一日中、海の上にいたからだろうか。
それとも、なんだかんだと酒を呑みすぎたせいだろうか。
浅い眠りから覚めると、まだ、芯が揺さぶられているような感覚に頭が重たい。

(水でも飲むか)

お腹の辺りに掛けていた布団を剥がし起き上がると、小屋の入り口の傍らにある土間に下りる。
水差しに手を伸ばすと、想像していたよりも軽く、一応傾けてみたけれど、喉を潤すにはあまりに少なくて。
一度覚えた渇きに我慢ができず、もう少し山側に入ったところに、井戸があったことを思い出して、足を屋外へと向けた。



外に出た途端、耳奥に打ち寄せては引いていく波音は、心なしか昼よりも大きく聞こえる。
誘われるように波打ち際まで歩むと、大きく被さった波に、砂浜の石が引きずられていくのが目に入った。
拳よりもやや小さい石が、あっという間に波に呑み込まれ攫われていく様は壮観で、見とれてしまう。

(そうか、明日あたりは大潮だろうか)

見上げた先の空は、深い闇が色を落としているだけで、物の隈さえはっきりとしない。
ようやく登ってきたのだろう、東の端っこの方に、爪先よりも、まだ細い月。
頼りなさそうに、闇の中に浮かんでいる。



と、不意に青白い光が灯った。

「これか、」

雷蔵が言っていた通り、随分と沖合の辺りで発光するものがあった。
少しでも近くで見れないかと、潮が引いていった砂浜に足を踏み入れる。
じゃりじゃりと、足にまとわりつく砂は冷たく、この熱を帯びた季節には心地よさを覚える。



「龍火か」

その光は、ふつふつと増えていき、まるでクラゲのように波間を漂っているように見える。
一瞬、その炎がすぼまったかと思うと、また、燃え盛るように大きくなった。
よくよく観察してみると、それを繰り返しているような気がする。



(すごいな)

まるで命あるもののように、次々と変化していくその光景に飽きることなく眺めていて。
ふ、と海賊さん達が言っていたことを思い出し、体を反対側に向ける。
小屋から離れた所にある切り立った崖の上に、明かりが一つ。



「こっちが、龍神様を奉り捧げるための火か」

普段見慣れているせいか、崖に灯っている橙色の炎に安堵する。

(こうやって比べると、龍火の炎は随分異質だ)

海に浮かぶ炎、それだけでも十分に畏怖を感じるものだろう。
さらに、焔が青、というのは、畏敬の念すら覚える。
この辺りの人も、だからこそ奉るのだろう。



不思議な事象に対し自分なりの解釈が出て満足した頭は急に眠気をもよおして、小屋に戻ることにした。






















「なぁ、兵助、少し休憩しないか」
「三郎、さっきから、そればっかじゃないか」
「だって、疲れた。つーかーれーたー」

今日の課題の探索でペアを組んだ三郎が、駄々っ子のようにごね出した。
仕方なく、触れただけで火傷しそうな砂浜を避け、木立の入り組んだ岩場に腰をかける。
体に籠る熱に、ふと、自分を見下ろしてみると、衣服のあちらこちらが塩を噴いていて白っぽくなっている。



「暑さで倒れそうだな」

三郎から水の入った竹筒を受け取ると、はめ込んであった蓋を外し、それを持ち上げる。
一気に喉を滑り落ちていく水は、炎天下の中歩いていたせいか、随分と温くなってしまっていた。
けれど、涼やかな甘みが広がり、蓄積された疲労が失われ、体の隅々まで生き返っていくのがわかる。



「午後、どうする? さっき見つけた洞窟の中に行くか?」
「いいね。暑い中外は歩きたくない」
「随分、暗かったよな。明かりと縄、あとは耆著と」
「あ、でも水が足りないかもしれない」

持ち物を確認している三郎に、竹筒の軽さを告げる。
きょろきょろ、と、辺りを見回していた三郎は、少し離れた所に小さな小屋が集まっているのを見つけた。
見た所板張りの家は質素だが頑丈に造られているようで、この辺りの漁民が住んでいる小屋なのだろう。



「ちょうどいい。あの井戸から拝借してこよう」

そう言うと、すっかりと元気を取り戻した三郎は立ち上がった。











「すみません」
「はい? 何でしょう?」

小屋の入口辺りに、恰幅のいい、おばちゃんがいた。
潮で赤く焼けた肌から、ここに長く住んでいる人だろう、と検討をつけて声を掛ける。
急に声をかけたにもかかわらず、笑顔で出迎えてくれたことに、ほっと胸をなでおろす。



「ちょっと、そこの井戸から水を分けてもらえないでしょうか」
「あー、ごめんなさいね。あの井戸は使えないのよ」

三郎の言葉に、おばちゃんは申し訳なさそうに眉をひそめた。



「え?」
「元々、自然にできた穴を掘り下げて井戸を作ったんだけど、
 どうもね、井戸の中に海水がしみ込んでしまって。真水じゃないと、困るんでしょ?」
「そうですね。飲み水が欲しいので」
「あ、なら、うちの水甕から持っていきなさい」
「いいんですか? すみません」
「ありがとうございます」

おばちゃんに先導され、裏手に回ると、俺の背の半分はあろうかという大きな水甕があった。
虫などが入らないように被されていた木の蓋を外し、柄杓を持つ。
たぷん、と波立つ水からは塩の匂いはない。



「海水が入ったとなると、不便ですね」
「そうなのよー。たぶん、どこか、海に近い所の地下が崩れたから入ってきたんだろうけど、
 この辺りの井戸は全部駄目になっちゃってね。
 だから、もう少し海辺から離れたところの井戸からくんでくるか、雨水を貯めて使うしかないのよ」
「すみません、そんな貴重な水を」
「いいのよ。だって、あんた達、忍術学園の生徒でしょう。そこの水軍の所に、毎年、勉強しに来てる」
「そうです」
「いつぞや、小屋が壊れかけた時に直してもらったこともあるの。
 そこの水軍達にも世話になってるしね。まぁ、お互いさまってやつよね」

三郎とおばちゃんの世間話を背に、水甕から水をこぼさないように竹筒に入れていく。





「そういえば、最近、龍火が出るんですってね」
「えっ!? あんた達、それ本当?」

世間話の続きのような口調で、三郎がその話を振ると、おばちゃんは飛び上がらんばかりの声を上げた。
おばちゃんは、驚きや怖れといった表情が顔に張り付けたまま、凍りついたように動かない。
三郎もその剣幕に驚いたのだろう、しどろもどろに言葉を続ける。



「え、ええ。私は見てませんが、私の友人が海に浮かぶ蒼白い光を見たものですから」
「あ、昨日、俺も見ましたよ。龍火」

水を入れれるだけ入れた竹筒に蓋をはめながら、俺も三郎の言葉に付け足す。
さぁぁ、と、おばちゃんから、血の気が引いていくのが分かった。
そんな様子に、一つの疑問が浮かび上がる。

(あれ、何で、このおばちゃんは、知らないのだろう?)



「そりゃ、大変! うちの旦那達、今、漁に出てるのよ。急いで知らせなきゃ」

つむじ風のように飛び出していった背中を、呆然と見送る。
「礼言えなかったな……」と、三郎がぽつりと呟き、水甕に再び木の板を伏せた。
そんな三郎を視界の隅に留めながらも、さっき過った疑問が俺の中をぐるぐると廻っている。











「兵助? どうした、そんな怖い顔で」

ふ、と目の前に三郎の顔があった。
黙り込んでいた俺を怪訝に思ったのだろう、心配そうな表情で。
一人で考えてるよりは、三郎なら分かるかも、と、その疑問を三郎にぶつけることにする。



「ん、昨日、龍火を見たって言っただろ」
「あぁ」
「その時、陸の側にも、龍神様を奉り捧げるための火が上がってるのを見たんだ」
「え?」
「普通、火を焚くっていったら、その村落で一つだろ? 
 火を焚いたってことは、龍火が出たことを知ってるはずだろ。
 だから、今日は漁に出ないってことは、伝わってると思うんだ。
 あのおばちゃんの家だけが知らないって、それって、何か変じゃないか」

俺がそう言うと、三郎は「あぁ。ちょっと気になるな」と腕組みをし、思案する表情を見せた。
いったいどういうことなのだろうか、と考えを巡らせば巡らせるほど、泥沼に入り込んでいくようで。
手がかりがない状態で疑問に答えようにも、どれも的外れな気がした。

(あのおばちゃん一家は村八分? いや、でも、漁には参加してるんだよな。
 じゃぁ、龍火を見てないって、俺たちに嘘をついた? でも、何のために俺達に嘘を?)



「兵助、午後の予定変更」
「え」
「その火を焚いていたところに案内してくれないか?」

三郎の、酷く緊迫した目が、俺に向けられていた。










 








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