まだ何かを言おうとする小平太を押しのけ、俺はあの家を飛び出した。分かってた。もう聞きたくもなかった。体を動かしていれば、頭の中が真っ白になるような気がして、がむしゃらに走り続けた。いつもであれば、それで何もかもを忘れることができるのに、 (仙蔵……) 気が付けば、あいつのことを考えてしまっていた。目が動く、あいつがどこかにいないだろうか、と。耳がそばだつ、あいつの声を拾わないだろうか、と。手が求める、あいつの温もりを。ただ走っているだけだというのに、俺の全てが仙蔵を捜していた。図星だった。小平太の言っていたことが。-----------------------俺は、仙蔵の死を、まだ認めていなかった。 (くそ、どこにいるんだよ) どれだけ走ったのか、もう、覚えていない。足がガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうだった。止まってしまったら最後、そう思って走り続けてきたけれど、体は正直で。もはや限界を完全に超えていた。心臓が痛い。壊れてしまいそうなほど早く打ち続けているそれが、いっそのこと、壊れてしまえばいいなんて願うのは不謹慎だろうか。 (……それでも、俺は仙蔵に、逢いたい) そんなことを考えながら走っていると、ぬ、っと影が現れた。もう気が付けば辺りは闇の底に閉じられていて、電気が回復してない今、ちゃんと見ることができるのは数メートル先だけだった。勢い余って危うくぶつかりそうになり、俺は体を大きく捻って間一髪のところで避ける。いったい何だったのだろうか、と顔を上げてみれば、そこにあるのは大きな木だった。 (何だ? あぁ、イルミネーションのやつか) いつの間にか、己の住む街まで戻ってきていたらしい。一晩はかかるだろう、と勝手に考えていたが、思った以上に体は前へ前へと動いていたらしい。まだ電気が復旧されてないために、こうやって暗がりに溶けてしまっては、単なる木でしかなかったが、じっと目を凝らして見れば、幹や枝に電飾が這いずり回っているのが分かる。それは、静かに息を潜めて、俺を見下ろしていた。 (結局、仙蔵とは一度も見れなかったな……) 見に行こうと約束したのは、ヤツがいなくなる年の冬だった。いや、もう春に近かった。 *** 「お前のせいで終わってしまったじゃないか」 「すまない」 他の友人らと喋っていてイルミネーションの話が出たときに「じゃぁ、行くか」みたいなことを言って仙蔵が「あぁ」と言った記憶は何となくあったのだが、人混みに行くのが嫌いな仙蔵なだけに、まさか本気だったとは思ってなかったのだ。突然、「いつなら行けるんだ」と仙蔵に言われたときは、何のことだかさっぱり分からなかった。ここで「何に行くんだ?」と聞いたら絶対ぇ殴られると思いつつ訊ねれば、案の定、頭を叩かれ不機嫌になった。それでも、どうにかこうにか、仙蔵から聞き出して、ようやく予定を合わせてイルミネーションを見にこれば、ちょうど先日終わったばかりだ、と言われてしまって。 「ふん、まぁ、お前にとって私との約束は所詮そんなものだろう」 「だから、悪かったって言ってるだろうが」 街灯だけが、ぽつん、ぽつん、と頼りない光を足下に落としておく中、路面に伸びる影は一向に重ならなかった。背は俺の方が高く歩幅も俺の方が大きいはずなのに、腹立ちに任せて先を歩く仙蔵はさっさと行ってしまい、俺も遠慮があって、手を掴むとか無理に止めることはできずにいた。本当ならちゃんと顔を見て話したいんだが、ひたすらに追いかける声をもっても、なかなか止まってくれずにいた。だが、 「そんな怒るなって。来年、一緒に見に来たらいいことだろうが」 ようやく、ヤツは立ち止まった。ほ、っとしながら俺は仙蔵の下へと駆け寄る。距離が縮まり、俺と仙蔵の影が同化した。闇でしかないその影が、さらに色濃くなったのは気のせいだろうか。ヤツの目差しも、足下に向いていて、俺の方を見ようとはしなかった。すぐ傍にいるはずなのに、やけに仙蔵が遠い。 「来年、な」 「あぁ、来年。約束する」 「……約束なんて、宛にならないだろうが」 この度のイルミネーションのことを言ってるのだろうか、と思い「今回のことは本当に悪かったと思ってる」と告げれば、仙蔵は「そういう意味じゃない」と首を被り振った。何が言いたいのか俺には分からず「じゃぁ、どういう意味なんだよ」と仙蔵に詰め寄った。俯いていた仙蔵が、ふ、と顔を上げた。 「来年、一緒にいるかどうかなんて保証はないだろうが」 「は?」 「人の心なんぞ分からない。お前が私を重たく思う日が、きっと来る。離れたくなる日が」 「っ……馬鹿たれ。あるわけねぇだろうが」 離れる気なんてなかった。何が何でも、仙蔵を離す気にはなれなかった。そんな風に仙蔵に思われていたことがショックだった。あるわけなかった。仙蔵を重荷に感じる事なんて。仙蔵から離れたいなんて一生思うはずもなかった。この想いがどうすれば伝わるのか、分からず、俺は、ただ仙蔵を抱き寄せた。 「来年、一緒に見に来る、絶対だ。約束する」 *** (あの時、もうきっと仙蔵は知ってたのだろう------------先が長くないことを) 気づいてやれなかった。最後の最後まで。仙蔵がひとり、恐怖と闘っていることに。倒れた後も仙蔵は飄々としていて「大丈夫だ。私を誰だと思ってるんだ」なんて言って笑ってて。だから、気づいてやれなかった。最後の最後まで、仙蔵がどれほど死に対して怯えていたのか。俺は仙蔵をひとりにさせてしまったのだ。 「くそっ」 理不尽さだけが俺の中で溜り、思わず手を木に打ち付けていた。どん、と骨にのめり込む痛み。それですら、俺が生きている証拠を突きつけられているようで、苦しい。どうして俺は生きている? どうして仙蔵は死んでしまった? どうして俺は仙蔵に逢えないんだ? 永遠に答えが出ない疑問だけが俺を縛り付ける。 「っ」 頬に冷たいもの。雪なのか、雨なのか、それとも俺の涙なのか、分からなかった。-----------ただ分かっているのは、冷たさを感じることのできる俺は生きている、ということだけだった。 2010.12.25 p.m.9:13
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