ出したい衝動に駆られる。そんな俺をその場に押しとどめたのは自分の心ではなく、ターミナルの駅で降りていく他の乗客だった。下車するために集まってきた彼らに、慌ててイス側の手摺を掴んで身を寄せる。隙間に追い込まれてしまえば、身動きが取れなくなってしまった。

(大丈夫、いつもの通りにあいさつして、それから……)

扉が開くのを待つスーツや学生服の背中は、朝だというのに酷く疲れて、憂鬱そうに見えた。その外に視線を転じてみても、雨を避けるように、いつもよりも内側にたくさんの人が固まっていて、そこに彼がいるのかは分からなかった。ぷしゅぅ、という音とともに扉が開き、人々のせいで籠った熱が清涼な空気に抜けていく。何て話しかけようか、頭の中で考えながらも、目の前を通っていく人々を見つめる。大きなスポーツバッグ、雨で悲惨な状態のスーツ、テニスラケット。空気と同じように、人々も入れ替わっていく。

------------------------------けれど、そこに、竹谷はいなかった。

出発の、笛。一瞬、息を飲んだかのように雨は降り止み、そして、思い出したように、また、降り出した。そのまま、扉が閉じられ、ガラス窓の向こうは一枚絵のように切り取られて。そして、俺から、遠ざかった。目まぐるしく変わっていく、景色。どれだけ経っても、俺の隣に人が立つことはなくて。気がつけば、高校の最寄り駅のホームに降り立っていた。

(昨日のことで、竹谷に、嫌われたのかな)

雨とは違うしずくが、ぽたり、と俺の頬を濡らした。

→Friday
泣きだしたいThursday