しっとりとした、午後だった。 薄い雲が一面を覆って、そこを通り抜けてくる光は、研ぐ前の刀みたいにぼんやりとしている。 ほの明るい世界は雪の降った後になんとなく似ていたけれど、吹き抜けていく風は青く湿っていて、温かい。 「たき、ちょっと、いいか?」 わたしは彼を裏々山まで誘った。 滝は、多分、この先にある結末を知っていたんだろう。 普段なら恥ずかしがって決して絡めてこない指先を、滝の方から繋いできた。 驚きと嬉しさと、それから物悲しさが入り混じった妙な気持ちのまま受け入れる。 想像したよりもずっと柔らかな手は、けれど、たくさんの小さな傷で埋もれていた。 (わたしも滝も忍たまなんだ、な) 忍術学園に入学しなければ、わたしと滝の道が重なることなどきっとなかったのに。 忍たまだからこそ、わたし達は出会うことができたというのに。 当たり前のことなのに、初めて知ったような気がした。 手を繋いで歩いていると、わたしにその言葉を喋らせまいと、いつも以上に饒舌だった滝のトーンが急に落ちた。 楽しく会話する余裕などわたしにはなくて、ちっとも聞いていなかったけれど、その空気の変化を耳で捉えて。 「どうした?」と問いかけると、避けていた話題に近い所に触れてしまったのだろう、彼は苦しそうに顔を歪めた。 「……なんか、不思議だなぁ、と思いまして」 「何が?」 「このコースを歩くのが」 「あぁ」 そう言われて、わたしは初めて辺りをゆっくりと見回した。 いつもなら後ろへと飛び去っていく景色は、緩慢とそこにあった。 錦のような色鮮やかな世界は、草木の一つ一つが成していることを知らなかった。 (あんなにも、毎日、走っていたのになぁ) もうすぐこの学園を去るというのに、初めて気づくことがたくさんありすぎて、思わず苦笑する。 裏々山の頂上まで登ると、覚悟を決めた滝の指先がわたしの掌から静かに引き抜かれた。 その途端、なんだか急に寒くなったような気がして、まだ残る彼の温もりを逃さぬように拳を固く握る。 唇をきつく引き結び、瞬きをするのすら惜しむように、彼はわたしの言葉を待っていた。 じっ、とわたしに注がれる滝の目に染まる諦めに縋りついた微かな望みの色。 今日のためにずっと考えてきたはずの言葉は、何一つ役に立たなくて。 大きく一つ、空気を吸い込む。鮮明な草の匂いが胸の奥に響いた。 (嘘も偽りも慰めも、もう、何も要らないのだ) 息を吐く勢いに任せて、わたしはその言葉を告げた。 「卒業試験、受かった」 「おめでとうございます」 その流れに呑まれたように、滝は即答した。 わたしと滝の間に空気がぐらつき、波紋のように震えが広がっていく。 それは永遠にも感じられたけれど、やがて再び、哀しいほど澄んだ静謐がわたし達に訪れた。 何かに耐えるように、ぐっ、と唇を噛みしめている滝を見て、抱きしめてしまいたい衝動が突き上げる。 「一緒に来るか」って言えば、きっと、滝は地の果てまでもついてくるだろう。 「待っててくれ」と言えば、きっと、滝はいつまででも待ってくれるだろう。 けれど、まだこの掌に残る滝の温もりが、それを引きとめた。 (今のわたしじゃ、滝を幸せにできない。笑わせることなどできない。泣かせるだけだ) 「ごめん、な」 「何で先輩が謝るんですか」 突然の謝罪に滝は困ったように眉を下げて、けれど、わたしをまっすぐと見据えた。 (何の言葉も残さずいなくなるわたしを、滝は恨むだろうか) 喉が切り裂けるほど大きな声で叫んでしまいたかった。 「さよなら」と。 けれど、その言葉を告げる強さすら、今のわたしにはなくて。 「ごめん」 「謝らないでくださいよ」 「ごめん」 まるで、その言葉しか知らない幼子のように、わたしはその言葉を繰り返した。 「先輩、泣かないでください」 目を潤ませて訴えてきた滝に、わたしは初めて自分が涙しそうになっていることに気がついた。 (わたしが滝に言うべき言葉なのに。滝がわたしに望んでいる言葉なのに。なのに、) そう思ったら駄目だった。 ぼんやりと滲んだ世界が膨らんで一気に瓦解する。 堰き切ったように瞼の奥から涙が溢れ返り、胸が熱くなって喉から嗚咽が漏れるのを止めれなかった。 「泣かないでください。笑ってください」 「たき……」 ほろほろとわたしの頬を落ちていく雫を、柔らかな温もりがすくった。 滝が泣きながらも、なんとか笑おうとしているのが分かった。 わたしの大好きな笑みを浮かべようとしているのが。 「私は、あなたの太陽みたいな笑顔が好きなんですから」 心の中で念じる。笑え、と。 (それが、今のわたしが唯一できることなのだから) 泣かないで、(お願い、)笑って
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