最後のチャイムに掛かる教師の「はい、後ろから回収して」の声。それまで空白が覆い包んでいた教室に、どどっと解放感がなだれ込む。 解答用紙を集めてきてくれた雷蔵に「ん」と未完成のそれを手渡しながら辺りを見回せば、あっちこっちで「どうだった?」「最悪」なんてやりとりが聞こえる。監督に来ていた教師が「まだ終わってねぇぞ」と注意をするものの、ここまで弛んだ空気をどうにかすることなど難しく。静けさを取り戻すことができないまま「きりーつ、れー」なんて、間延びした日直の挨拶で放課後に突入してしまった。 けど、まぁ、仕方ねぇだろう。何たって、期末テストが終わったのだから。 (あとは、テスト返しとちょっとした授業とスポレクだろ。で、夏休みだし!) それが終われば夏休み。まるで魔法の言葉見てぇだ。テストの最中は、うるせぇ、としか思えなかった蝉の声も今じゃ、The 夏って感じがして全然平気に思えるんだから、人間、ものは考えようだ。 (ま、夏休みを楽しむ前に、今日って日を楽しまねぇとな) 終わった段階で赤が確定している教科が二つ。追試で点を取らねぇと夏休み中に補修だぞ、と脅されてるのだ。他のやつらにとってはテスト終了からの夏休みだが、俺にとっては追試までの束の間の休息時間ってやつなわけで。 (勘ちゃんでも誘って、カラオケ行くかー) ずっと行ってなかったし、と俺は立ち上がった。定期と財布、携帯。あとはシャーペンが一本。それしか入ってねぇ鞄を床から拾い上げようとした瞬間、 「ちょっと待ってー!」 と、大声が上がった。学級代表の女生徒が「スポレクの練習日程の紙、黒板に貼ってあるから見てってねー」と教壇の前で叫んでいた。帰っていこうとしていたクラスメイトが戻ってくる。もう一人いるはずの代表委員である鉢屋はいなかった。三年連続代表という彼女はしっかりしているから、別に鉢屋がいなくてもその点は滞りなく進んでいくのだろうけど。 (テストまでさぼって大丈夫なのかよ?) そういえば朝から見てないよなぁ、と左斜め後ろを振り向く。ぽっかりと空いた机。これだけ見てれば、テストが終わってさっさと帰ったやつとでも言えるが、今日は来ていないと断言できる。存在感が妙にあるやつなだけに、いれば背中越しでも分かるのだ。ただ、その中身といえば、謎めいていた。 (結局、もうすぐ一学期も終わるけど、何かどんなやつか分からなかったもんなぁ) 成績優秀の問題児、だなんて、今時、漫画の設定でもあるまいし、と、チートすぎる彼を思い浮かべる。今年、初めて同じクラスになった鉢屋三郎というのは、様々な噂があった。それにしても何教科追試を受けるつもりなんだろうな、と勝手に心配していると、 「最後のスポレク大会なんで、めざせ総合優勝で!」 そんな言葉に拍手が沸き上がった。黒板の前にできた人だかりを遠目に、俺はひとりその言葉を反芻していた。 (最後、か……) この学年に上がってから、何度となく聞いた言葉。高校生活最後のクラス替えから始まり、最後の遠足、最後の体育祭、最後の大会--------これまでと行事自体は何も変わってねぇってのに『最後の』とつけるだけで、どうしてこんなにも淋しさを掻き立てるのだろうな。 「ハチ」 ぼんやりと辺りの風景を眺めていると、俺の名が弾けた。 「勘ちゃん」 教室に人がたくさん残っているあらだろう、「もしかして、まだ終わってなかった?」ときょろきょろしながら俺の机に向かってくる勘ちゃんに「や、終わった。スポレクの話をしてただけ」と伝えれば、あぁ、と納得したのか視線を前の人だかりに移し「二組はノリがいいよなぁ」と少しだけ羨ましそうに呟く。そういえば、勘ちゃんも代表委員だったな、と思い出す。 「勘ちゃんのクラスは練習いいのかよ?」 「あー、どうだろ? 一応、声は掛けてみたけど、みんな受験勉強でそんなことしている余裕はねぇ、って感じだからね……ま、そんなことよりさ、このあと何か予定ある?」 「カラオケでもしてぇな、って思ってたけど?」 何か他にあるんだろうか、と首を傾げれば勘ちゃんが、満面の笑みを浮かべた。 「俺さ、いいもの手に入れたんだけど」 「いいもの?」 勘ちゃんの目が太陽の光を反射させて、きらきらと、輝いた。-------------夏が始まろうとしていた。 *** 「じゃーん」 ぴかりと磨かれた黒の寸胴がどっしりと俺を迎えた。勘ちゃんの言う『いいもの』とは、ドラムセットだった。 「ってこれ! すげぇ、本物?」 「本物以外にあるかよ!」 「すげぇ、触ってもいい?」 おぅ、と笑顔の勘ちゃんに、俺はトラムに手を伸ばした。ひんやりと冷たい。まだ何も聞こえてこないそれは、空洞を埋めるものを待ちかまえているかのようだった。 「こんなの、どうしたんだよ」 「大学にいってる従兄弟がさ、新しいドラムセット買うから、って俺にくれたんだよ」 「へー、いいなぁ」 いいだろ、と笑う勘ちゃんは傍にあったスティックを手に取った。それからドラムを前に座る。いつもゲーセンのギタドラやってるときと同じようにスティックの先端でリズムを刻んだ。 1・2・3・4 「っ!」 振動が俺を貫通した。-------------ゲーセンの時と同じ動きなのに、なのに、世界が反転してしまったみたいな、そんな衝撃に声が出せなかった。スネアが小気味よく空気を刻み取り、バスドラが地面からはい上る。すげぇ、ってさっきまで騒いでいた自分が妙にちっぽけに思えるくらい、それくらいだった。最後にシンバルが叫んだ。 「ね、ハチ」 余韻の最中、ぽかん、と口を開けていた俺に勘ちゃんが笑いながら言った。 「バンド、やろうよ」 光が弾けた。バンド。魅惑的なその言葉は俺の心臓を激しく揺さぶった。「バンド」そう唇から押し出してしまえば、それは、夢物語でも何でもなく現実のものに変わる。 「そう文化祭でさ、ステージ発表の時に。俺がドラムで、ハチがボーカル。どう?」 「どうもこうも、やりてぇ! いや、やる! 絶対ぇやる!」 ば、っと勢いよく食らいついてしまった俺に勘ちゃんがわざとらしく耳を塞いで「そんなでかい声出さなくても聞こるって」と苦笑いを浮かべた。 「あ、ごめん」 「いーけどさ。じゃぁ、決定ってことで」 「何やるんだ?」 ぱ、っと浮かぶのは去年の先輩たちの姿だった。すげぇ格好よくて、ずっと憧れてて。けど、歌うのは隙でも楽器はぜんぜんで。バンドだなんて、夢のまた夢だった。けど、それが叶うことなって、俺のテンションは最高潮で。 「文化祭だろ、何曲ぐれぇやる? あ、おそろのTシャツとか作っちゃう?」 どんどんと浮かぶ景色をぽんぽんと口に出していると勘ちゃんに「まー、ちょっと、落ち着いてよ」と笑われた。 「問題は、メンバーを集めないと、ってとこだよ。さすがにボーカルとドラムの2ピースって訳にはいかねぇだろ」 「そっか、そりゃそうだよな……」 さすがにメロディラインがないと、いくら俺でも歌えない。一気にだだ下がる気分。誰か楽器やってねぇかな、と自分の周囲を思い浮かべるが、どうにもこうにも体育会系ばかりで、音楽ができそうなやつはいなかった。 (じゃぁ、できないじゃんなー) はぁ、と馬鹿みたいにでけぇ溜息を吐いてると勘ちゃんに、また、笑われる。そんな笑いを提供してるつもりはねぇんだけど、と軽く睨めば「俺が何の準備もなくこんなこと言うと思うか?」と彼は唇の端を自信ありげに上げた。 「ってことは?」 「とりあえず、ギターとベースは見込みがあるやつがいるんだよね」 軽いウィンク。 「さすが勘ちゃん」 「というわけで、とりあえず、明日、そいつのとこに行こうぜ」 窓の向こうで、ひときわ大きく油蝉が鳴き出した。それに負けねぇように、ドラムを勘ちゃんが叩き出して。俺も乗せられるようにして歌い出す。すげぇ楽しそうな夏になる、そんな予感がした。 BLUE STAR
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