※「Knockin’on Heaven’s Door」パロ。病の末期の二人の話が強盗やのなんやのするロードムービーなので、そういう描写を含みます。 「シャワー浴びたい。服、代えたい」 車を走らせていた三郎が唐突に声をあげた。確かに、と思う。季節がら、それほど汗をかいているわけじゃないけれど、さすがに数日間の旅の汚れに、身体は埃っぽくなっていた。夏だったら、それこそ適当に川の水を浴びるのもありかもしれないけれど、この時期に、しかもこの体でそれは自殺行為だろう。 「服は買うとしても、シャワーは……どっか、モーテルみたいな所に入る?」 「う”ー嫌だ」 「何で?」 「モーテルは虫が出る。虫が出る所は嫌だ」 ちゃんとしたホテルがいい、と子どもみたいに駄々をこねる三郎に「でも、残金、わずかだし」と諌める。ガソリンスタンドから奪った金を切り詰めつつ使っていたけれど、大の男が二人なのだ。食費だけでも馬鹿にならない。三郎はというと、口を尖らせて「金なぁ」と呟き、そして、僕の前にあるサイドボードを見据えた。 「もう強盗は嫌だからな」 サイドボードの、その中にある拳銃でどうにかしようとしているのだろう。三郎の考えていることが手に取るように分かって、ぴしゃりと、言い放つ。それは的中したようで、三郎は水を差されたかのように、不機嫌な面持ちに変わった。車中にこの道中で初めて不穏な空気が流れる。彼に「海を見たことがあるか?」と訊ねた時は、唐突に現れた静謐に気まずさを覚えて口ごもってしまったけれど、今回のはちょっと違った。 「一回するも、二回するも一緒だろ」 「一緒じゃないって」 「もう死んでくんだし、別に誰にも迷惑を掛けるわけじゃないし」 投げやりな口調の三郎に「俺はいいよ。身寄りもないし。けど、三郎には母さんがいるだろ。俺は、絶対、強盗はしないからな」と言い募れば、彼はしばらく黙りこくった後「分かったよ」と重そうに声を絞った。それから、降参、と言いたげに、ハンドルから手を放し、肩をすくめる。 「ちょ、三郎、危ない」 フロントガラスの向こうの景色が湾曲して、慌てて横からハンドルを支える。三郎は楽しそうに「対向車なんてこないって」とからりと笑い飛ばした。どこまでも続く道は、対向車どころか人工物は影一つもない。さわさわさと揺れる草原が地平線を縁どり、頭上には青空が広がっている。変わり映えのしない光景に溜息を吐きつつ「そうだけどさ」と答えれば、三郎は調子に乗って、更にハンドルをわざと揺らせ、アクセルを踏み抜く。 「三郎っ」 すぐさま抗議したけれど、三郎はちっとも耳を貸さずに、こっちの反応に笑い続けていた。さっきまで立ち込めていた険悪さが霧散したのを感じて、まぁいいか、と諦める。再び、あの歌を口ずさみだした三郎の前、スピードの計測メーターはとっくに振りきれていた。 *** 「まぁ、とりあえず、服を買うか」 「お金は?」 「スマイル0円」 にっこり、と通りすがりの女性ならば見惚れそうな笑みを浮かべたけれど、俺からすれば、あまりに胡散臭さを覚えて。呆れを通り越して「窃盗に強盗、今度は詐欺?」とさげすむと、三郎は「冗談だって」と笑った。それから、「ま、ちゃんと考えがあるからさ。大丈夫、大丈夫」と俺をブティックの中へ押し込む。 「あら、いらっしゃい」 艶やかな唇に笑みを刻んだ店員がすぐさま俺たちを出迎えた。三郎は彼女に「こいつに似合うのを見立ててくれ」と頼むと俺をあてがい、「後で来るから」とするり、と扉を擦り抜けて出て行った。 「え、三郎?」 慌てて追いかけようと、思わず三郎の方へと手を伸ばした俺の腕を絡め取る柔らかな手。優しそうに微笑んでいるその目は、猛禽類を思わせて。彼女の「どのような服をお求めで」という言葉に、俺は三郎の救出を待つしかなかった。 *** 居心地の悪さに、何十分のことにも何時間にも感じた時を過ごしたのち、三郎がひょっこりと店に顔を出した。お待たせ、と。ほっとして「三郎」と名を呼ぶ。 「お、いいじゃないか。似合う」 上から下まですっかりとコーディネートされた俺に視線を走らせた三郎は満足げに頷いた。一方の俺はというと、鏡を何度見遣っても自分じゃないないみたいで、落ち着かない。それでも三郎に褒められれば、凝り固まっていた緊張が解れて自然と笑みが浮かんでしまう。 「そうか?」 「あぁ」 目を細めた三郎は、それから店員の方に向き直り「これ、包んでくれ」と頼んだ。その言葉に、俺はあたふたと三郎の腕を掴み引き寄せ、「三郎、お金は?」と耳元で囁く。試着室でこっそりと覗った値札は俺にとっては衝撃的な桁が記されていて、持ち合わせのお金と天秤に掛ければ、服代に重きが傾いてしまう。ところが、三郎は構わないといった表情で「私も見繕ってもらおうかな」と言いだした。びっくりして、「だから、」と騒ぎたてようとした俺の口を彼は「まぁ、話は車の中でな」と塞いだ。 *** 「聞きたいことがある、って顔だな」 「さっきのお金、どうしたんだ?」 まさか本当に騙したとかじゃないだろうな、とガソリンスタンドでの口の巧みさを思い出しながら、語気を強める。 「詐欺はしないって」 「じゃぁ、どうしたんだよ」 「実はさ、車の中にあったんだよ」 「え、車上狙いをしたのか?」 頭の中が犯罪色で染まっているせいか、それしか思いつかない。三郎は不服そうに頬を軽く膨らませた。それから、視線を車内に走らせる。 「違うって。この車」 「この車?」 僕も改めて病院の院長のそれを見回してみる。足元にはファーストフードの紙袋やペットボトルが転がっていて、すっかりと俺たちの色に染まっているけれど、元は高級車だ。それなりのステータスだから中古屋に売れば金になるかもしれないけれど、今、この車に乗っている以上はその可能性はないわけで。 「そ。あの病院の院長、けっこう、ケチだって聞いてたからさ」 「そうなのか? 入院中にそんな話、聞いたことなかったけど」 「あぁ。外聞はなかなか入らないさ。ましてや、悪口なんて病院内じゃ」 「そうかもしれないけど。それで?」 「ケチっていうか、自分しか信じないって聞いてたからさ。車内を色々漁っていたら、ビンゴ」 嬉しそうに人さし指をぴんと立て、三郎はにんまりと笑った。その指を後方に向ける。 「トランクの中にアタッシュケースがあって、そこにたんまり札束があった」 というわけで今夜はホテルで祝杯だ、とのたまう彼に、色々と言いたいことはあったけれど、結局、目を瞑ることにした。 *** 「死ぬまでにしたいこと?」 「そう」 ごろり、と寝返りを打とうにも、効きすぎるスプリングに柔らかすぎるマットにうまく身動きが取れない。視界に入るシャンデリアは、きらきらと、夢みたいに輝いている。ルームサービスで満たされたお腹に、バスローブ一枚で過ごせる温かな部屋。俺たちは、この辺りでは最高ランクに位置づけられるホテルのベットで寝転がっていた。ここ数日の暮らしぶりとは雲泥の差に、それこそ、天国にいるみたいなぐらい快適だった。 「なんかさ、そういう映画、あっただろ」 「死ぬまでにしたいことをリストに上げるってやつ?」 「そう」 まぁ、俺たちは映画じゃなくて実際に死ぬんだけどさ、とおどけたように提案してきた三郎に乗っかって、僕たちはリスト作りをすることにした。素人の俺でも分かる美しい装飾の施されたキングサイズのベッドに紙とペンを持ち込み、三郎の隣に体を横たわらせて考える。だが、今さら『やりたいこと』と問われると困ってしまう。止まった思考に、ちらり、と横に目をやると、すぐさま彼は紙にペンを走らせていた。冗談のような言い口だったはずなのに、やけに真剣な面持ちで。 「どうした?」 俺の視線に三郎が気付いたのか、流れるように綴っていた指先が停留し、こちらを見遣った。彼との間を横に這うようにして少し詰め、「ずいぶんあるんだな」と顎で紙を示せば、彼は「困ってるのか?」と紙を隠しながら聞いてきた。 「うん、まぁ、」 「何でもいいさ。やりたかったこととか、何かあるだろ?」 「あんまり。ほら、 生きていながら死んだような生活をしてきたからな」 どういうことなのか、と目だけで問うてきた三郎に「病院暮らしが長かったからさ、結構、諦め癖が付いてしまったんだよな」と理由を告げ、俺は視界を伏せた。やりたい、と思った事はたくさんあった。けれど、どれも「危ないから」「何かあったら困るから」と言われて断念することが多くて。そのうち、こっちから回避し敬遠するようになった。海だってそうだ。機会が全くなかったわけじゃない。タイミングが合わなかった、それも事実だ。けれど、いつしか『行くことができない』そう決めつけていた。 「じゃぁ、こうしよう」 落ちていきそうになる沈黙を引き上げたのは、三郎だった。明るく跳ねた語尾に「こうって?」と思わず顔を上げていた。 「相手にやらせたいことに番号を付けてるんだ」 「それで?」 「で、互いに、番号を選ぶ。それを必ずやらせる。死ぬまでに」 だから何がなんでも考えろよ、と三郎は言い切った。 *** どれくらい経ったのか、じ、っと注がれる視線を感じて紙を腕で庇うようにし、顔を三郎の方に向けた。皓い歯を見せて笑う彼の手元を覗きこめば、慌てるようにして三郎は仰向けになり、紙を俺から見えない様に胸に押し当てた。 「さてと、そろそろいいか?」 「え、もう? 俺、まだ3つしか書けてないんだけど」 「三択かよ」 「仕方ないだろ。思いつかなかったんだ」 さんざん頭を悩ませて紙に書き連ねたリストを見て答える。それから「三郎はいくつ書いたんだ?」と訊ねた。すると、彼は伏せてあった紙を少しだけ持ち上げ、俺からは見えなようにしながら、顔の方に寄せた。暫く紙面を上下していた目線が止まり、「丁度20だな」と呟く。 「20も?」 「あぁ。さて、番号、言ってもいいか?」 「いいよ。1から3な」 「じゃぁ、1だ」 彼が告げた番号に相対する答えは頭に入っていたけれど一度だけ紙面の文字を見遣ってから、俺は「母親に会わせる」と伝えた。三郎は一瞬、考え込むように眉間を寄せ、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。怒ったかな、と思ったけれど、すぐに「ちなみに、2と3は何なんだ?」と聞いてきて、その時には諦観の色が浮かんでいた。 「2は煙草を止めさせる。3はスピードの出しすぎをやめさせる」 「うわ、何、その選択肢」 「俺が三郎にさせたいことだろ。だから、3つ」 「その中では一番ましか。じゃぁ、今度は、勘右衛門の番な」 溜息を吐きながら三郎は俺をつついた。さっきの言葉から「20までだろ」と確認すると、三郎はリストを一瞥し「あぁ」と相槌を打った。 「じゃぁ1」 「1?」 「あ、やっぱり止めた。20で」 「20な」 そう言って三郎はしばらく黙り込んだ。穴が開きそうなほど紙をまじまじと凝視している。どうしたんだろうか、と「三郎?」と問いかけると、は、っと三郎は吸寄せられるようにしていた視線を俺の方に向けて、それから、小さく笑った。 「海」 細い声は笑っているようにも、泣いているようにも聞こえた。 「え?」 「海を見せる」 静かに微笑んでいる三郎に、俺は身を寄せた。ベッドが内緒話をしているみたいに小さく軋む。触れ合う膚がくすぐったい。意味もなく、二人、笑う。じんわりと感じる体温は、彼が生きている証だった。温かい。泣きそうなほど、倖せだった。 「俺、やりたいこと、あった」 「何?」 「三郎と、海を見ること」 口づけを零せば、どちらともなく熱に絡みとられる。青の匂いがする夜だった。天国にいるみたいだった。 天国に青は在るか →
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