「昨日も合コン合コンって言ってくるから、ハチにさ、俺らが付き合うって言ったんだよ」
「あぁ。それで?」
「そしたら証拠を見せろって五月蠅くて」
「証拠?」
「あぁ。付き合っている証拠」

そんなものあるわけない。だって俺と鉢屋は付き合っているわけじゃないのだから。俺の思いを読んだのだろう鉢屋がどことなく疲れた口調で「そんなのねぇって分かっているさ」と目線をショーウィンドーに映るハチに送った。
反射した窓ガラス越しに視線を送ったところで、向こうからこちらが気づかれるわけがない。そうと分かっていても、ついつい、自分もまたそこを凝視し、一挙一動を観察してしまう。視線を剥がした鉢屋は苦々しげに唇をすり潰しながら呟いた。

「とにかく、付き合ってる証拠を見せろって聞かなくてな」
「それで、デート?」
「あぁ」

そんな面倒な理由で呼ばれたのか、と思うとこちらまで鉢屋の溜息が移動してしまいそうだ。最初から用件を言われてたら、絶対に家から出ないだろう。それを見越してここに呼び出ししてきたのだろうか、と思うと、いささか腹立たしい。
あれだけ切羽詰まった連絡を寄越しておいて、これはないだろう。何かあったんじゃないだろうか、と心配していた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

「お前の友だちなんだから、お前がどうにかしろよな」
「どうにかしろって言われてもな」

しばらく腕を組みながら思案した鉢屋は「あぁ」と閃きに声を跳ね上げた。何、と目だけで尋ねれば、それまでの真摯な光は一変、鉢屋の目に宿っているのは愉快そうな色で。それを見た途端、嫌な予感しかしなかったが、鉢屋の口から出掛かっているその言葉を押さえきることはできなかった。

「付き合ってる証拠で一番手っ取り早いのは、路チューするとかだけど」
「それだけは絶対嫌だ」

即答。何でこいつと路上でキスをしなければならないんだ、と嫌悪を込めて言えば、鉢屋は「だろうな」と笑い出した。笑うといっても、勘ちゃんやハチに気づかれないよう、唇を僅かに緩めているだけだったが。
それでも、間近にいれば、ひくつく頬やくつくつと鳴る喉からも、鉢屋が腹から噴出している笑いを必死に堪えているのが分かった。完全に笑われている。

(くそ、からかわれた)

腹立たしさに踵を返せば「どこ行くんだよ」と焦った声が俺を引き留めに掛かってきた。振り向きはしなかったが、大声で離せば勘ちゃん達に見つかるという意識がどこかで働いていたのだろう「帰る」と伝えるために開いた喉は自然と絞られ、小さなものになっていた。

「帰るなよ」
「帰る。お前のおふざけに付き合ってるほど、こっちは暇じゃない」
「ふざけたのは悪かったけど、そんな頑なに考えなくてもいいだろ」
「頑なだろうと何だろうと、とにかく帰るから」
「帰るって、ここでバレたら、また合コン攻勢だぞ」

痛いところを突かれ、天秤に掛ける。ここで鉢屋に数時間付き合うのと、あの空間に押し込められるのと。どちらも苦痛でしかなかったが、後者は一回で済まないことを考えれば自然と導き出される答え。渋々「分かった、で、どうすればいいんだ?」と尋ねれば、ずい、と彼は手を出してきた。

「ん」
「何?」
「だから、手」

あぁ。ようやく俺は理解した。ショーウィンドーで立ち止まっている俺たちの背後をすり抜けていくカップルたちは皆一様に手を繋いだり、腕を組んだりしている。温もりを分かち合っていることが付き合っていることの象徴とでも言いたげに。だが、自分たちは恋人ではない。

「何も手を繋がなくたっていいだろ」
「手、繋がないと、それっぽく見えないだろ」
「そうかもしれないけど……あいつらの前でとか……」
「あいつらの前でしなかったら、いつするんだよ」

確かに鉢屋の言うとおりだ。付き合っていないのだから、あいつらの前以外で繋ぐ必要なんて全くない。そう、今、ここで鉢屋の手を握らなければ意味がないのだ。あいつらに見せつけるために。
だが、白昼堂々と人前で手を繋ぐということに、どうしても抵抗が拭えなかった。それは相手が男だから、ということではなく、誰に対してであってもそうだった。こんな人目につく場所で手を繋ぐだなんて。そんな恥ずかしい真似できない、と突っぱねようとした瞬間----------熱が手首を炙った。

「仕方ねぇな」
「っ」

ぐ、っと手首を掴まれていた。いきなりの接触に、思考も感情も混線する。何もかもがぐちゃぐちゃで、意味が分からない。はっきりと分かっているのは手を覆う鉢屋の温もりだった。ぽか、っと時間を止めた頭では、ただただ、されるがままだった。
掴まれた手が、ぐい、っと鉢屋側に寄せられる。膚の内側で沸騰しているんじゃないか、と思うくらいに熱い。だが、それもしばらくすると、自分のものなのか、それとも鉢屋のものなのか、温もりの境界が分からなくなってきた。

「これでいいだろ」

俺と鉢屋の手はもつれ合ったままポケットにあった。

「え?」
「ポケットにでも、二人で手を突っ込んでおけばいい。そしたら、それっぽく見える」

次の瞬間、それまで溶け合い共有し合っていた温もりが、ポケットの中で突如として隔たれた。手が解放されていた。宙ぶらりんになってしまった指先が虚を握る。---------どうしようもなく冷たさを覚えたのは、体温が重なっていた分、それまでが温かかったからに違いない。

(そうじゃなかったら)

俺を掴んでいた鉢屋の手は、未だ、同じ布の中にあって。あと数センチでも動けば触れることができるだろう。だが、その数センチは埋めることのできない海溝よりもずっと深い所で断絶されているような気がした。