弐
「まぁ、呑みなさんな」 「兄ちゃん達も、いける口だろ?」 水軍館の隣に設えた仮床でのんびりとしていると、酒瓶を担いだ海賊達がなだれ込んできた。 すでに飲んできたのだろう、男衆らの足元はおぼつかなく、絡み合っていて。 赤ら顔で話しかけられた息は酒臭い。 「あー、けど、先生達が」 建前上、断りを入れたのはい組の生徒だろうか。 その周りを好奇心にあふれた、は組やろ組の生徒達が取り囲む。 先生にバレなきゃいいじゃないか、とさざめく声に呼応するように、男衆がにやり、と笑った。 「なぁに、先生らは船の方でお頭達と飲んでますって」 「陸酔いする連中もな」 弾けるような笑い声に、宴が始まった。 (つーか、マジ強ぇぇ) 「兄ちゃん、強いねぇ。気に入った。何つう名前だい?」 「竹谷、あーっと、みんなからは、ハチって呼ばれてます」 「ハチな。よっしゃ、ハチ、もう一杯飲めや」 「あ、ありがとうございます」 二人を相手に、どぼどぼと注がれる酒に限りはなく、両手を超える頃から何杯目かを数えるのをやめた。 呷るように飲み干すと、「よっ、男前」と、若い方に、また、新たに注がれて。 逃げ道を探そうと、喧噪のるつぼに、親しい顔を探す。 (あいつら!) 隅っこの方に縮こまって談笑している三人の姿が目に入った。 「ハチ、何、よそ見してるんだい? もう一杯いけるだろ」 「兄貴の酒が飲めねぇってことはねぇだろ」 杯を覆う手の上から注がれそうになり、「兵助」と助けを求める。 面倒そうな表情を浮かべた兵助に、隣にいた雷蔵が何か声をかけて。 ようやく立ち上がると、渋々といった感じで俺の方にやってきて、俺達の輪に腰を下ろした。 「おー、兄ちゃんも飲むか?」 「あ、一杯だけ」 並々と杯に入った酒に口をつけると、おもむろに兵助は話を切り出した。 「そういえば、この辺りの漁村では漁火を使いますか?」 (やべっ。そのこと聞くの、すっかり忘れてた) すっかり海賊達のペースに呑まれて、本来の目的を忘れかけていた。 兵助に「悪ぃ」と目配せを送ると、はぁ、と一つ小さな溜息。 すぐに呆れた矢羽根が飛んできた。 (雷蔵が心配してた。ハチが忘れてるんじゃないかって。その通りだったな) (…だったら、俺以外の奴が聞けばいいだろうが) (しょうがないだろ。つぶれる心配がないのは、ハチだけなんだし) 一緒に酒を飲んだときの三人の醜態を思い出し、言葉を噤む。 「漁火? 使うことは使うが、この季節は行わないなぁ」 「それがどうした?」 目の前にいた二人の海賊は、酒を飲む手を止めて互いの顔を見合わせた。 「実は」 雷蔵から聞いた話を言いかけた瞬間、もふ、っと喉まで出かかっていた言葉は空気と共に押し込まれた。 いつの間にか、三郎の手が俺の口だけじゃなく鼻を覆っていて、息苦しい。 抗議の声を荒げようとしたとたん、三郎に目配せされる。 (なんだよ、三郎) (言わない方がいい) (え?) (勘だけど) す、っと三郎の目が細くなって、冥く光った。 刀身のような鋭さを帯びた眼差しに、息をのむ。 三郎の隣に腰を下ろした雷蔵が、こくり、と首を縦にふった。 (三郎の勘は、けっこう侮れないからなぁ) 「や、何でもないです」 けど、同じく三郎の思案に気が付いた兵助慌てて手を振りながらそう答えた時には遅かったようで。 「お前たち、龍火を見たんじゃないか?」 「りゅうとう?」 「あぁ。この辺りの漁師に伝わる話さ」 「昔、この辺りにな、一人の漁師がおってな…」 海賊達は、玩具を見つけたような、にやり、と笑みを互いに交わすと、年配の方がゆっくりと話しだした。 怖さを狙ってなのか、たっぷりとした間に、相手の作戦だと分かっていても、背筋がぞくり、とする。 蝋燭の炎が煤の部分に触れ、じりり、と音を立てた。 「結局、あやかし、というか神様かぁ」 どっと溜まった疲れを吐き出すような俺のため息に、勘が外れた三郎がバツが悪そう苦笑した。 「悪い。ちょっと気になったから」 話をまとめると、海に青白い光が出ることがあるということだった。 それは“龍火”と呼ばれ、龍神様が灯す火であり、怒りであり慈悲である。 龍神様を奉り捧げるために、その火は出た時は漁に出ず、陸側からも火を焚くのだと。 「興味深い話だったな。龍火の出る時は、漁師は船に乗らない、か」 「まぁ、そういうことなら、めでたしめでたしだな」 兵助の言葉に、三郎があっけらかんとした声で返した。 と、背後で雷蔵が「…そうかなぁ」と呟いた。 俺たちが振り返ると、 「僕は、三郎の勘を信じるよ」 と、頑なな視線が、俺たちに向けられていた。 戻 進
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