肆
「何だ、これ?」 「祠、みたいだね」 いびつな裂け目の奥に、ぽっかりと、暗闇が潜んでいる。 その入口に、潮風にさらされて、色褪せ、ボロボロになりかけている注連縄が渡されていた。 その洞穴がある崖に沿って、視線を上にもたげていくと、宿舎の対岸にあったあの松が空に目がけ堂々と立っていた。 (本当に立派な松だな。にしても、随分、遠くまで来たんだなぁ) 「入ってみよう。何か課題の手掛かりがあるかもしれないし」 早口で、ハチが祠を指さした。 ハチが急かしたようにそう言うのには、わけがあった。 今日の授業内容は、先生たちが隠した密書を見つけ出すために探索する、というもので。 僕はハチと、兵助と三郎という組み合わせに、ハチは「あいつらには絶対負けねぇ」と燃えているようだったけど、ちっとも手がかりが見つからないまま、日も半ばになっていた。 「えっ。でも、これ、祠じゃないの? 勝手に入るとまずいんじゃない?」 「大丈夫だろ。せっかく、ここまで来たんだからさ」 「うーん。じゃぁ、ちょっとだけだよ」 喜々として洞穴に入っていくハチの背中を追って、僕も頭を屈めて洞穴に入る。 中は想像したより広く、入口こそ腰を落とさないと入れなかったけど、すぐに立っても大丈夫な高さで。 球状の形をした内部は天頂辺りの岩の隙間から外の光が入り込んできて、灯りがなくても十分だった。 「ふーん。もともとあった洞穴を祠にした感じだな」 を歩き回りながら呟いたハチの言葉に、僕も視線を一巡させる。 ゴツゴツとした岩肌がむき出しになっている壁面は、所々、深くえぐれていた。 見た目よりも脆いらしく、ハチが歩いた岩場が簡単に剥がれ、砕けた岩石が崩れ落ちる。 (風雨でできたのかな。あ、海水って線もあるか) 少し高い所に、干からびた亀の手が固まって張りついているのを見つけ、そんなことを思う。 「何のための祠なんだろう」 「昨日の龍神とかかもな」 「それはありうるね。結構、まめに人が来てるみたいだし」 奥の方に据えられた小さな社の前には、手折られた野の花が捧げられていた。 無造作に置かれたそれは、まだ新しく、色濃い緑が目に鮮やかで。 きちんと手入れされた様子に、そう思う。 「うーん。特に手がかりになりそうなものはないな」 「そうだね。次、行こう」 目新しいものもなく出ようかとした僕を、「あ、待った」とハチが引き留めた。 がっちりと掴まれた服の裾に振り返ると、ハチは祠とは正反対の辺りを凝視していて。 その視線を辿ると、酷く人工的に、真っ直ぐに裂けた岩肌があった。 「雷蔵、どう思う?」 ハチの問いかけに、裂け目のある岩壁の周囲に視線を張り巡らす。 と、岩石のかけらがいくつも重なって放置されているのが目に付いた。 僕はそこに近づくと、積まれていた石を一つ手に取り、つぶさに観察する。 「人の手が加えられた感じだね。しかも最近」 「最近?」 「ほら、これ見て」 表面は少し白っぽく乾燥しているけれど、裏側の重なった部分は濡れていた。 「濡れてるな」 「初日に海賊さん達が言ってたでしょ、 『昨日は大荒れの天気だったけど、皆の日頃の行いがいいからか、今日はいい天気だ』って」 「あぁ。ってことは、三日より前はこの穴はなかったってことか。じゃぁ、先生たちの可能性もあるな」 「うん」 「じゃぁ、中に行ってみよう」 「灯りを準備した方がいいかもね」 「雷蔵、大丈夫か?」 「平気」 この程度じゃ息は上がらないけれど、少し足取りが重くなっているのは、先が全く見えないからだろうか。 腰につけた荒縄がピンと張って終わりを告げたのが、ずいぶんと昔のことのように思える。 仄かな灯りが、先に行くハチの足元を頼りなく照らしている。 …灯りが途切れたら、終わりだな。 曲がり角などの、要所要所には目印をつけているけれど、灯りがなければ戻るのは難しいだろう。 「何か音がしないか?」 「え?」 ハチの怪訝そうな声が岩壁にぶつかり跳ね返り、こだました。 その残響が消えるのを待ち、僕も暗闇へと耳をすます。 けれど、耳を穿つのは静寂ばかりで。 「特に気にならないけど…波音じゃない?」 「ならいいけどさ」 「少し休憩しない? こうも暗いと、滅入っちゃうよ」 「そうだな」 手探りで、ごつりごつり、とした岩場から腰かけれそうな所を捜し、座りこむ。 暗さや慣れない洞窟道に、思っていたよりも体は疲弊していたらしい。 まるで足に鎖鎌を巻きつけているような、重たさが圧し掛かる。 「どの辺りを歩いてるんだろうな?」 「海の方に向かって、歩いてるみたいだけどね」 「急に海水がザッパーンって来たりして」 「やめてよ、縁起でもないこと言うの」 残りの燃料を考えたのだろう、ハチが火芯をいじって、焔を弱めた。 途端に、僕たちを包み込む闇の勢いが増す。 目を必死に凝らし、ハチの気配の方に「はい、水」と竹筒を差し出す。 「おぉ、ありがとな」と、彼がしっかりと握った感覚を確かめ、それを放した。 ハチは、ごくり、と喉を豪快に鳴らしながら、水を飲んだ。 それでも、その回数の少なさに、この後のことを考えてるのが伝わってくる。 (生きて帰るのが忍び、だもんな) 「先、悪いな」 「ううん」 ハチから戻ってきた竹筒の重たさに、感覚的に残量を量って、それから口を付ける。 爽やかな甘みが喉を潤していき、体の隅々まで行き渡るのを感じる。 それでも、まだ残る疲れがため息となって口から零れた。 「しっかし、何も手がかりがないな」 「そうだね。なんか、この辺りは、自然にできた感じだし」 「あぁ。入口は掘った感じがあるけどなぁ」 「元から洞穴の出口にするためにつなげたのかな?」 「じゃぁ、どっかに繋がってるってことか?」 「さぁ? それは何ともいえないけど。 この後、どうする? もうちょっと進む? それとも戻る?」 「そうだな。あと少しだけ進んで何もなかったら、戻ろう」 その言葉に、膝を軽く叩いて気合いを入れ直すと、僕は立ち上がった。 「見てみろよ、雷蔵」 「何?」 それから、どれくらい歩いたのだろうか、風に含む潮の匂いが急に増した。 勢いよく吹き抜ける風に、ハチの持つ焔がぐらりと大きく揺らめき、影が躍る。 それでも、目を凝らして見ると、ハチが掲げた灯りの先に整えられた岩棚があった。 風食されて岩肌は、つるり、と磨かれ、人一人がそこで寝そべることができそうな隙間になっている。 「まるで寝台みたいだな」 「うん。自然とできたんだろうけど、すごいね」 不意に、耳を通り抜ける風音が轟いた。 「伏せろ、雷蔵」 どなり声と同時に、頬に鎌風が切りつけ、痛みが疾った。 鮮やかな焔が頭上を越えていくのを視界の端に捕えながら伏せる。 それが何かにのめり込む音と、それに続いた断末魔のような絶叫が耳を劈いた。 焔が消え、ぱたり、と闇が落ちる。 戻 進
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