ゆらゆらと滲む意識が、不意に落下した。ぱ、っと耳に割ってくる爆音。止まることの知らないメロディは寝る前に掛けたアラームじゃない。着信だ。何か事件や事故が起こったときにいつでも飛んで出れるように、と部屋の電気は点けっ放しで寝てるから、瞼をこじ開ければ飛び込んでくるのは電灯の人工的な光だった。けど、どこか翳を含む薄暗さに、まだ朝じゃないんだろう、ってくらいは寝ぼけた頭でも分かる。一応、上半身は起こしたものの、何気なく目に付いた壁の時計に、さすがに文句を言いたくなった。 (えー、まだ、4時前じゃん) 全然、寝た気がしないと思ったら、気持ちの問題じゃなく、本当に寝れてないのだ。確かこの仮眠室の毛布を被ったのが、2時前だったはずだ。まだ2時間しか経っていない。目の奥を何かに摘まれたかのような重たさに、このまま着信を無視したいくらいだ。けど、仕事用のそれが鳴らされているということは、つまりは、そういうことで。 「もしもし」 とりあえず、受信のボタンを押して、やる気のない声を装う。だが俺の気持ちなんてお構いなしで、電話の相手である大川じぃさん(報道部の統括をしているキャップだ)は「尾浜、今すぐ取材に行くんじゃ」と言ってきた。その響きは、有無を言わさない力強さというよりも、大きなヤマを掴んだときの高揚感というものに近くて。俺もスポーツ新聞とはいえ、事件記者の端くれだ。何が起こったんだろうか、と興味に眠気がどこかへいってしまう。 「何が起こったんです?」 「この周囲一帯が停電をしたんじゃ」 はぁ、と耳を疑った。停電は確かに不便だ。基本的に電気で頼っている生活をしているのだから。だが、それがどうした、っていうのか。特に、今ぐらいの時分で停電したとしても、人々が活動し出す朝の時間帯までには復旧するだろう。それを待てばいいだけの話だ。たいした記事にならない。せいぜい、夕刊の誌面、テレビ欄の裏側のページ。隅の方に申し訳程度に載るくらいだ。その程度の記事で起こされたんじゃたまったもんじゃない。ほかを当たってくれないか、という期待を込めて「えー、俺、さっき寝たばかりですよ。そんな冗談で起こさないでくださいよ」と告げるけど、当然、そんなこと通じるわけもなく。 「ジョークじゃないわい。他社はもう動き出しておるぞ」 「何か事件性でも?」 「それがのぉ、分からんのじゃ。この周囲一帯っていっても、かなりの広範囲でのぉ」 今のところ分かっている範囲じゃが、とじぃさんが挙げた停電の区域は、確かに広範囲に渡っていた。ちょっと興味が湧いたせいか、目が覚めてきた。さっきまで簡易ベッドに戻りかけていた体は、再び、その傾きの角度が垂直に近くなっていく。どうなったって、大川じぃから電話が来た地点で取材しないという選択肢はないのだ、と諦め、俺は毛布から己を引きはがした。耳と頬とで携帯を鋏ながら、寝るときに苦しくないように、と緩めていたズボンのベルトを絞める。 「それじゃぁ、落雷とかどっかの電柱にトラックがぶつかって倒れて電線が切れた、ってレベルじゃないですね。発電所に何かが?」 「それがのぉ、分からないのじゃ」 「分からない? アナウンスは?」 「それがのぉ、ないんじゃ」 こういう地域的な停電の場合、電力会社によって原因や復旧の目処がアナウンスされる。さすがにちょっと驚いて「ない?」と訊ねれば、「輪転機の関係があったでのぉ、自家発電に切り替えたんじゃが、全くアナウンスが出ないものでのぉ。とりあえず、問い合わせてみたんじゃが、連絡が取れないそうじゃ」と大川じぃさんが溜息混じりに答えた。 「連絡が?」 「そうじゃ」 社内は自社発電が機能しているために電気が点いていて明るいのだろう。足下に放り投げてあったダウンジャケットはすぐに見つかった。羽織り、床に転がっていた靴を履けば、支度は完了だ。携帯を当てたまま、空いていた左手で、閉じてあったブラインドをこじ開け、その隙間から外の様子を伺うことにした。かしゃ、と掠れる金属音。その奥に潜むのは、巨大な闇。----------------どこまでも続く、黒に、ぞわり、と背筋が粟立った。 「今から、そっちに庄左ヱ門を寄越すでのぉ、一緒に行ってくれ」 その言葉と同時にノックが響いた。こんな時でも律儀な彼らしく「失礼します、尾浜先輩。起きてますか?」という声が掛かった。俺は庄左ヱ門に「起きてる。今、行く」と意志を返し、耳元のじぃさんに「とりあえず、電力会社に向かえばいいか?」と訊ねる。「そうじゃの、そうしてくれぇい」というゴーサインに携帯を切った。 「お待たせ、庄左ヱ門」 「いえ。僕もさっき大川キャップから連絡もらったばかりですから。とりあえず、車、出しますね。信号とかも駄目になってるっぽいので、裏道を使った方が逆にいいかもしれませんね」 淡々と状況分析している彼に「相変わらず冷静だねぇ」と笑えば「そんな呑気なこと行っている場合じゃないですよ」と窘められた。さすがに四つ下の後輩にそんなこと言われるのはまずい気がして「ところで、電力会社ってどこにあるんだい?」と話をすり替える。すると、彼はずいぶんと山奥のダム湖の名前を挙げた。調整はこの辺りで一番大きい都市でするのだが、電力の供給源はそこなのだという。 「とにかく急ぎましょう。……なんか、嫌な予感がするんです」 「嫌な予感?」 「はい。普通の停電じゃない気がするんです」 *** 「ラジオ付けていいかい?」 「えぇ、どうぞ」 キーを回しエンジンをふかせば、車に内蔵されているスピーカーから音楽が流れ出した。少しでも情報を手に入れようと、庄左ヱ門から許可をもらい、前面にあるスイッチを切り替える。だが、空間を満たすのは激しい砂嵐の音。ノイズが走っているだけで、他は何も聞こえない。選局が合ってないのだろうか、と、ボタンを押す。パネルには目まぐるしく変わっていく数値。どんどんと大きな数になっていく。けれど、それはいつまで経っても定まることはない。ぴっ、と局を決定する音も聞こえないまま、数字は一周してしまった。 「ん? ここって電波の入りって悪いっけ?」 「そんなことはなかったと思いますけど」 地下の駐車場から這い出ても、その状況は変わらなかった。ノイズしか聞こえないラジオ。灯りは車のヘッドライトのみ。塗りつぶされた闇に、このまま、永遠と夜が明けないんじゃないだろうか、なんて思う。ハンドルを握っていた庄左ヱ門が、前を見据えたまま、ぼそ、っと呟く。 「何か、薄気味悪いですね」 「さすがの庄左ヱ門でも怖い物があるんだな」 「ありますよ。心霊特集とか苦手です」 意外な一面にちょっとびっくりしてしまった。いつも冷静沈着な後輩からは想像の付かない言葉に「庄左ヱ門、幽霊とか信じる方なんだ?」と訊ねれば「信じるというか…時々、写真に本来は写らないはずのものが映り込んだときに思うんですよね。この霊は僕に何を伝えたかったんだろう、何が心残りだったんだろうって」と考えを絞り出すように彼は答えた。 (何が心残りだった、か) 2010.12.24 a.m.3:52
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