「悪かったな、荷造り、手伝ってもらって」 「俺が卒業できたのは庄左ヱ門のお陰だからなっ。……けど、」 「けど?」 「けど、お前も水臭いな。黙って行こうなんて」 穿つような視線に団蔵がずっと見ているのに気づいたけど、僕は片付ける手を休めることなく作業を続ける。 呼吸10回分して、僕からの返答がないのが分かると、団蔵はわざとらしくため息を吐いた。 呆れているようなそれに、新鮮な気持ちになる。 (いつも、こんなため息を吐くのは僕の方だったからなぁ) テスト勉強しようとして、そもそも範囲が分からないだとか。 寝ていたからノートを写させてほしいだとか。 そんな時に、盛大な嘆息を吐いた。 --------------------- それが、日常だった。 いつだって、呆れたため息を僕は吐いていた。 乱太郎と巻き込まれて怪我したり、きり丸のバイトを手伝ったり、 しんべヱのダイエットに協力したり、団蔵や虎若の宿題の面倒を見たり、 金吾のトレーニングや、喜三太の部活や、兵太夫や三治郎の怪しげな実験に付き合ったりもした。 (伊助はともかく、後のメンバーに関しては、呆れるのはいつも僕の方だったんだよな) そう思ったら、急に可笑しくなった。 最初は小さな波紋が、だんだんと大きなうねりとなって、いつの間にか決壊して。 抑えきれなかった笑いに思わず肩を揺らしている僕を見て、団蔵が怪訝そうにしている。 「何、笑ってるんだよ」 「いや。団蔵に呆れられる日が来ると思ってなかったから」 「あのなぁ」 ふてくされたように唇を押し下げながらも、その目は輝いて笑っていて、いつもの団蔵だった。 僕の家に着いた時から、ずっと厳しい表情だっただけに、ほっと、胸を撫で下ろす。 あんな顔で“さよなら”は、なんとなく気まずいから。 「事実だろ」 「そうだけどよっ!」 いつものように笑いながら混ぜ返すと、目が合った。 冗談で振り上げた拳を、団蔵は、そのまま、すとんと下ろした。 何だ? と見遣ると、くしゃりと顔を歪めた団蔵が、ぽつんと言った。 「言えば、皆、集まったのにさ」 掘り返された話題に、団蔵がずっと気にしていることが手に取るように分かった。 「団蔵は大げさなんだよ」 当たり障りのない僕の言葉に、まだ不満そうに団蔵は「けど」と零した。 引き延ばそうとする団蔵に、その話をどうやって切り上げようか、と考えながら手近にあった参考書をまとめる。 同じ大きさのを整えて、固いビニール紐を掛けて力いっぱい縛り上げると、ぎちりと冊子に紐が鈍く食い込んだ。 「まだ入試控えているやつもいるし、せっかくの春休み、遊びたいやつもいるだろ。 むしろ、トラックを手配しただけなのに、団蔵達が手伝いに来たのに、正直驚いたよ」 早々に決めた行き先は皆に告げないまま、自由登校になってからは学校に行かず荷造りを進めた。 ほとんどを捨てて行くつもりだったから引越し業者に頼まずにトラック運搬だけを手配した。 料金が安いから卒業式前にここを離れることを選んだけれど、皆にはそのことを黙っていた。 それは、自分なりの覚悟だった。皆から離れることの。 自分で皆から離れる道を選んだんだから、それを惜しむのは我儘だ。 二度と帰ってこない、それくらいの気持ちじゃないと、歩き出せないような気がした。 (強がってる、ってのは自分が一番、解ってる) このまま皆に会うことはないんだろう、って思ってたから、つなぎ姿の二人がトラックから降りてきた時には、さすがの自分も冷静ではいられなかった。 呆気に取られていた僕に平然と「引越センターの者です」と名乗った二人のつなぎには、“加藤組”という刺繍がなされていた。 きっと、偶然、伝票か何かを見つけて、親に頼みこんで、清八さんに連れてきてもらったのだろう。 「……手伝いじゃなくて、引越センターのアルバイトだからな」 「そうだったな」 そもそも引越しを内緒にしてたのは自分なのだから、分が悪いのはこっちだった。 けれど、俺に見透かされてバツが悪かったのだろう。 丸めこまれたことに気づいてない団蔵は俺から目を逸らして、黙り込んだ。 「団蔵。清八さんが呼んでるぜ」 「あー分かった。今、行く」 顔を出したきり丸に、ほっと、安堵の表情を浮かべた団蔵は、そのまま僕の方を見ることなく部屋を出て行った。 なんとなく滞ているような気がする部屋の空気の入れ替えをしようと、僕も立ち上がる。 窓を開けると湿った空気が低く垂れこめてきた。 (雨、か。出発までもってくれればいいけれど) どんよりと光を遮るように覆う厚い雲からは、今にも降り出しそうだった。 そんな曇天の下は、まるで世界を違えたかのように、色の洪水。 雪柳、三俣、水仙、沈丁花、桃、木蓮、菫、蒲公英、菜の花。 じいちゃんが植えたものや自生の草木が、一気に春を連れてきていた。 もう少しで膨らんだ薄紅の蕾から花が零れ出しそうなのは、桜。 「団蔵、どうしたんだ?」 もう見えないはずの団蔵へと流していた視線を俺の方に向けたきり丸と、ガラス越しに目が合った。 「さぁ」と答え、その会話を打ち切るように窓の桟に手をかけ、一気に閉め切る。 くすんだ土の匂いが閉じ込められた。 きり丸は俺を一瞥して、ふぅ、と小さくため息を吐いてから、部屋の片隅に置いてあった本の山を指さした。 「なぁ、ここにある本はどうするんだ?」 「ん? あー、それは捨てる」 「んな、もったいない」 そう言ったまま本に釘づけになって動かないきり丸に、ビニール紐を投げる。 「じゃあ、きり丸にやるよ。古本屋にでも売って構わないし」 「いいのか?」 僕の言葉に、ぱ、っときり丸の顔が輝くのが分かった。 その表情に『三つ子の魂百まで』ということわざが頭に浮かぶ。 ずっと変わらない彼に、思わず苦笑しながらも、自分自身のことも思い返す。 ------------- 人前で強がるのは、一生変わらないんだろう、と。 「今日のアルバイト代のかわりな」 「マジで!? ただ働きなんてさぁ割に合わない、や、……アルバイト代なら団蔵の父ちゃんから貰うぜ」 「アルバイトだったら、お前はもっとちゃんと働くだろ」 「やっぱ、ばれてたか」 「ばればれ。どうせ、団蔵に連れてこられたんだろ」 きり丸はバツの悪そうに、頭をがしがし掻きながら、俺に視線を投げかけた。 「けど、団蔵、怒ってたぜ。勝手にいなくなるなんてって」 「団蔵は騒ぎすぎ。出会いがあれば、別れもあるだろ」 「相変わらず、庄ちゃんてば冷静ねぇ」 おねえ言葉でからかってきたきり丸に、「そうか?」と返すと、すっ、と彼の目が細くなった。 「まぁ、強がるのは庄左ヱ門らしいけど」 *** 「じゃあ清八、後、頼んだよ」 「へい、若旦那。庄左ヱ門くん乗って」 「はい。……二人とも、ありがとうな」 「おぅ。元気でな」 「土産期待してるからなっ」 「餞別もないのに?」 きり丸の言葉に笑いながら返答し、僕は助手席側へと周ると、ステップに足を掛けた。 中に入って坐ると、いつも見ているのよりも少し高い世界に、なんとなく不思議な感じがする。 エンジンが掛かると振動のせいで窓ガラスの向こうで小刻みに揺れ出した二人が、僕の方を見ていた。 コツコツ、と指の背でガラスを叩かれて、僕は横に付いていたボタンで窓を開ける。 鬱蒼とした匂いが、ひんやりとした風に混じって車内を充たしていく。 雨が地面を叩くのも時間の問題だろう。 「どうした?」 「これ、餞別」 窓越しに団蔵が差し出した青色の表紙のそれは、見覚えがあった。 「餞別って、これ、僕のノートだろ?」 「そう。数学のやつ。ほら、最後のテストの前に借りたやつ。本当にありがとな」 「自分のノートは餞別って言わないんじゃ?」 「まぁ、後でじっくり読んで。じゃぁ、清八、安全運転で頼むな」 清八さんはその言葉に頷くと、す、っと前を見てギアを入れ替えた。 座席を揺らす振動の感じが変わったと思った時には、ゆっくりと、動きだしていた。 サイドミラーに映り込んだ二人は、すぐに遠ざかり、豆粒ほどの大きさになり、そして見えなくなった。 流れゆく景色を見るのも退屈になってきて、ふ、とノートを開くと、僕の目に飛び込んできた色の洪水。 「おいしいものの食べ過ぎに注意してね。僕もダイエットがんばる」 「↑しんべヱ、がんばって。風邪を引いたなって思ったら、ちゃんと休むこと。無理しちゃダメだよ」 「↑乱太郎、偶には俺らにも優しいこと言ってくれよ。 いつも、ノート、ありがとうな。本当に庄左ヱ門のおかげで卒業できた」 「↑馬鹿は風邪ひかないって言うからな、虎若。つーか、庄左ヱ門がいないと、誰が馬鹿騒ぎを止めるんだか」 「↑兵ちゃんじゃない? なんだかんだで苦労性だし。 というわけで、そのうち兵ちゃんから愚痴の電話がいくと思うけど、よろしくね」 「↑いや、三治郎。それは読みが甘いぜ。 兵太夫は一緒に騒ぎに乗るから、止めるのは伊助。庄左ヱ門もそう思うだろ」 「↑やめてよ、きり丸。胃が痛くなる。ごめん、庄ちゃん、そのうち一晩愚痴るために泊まりにいくかも」 「↑いいなぁ、伊助。僕もなめくじさん達、連れて遊びにいこ」 「↑喜三太、なめくじは連れてけないって。だから、庄左ヱ門、偶にはこっち帰ってこいよ」 「↑そうそう、金吾の言う(書くか?)通り。帰ってきたくなったら、強がって我慢しないで、いつでも帰ってこいよ」 「雨、降ってきやしたね」 「そうですか?」 「えぇ。雨ですよ」 清八さんの言葉に、僕はぼんやりと文字が滲むままに身を任せた。 (いつだって、皆がいたから、僕は、強がれた) 晴れたから、 もう大丈夫です
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