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ゆきおんな

仙蔵の肌は白い。
それは昔から変わらないことであり、これからも変わらないであろう。
日に当たって焼けない性質なのだ、と淡々と言っていたのを聞いたのはいつの頃だったろうか。

全く覚えてないが、もうそれすら思い出せないくらい昔のことだ、ということだけは分かる。






唇から漏れる息が白くたなびいた。
鼻の頭やら指先やら、空気中にむき出しになっている部分が痛い。
今にも雪がしずり落ちてきそうな空合いは、まるで後悔している自分のようだ。

(今日中に学園に戻れるだろうか)

学園長のお使いも終え、ほっとしたのが原因だろう。
帰り道は自然とゆっくりしたものになってしまい、随分時間を食ってしまった。
普段の学園には見られない世界に、色々と寄り道をしてしまったのも、一因かもしれない。



夕闇が忍び寄って時分になっても、未だに馴染みのない風景であることに内心焦りが募る。

(秋の日は釣瓶落とし、というけれど、この場合は何を落とすんだろうな)

仙蔵に聞かれれば一言「馬鹿か」と言われそうな疑問を胸の内にしまい、とにかく足を動かし続ける。
この凍りつきそうな寒さで商人に扮した格好で野宿するのは自殺をするようなものだ。
と、不意に目の前を、息とは違う、はっきりとした白が通り抜けた。



「げ、」

嘘だろ、と思いつつ、上を見上げ、その事実を実感した。
重みに耐えかねたのだろうか、雪は、まるで雲から剥がれたかのように、落ちてきて。
地上に降り立つと、音一つなく、吸い込まれるように溶け消え、濡れた痕跡だけが残っていく。

(だが、積もりだすのも時間の問題だな)

思わずため息を吐くと、頼りなさそうな白が幾層にも広がって、やがて薄れていった。









「遅い」

苛立つ声音に、はっと、視線を戻すと、先を歩いていた仙蔵が目の前で仁王立ちをしていた。



「何、ぼーっとしてるんだ。凍え死ぬ気か」
「…すまん」

辛辣な言葉を投げつけてきた仙蔵は、ついでだ、と言わんばかりに抱えていた押し付けてきた。
俺がそれを受け取ると礼の一つもなく、その場に屈みこんで草履の紐を結び直し出した。
冷気に白くさらされた柔肌に、擦れた紐の痕の滲む血が、酷く痛々しく見える。



「蓑笠を着た方がいいだろうな」
「あぁ。止みそうもねぇな」

居座っている雲から零れてくる雪の冷たさがどんどんと研ぎ澄まされていくのを感じ、仙蔵に蓑を返す。
自分も肩にしっかりと掛け、悴んで言うことをきかない手に舌打ちをしながら、紐を結んだ。
重みに含まれる温かさを感じながら、再び歩き出す。



「これ以上、大雪になるようなら、どこか廃寺でも探さないとな」
「あぁ。だが、見つかるか?」
「なければ、民家の軒下でも借りるしかないな」
「お前が行くと騒ぎになるぞ。雪女ってな」

ふ、と昔語りの中に出てくる雪女と仙蔵の容貌が重なり、軽口を叩いた。
と冗談を言ったはずなのに、なぜか、郷愁に似た物悲しさが、つん、と胸の奥に広がった。
伝承にある雪女の美しさだけでなく、溶けて消えてしまうという哀れな末路まで思い出したせいだろうか。



「余計なおしゃべりをする暇があったら、さっさと歩け」

俺と同じように雪女と自分とを重ねたのだろう。
憮然とした表情のまま、仙蔵は足を速めた。
慌てて、その背中を追いかける。









じゃくり、じゃくり。
さっきまで干からびていた地面は色が濃くなり、踏みしめる音が湿っていく。
少しずつ重なっていく雪の切片に、うずらの色合いのような斑が失われ、世界が白く覆われていく。



唸るような音とともに、駆け降りてきた風が、顔面にぶつかった。
うねるような突風に、漂っていた雪が凶器となって、目を開けていることができない。
吹きつける氷の礫から顔を守るために、その場に留まり、両腕を顔の前に掲げ、視界を覆う。



(痛ぇ)

ふ、と音が途切れた。
打ち付けてきた風は過ぎ去って。
覆っていた手を外した瞬間、仙蔵が、視界に飛びこんできた。



白い。



それは変わらない。元々、仙蔵は白いのだ。日に焼けない、と言っていたではないか。
ぐるり、ぐるり、と巡り続ける思考からは、ずっと遠いところで告げていた。
叫んでいた。

何かが違う、と。

その白は、まるで漏れ出づる息のようだった。
生まれては、周りの世界を淡く霞ませて。
そして、溶けて消えてしまう。



酷く危うい感じがして、どこかに行ってしまう気がして---------------



「おい」

思わず、先ゆく仙蔵の手首を、まるで骨を砕くかのように力の限り掴んだ。
目に浮かんだ驚きを、瞬く間に不敵な笑みに仙蔵は変えて。
「淋しくなったのか?」とからかってきた。

けれど俺にそんな余裕はなく、ただただ、彼の手を握りしめて、その温もりを、存在を確かめる。



「文次郎?」

怪訝そうに問う仙蔵の瞳を、ひらり、と雪のかけらが過ぎた。



このまま、白い闇に囚われてしまえばいい。
音も色もない、閉ざされた世界に。
二人一緒に。










(溶けて消えてしまわぬように、)