[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
海の色が変わって、この町で育った俺たちは季節の移り変わりを知る。 「あー盆を過ぎても暑いなっ」 体を動かしたせいで拭きだしたのだろう、眩しい笑みのまま白シャツの袖で汗を拭うハチはきっと知らないだろう。もう夏が逝きかけていることを。遠く、ずっと遠くに引かれた水平線は、陽炎にぼやけることなく随分とはっきりと見える。そこから海原の紺碧の色合いは、どこか淋しい印象を与える。もう、次の季節が打ち寄せていた。 「そうだな」 「でも、客足は減ったか」 辺りを見回しながらハチが呟いた。もちろん、時間が時間だ。こんな早朝から観光客がうろついているわけはない。けれど、それでもそう感じずにはいられなかった。なぜなら、町全体を覆っている空気は、一週間前のとは全く違うからだ。あれほどまでに賑やかしさが響いていたのが嘘みたいに閑古さだけが取り残されていた。 「盆を過ぎるとあんまり泳げなくなるからな」 海の家を開ける前に海岸でゴミを拾いに行こうと袋と火ばさみを持ってうろうろしていると、いつしか隣にハチが並んでいた。当然のように彼と歩く。けれど、近いはずなのに、どこか妙に遠い。何かを測り合うような、そんな妙な空気が俺たちの間にあった。 (何か、懐かしい) この距離感に覚えがあった。どこかで、ハチと感じた。どこでだろう、と思案するけれど、なかなか、思い出せない。流れて行く日々がこの砂粒のようなものならば、記憶はその砂粒が固まりって埋まっていく地層のようなものだった。たった、一ヶ月だ。ハチといたのは。それこそ、今までの人生の中の中の、ほんの一粒でしかないはずだ。けれど、かき分けてもかき分けても、掘っても削っても、現れてくるのはハチとの日々ばかりで。 (-----------きっと、一生、忘れることはないだろう) たとえ、このまま「さよなら」をしたとしても、この記憶から消えることはないのだ。ハチを好きになった、そのことは。そして、ハチを好きだ、という想いも。ざりざり。砂の塊がサンダルの奥へと侵入して、ふ、と、気付く。いつしか、入り込んでくる砂の感覚も意識の外になるほど当たり前になっていたのだと。そうして、思い出した。この距離感を覚えた日の事を。----------初めて、彼とこの海岸を歩いた日のことを。 (あの日も、こうやってハチと一緒に歩いたんだっけ) あの日見た海は、朝に起こされたばかりの半透明なブルーだった。甘やかに伸びる青。これから色づいていく夏を象っていた。初対面に近くて、何を話せばいいのか分からなくて、砂を蹴りあげながら、会話の紡ぎ方を考えた。人見知りというか閉鎖的な性格をしている俺は、急にあだ名で呼んでくれ、って言われても戸惑ったっけ。彼の笑顔に負けて「ハチ」と呼んでみたけれど、どこかよそよそしくて。なのに、一気に距離を詰められていた。いつから、なんて分からない。もしかしたら、その出会った瞬間からなのかもしれないけど。 (もし、ハチと出会わなかったら、) バイトに三郎が寝坊して、その三郎と一緒にいくはずだったハチは行き先が分からなくて。だから海の家まで共に行ったのだ。あの日、ハチがもう数分でも海に来るのが遅かったら、あの日、三郎が寝坊しなかったら、いや、そもそもハチがこの町に来なければ、こんな感情、もう一度思い知ることなんてなかっただろう。 (別れが淋しい、だなんて) *** この町は、始まりの町でもなければ終わりの町でもなかった。漂流先。行き着いても、また、いつしか流れて行く。そんな町だった。夏が終われば、みんないなくなる。安い民宿に泊って一週間くらい滞在していく人もいる。けれど、ずっとはいない。どれだけ仲良くなっても、いつか別れが来る。幼い頃はその別れが哀しかった。「またな」って約束をしても、その約束が果たされることはないのだから。 「兵助、元気ないね」 「ううん、そんなことないよ」 幼い頃は、別れの意味が分からなくて、夏が終わる度に感じた。置いてきぼりにされる、その焦燥感を。お盆が終わり、賑やかだった町に静寂が落ちる頃、心に吹きこむ隙間風もまた冷たくなる。だんだんと海の色が色を重ねたみたいに暗んでいくように、俺も沈んでいく。何度かこのやり取りを繰り返し、ようやく気が付いた。寂寥感の正体を。 (別れが淋しいんだ。怖いんだ) この町に滞在した誰もが口にする。「この町、いいな」と。宝物を見つけた時のような眩い笑顔で。中には「ずっとこの町に住みたいくらいだ、うらやましいな」と俺の頭を撫でる人もいた。けれど、じゃぁ、この町にその人たちが棲むかと言えば、ノーだ。誰もが「また来年の夏に」と日焼けした顔で手を振って去っていく。8月が終われば、また、閉ざされた世界の住人は元に戻ってしまう。そうして、翌年は、また新たな漂流者を受け入れるのだ。 (別れにいちいち、心を痛めていたらやっていけない) 出会いと別れを繰り返し、俺が出した結論はこうだった。最初から距離を取って付き合えばいい、と。勘ちゃんや雷蔵や三郎は別として、他の奴ら周りとは表面上は上手く付き合いながら、それなりに生きてきた。いつしか、別れは夏の慣例になっていて、淋しいなんて感じることもなくなっていた。これからも、そうやって生きて行くのだろう、そう思っていた。 (なのに、) *** 片方だけ落ちてたビーチサンダル。花火の燃えかす。夏の残骸。冷たくはない、けれども温くもないであろう波が打ち寄せては、白く砕ける。遠く、海原を見遣れば三角がいくつもいくつも重なっていた。舟を漕ぐ老人のように穏やかな海が、いつもと少しだけ違う顔を見せている。浜に自然とできた丘の頂上にある砂粒が転がされて漂流しだした。さらさらとそれを運ぶ風は、対称的にねっとりとした湿気を含んでいる。もともと秋を溶かしこんだような色合いをした海は、空の翳りにますます濃いものに代わっていた。 「ちょっと風が出てきたな」 さすがにいつもと様子が違うと気が付いたのか、ハチがぽつりと呟いた。 「あぁ。海が荒れそうだ」 「そういや、台風が来てる、ってニュースで言ってたか。台風が来たら明日の花火大会ってやっぱり延期か?」 むぅ、と子どものように唇を尖らているハチに、「……あぁ、次の土曜にな」と告げる。その続きの言葉を呑みこんだ。言えなかった。言いたくなかった。「その頃にはハチはいないな」だなんて。別れが淋しいだなんて、思い出さなければよかった。そしたら、笑って見送れたのに。 (ちゃんと言えたのにな、「さようなら」って) 平然とハチを見ていられるほど俺は強靭くなくて、自然と視線は彼から浜辺へと移った。生まれては消えていく波の稜線を目でなぞる。濡れそぼった小石が抉られた砂と共に海に引きずり込まれていった。ふ、と腕に熱が宿った。ハチの掌だった。顔をハチの方に向ければ、真っすぐな瞳が俺を捉えていた。からからに乾いていく喉で、辛うじて彼の名前を呼ぶ。「ハチ?」と。腕にはあの日、二人で初めて海岸を歩いた時と同じ温もり。-----------たぶん、あの瞬間から、ずっと好きだった。ハチのことが。 「俺、兵助のことが好きだ」 波音が消えた。ずっと焦れていた言葉だった。ずっと言いたかった言葉だった。けれど、言えないかった。なぜなら、ハチもまたこの町からいなくなるからだ。ハチは漂流者なのだから。夏が終われば、いなくなる。別れが淋しいだなんて、思い出さなければよかった。そしたら、即答できたのに。 0827
(俺も「ハチが好きだ」って)
|