もがりぶえ



獣の咆哮のような風が唸りに交じって、パシッ、パシッと何かが爆ぜるような音がする。
伸びきった楡の枝が、きっと、あちらこちらにその身をぶつけているのだろう。
けれど、誰かが叩かれているような気がしてなんとなく落ち着かない。

(まるで嵐、だな)

と、ぴぃぃ、と甲高い音色が、轟々と鳴る風を掻き切った。
長く短く、高く低く変化していくその音は、けれども、鋭さだけは変わらない。
垣根や木立を吹き抜ける風がなしているとわかっていても、その物悲しい響きに思わず聞き入ってしまう。



寝返りと打つと、部屋の隅でぼんやりとした橙色が闇を照らしてるのが視界に入った。
風に撫でられたせいだろう、時折、火芯がゆらりと頼りなく揺れる。
それに合わせて、ちろり、と影が背後の壁を舐める。



ふ、と、さっきから遠慮がちに響いていた音が、途切れているのに気がついた。
気になって上半身だけ起こしてみるけれど、ついたてが邪魔で伊作の姿は見えなくて。
仕方ない、と心の中で呟き、布団から這い出る。
爪先の芯から感覚が奪われていく程の冷たさに、思わず身震いした。

(こんな寒い中、伊作はまだ起きてるのか? 風邪引くぞ)

枕元に用意しておいた羽織にそでを通しつつ、立ちあがりざまに、ついたての向こうを覗く。
そこには、俺が布団に入る前と同じように坐ったままの伊作がいた。
と、小さく丸まった背中が、突然、大きく沈み込んだ。



「伊作」

近づくと、こくりこくりと頭を重たそうに垂らしていて。
声をかけても、まだ船をこいでいる彼を軽く揺さぶると、反応が返ってきた。
薄く開いた瞼の奥に潜む黒目が二、三回ゆっくりと動くと、徐々に俺に焦点が結ばれるのが分かった。



「ん……あ、留さん」

幼な児のような、とろり、とした口調で伊作が俺の名を呼んだ。
放っておけば、再び、まどろみの中に落ち込んでいきそうで。
肩をもって、さっきより強く揺らす。



「伊作、風邪ひくぞ」
「あーうん、起きた」
「起きてないだろうが。寝るんなら、ちゃんと布団で寝ろ」
「んー。ん? あ、留さん?」
「やっと起きたか」
「…ごめん、起こしちゃった?」

ようやく意識が覚醒したのだろう、目に力が籠ったのが分かった。
顔を上げたために良く見えるようになった彼の周りには、薬草が散らばっていた。
それをかき集めて薬研ぎの中に放り込むと、伊作は取手を回転させながら、もう一度謝った。



「ごめん、もうちょっとで終わるから。音、うるさいと思うけど」
「あと、どれくらいかかるんだ」
「え?」
「それ」
「んと、あと一半刻くらいかな?」

俺を気遣うように弱々しく微笑んだ伊作の頬に、疲れの影が重く圧し掛かっている。
ずっと取手を動かし続けていたのだろう、彼の手の皮は擦れて血が滲んでいた。
そのことを気にも留めず、伊作は薬草を細かくしだした。



「委員が寝ずにする仕事なのか? 普通六年生がやるもんじゃねぇの?」
「さぁ? でも、誰かやらなきゃいけないからね」
「それ、明日までにいるのか?」
「あ、どうしても、ってわけじゃないんだけど。
 一度火に掛けて煎じたから、すり潰しとかなきゃいけないんだ。
 まぁ、それだけだから、そんな大変な仕事じゃないし、すぐに終わるよ」
「貸してみろ」
「え?」

目を瞬かせて伊作が俺を見ている隙に、俺は伊作の手元から薬研ぎの車軸を奪う。
ずしり、と掌に広がっていく重みに、それを下に落とさないようにしっかり取手を握りしめる。
呆気にとられていた伊作が慌てて「いいよ」と取り返しに来たのを避け、すり鉢を両足の裏で固定し車軸を転がし出す。



「すり潰すだけでいいんだろ?」
「うん。でも、本当にいいってば。留さんは寝なよ」

闇夜を鋭く切り裂く虎落笛の音に混じって、薬草と車軸が擦れ合う音が、鈍く響く。



「留さんっ、ホントにいいから」
「お前、寝てないだろ?」
「え」
「最近、風邪が流行ってたから、毎晩医務室で看病してたし」
「あぁ、うん」
「だから、早く寝た方がいい」
「ありがとう。でも、僕は大丈夫だよ」
「お前が倒れたら、みんなが困る」

譲る気がないことを示すために手を止めずに告げると、そのことが伝わったのか、伊作は黙り込んだ。
轟く風に爆ぜる木々、何かがぶつかり合って割れた音、様々な音が混在する。
まるで耳鳴りを起こしたみたいに、痛い。



「留さんも困る?」











(じっと見つめる伊作の目と、伊作の声に重なった虎落笛の物悲しい響きが俺から離れなかった。)