※他の5年も出ます。カプはありません。



 「ったく、何が梅雨の晴れ間がだよ」

 ぶつくさと文句を垂れていると口の中にまで雨が飛び込んできて、俺は気持ちのん面でも実際の面でも閉口した。全身が雨に打たれて服の中までぐっしょりと滲み込んでくるくらい激しい雨。昼だというのに、もう夜になってしまうかのようなそんな暗さを含む黒い空。
どこを選んでも水たまりにしかない、窪んだアスファルトを飛び越えるようにして駆け抜ける。先週、バイト代を溜めて買った新しいスニーカーにはすでに跳ねた泥がこびりついていて、最悪、と今度は心の中だけで悪態を吐いた。朝、大学に行く前に見たお天気お姉さんの爽やかな笑顔が脳裏に浮かび、ますます苛立ちが募った。

(あー、帰ったら即行でシャワー浴びよ)

 夏も近いとはいえ、これだけの雨に濡れてさすがに体は冷え切っていた。そのせいだろうか、一刻も早く家に帰りたいのに、思うように体が動かなかった。関節が妙に軋んで、モーターの歯車が噛み合わない時のごとく、バラバラと手足が出る感じがした。それでも、シャワーの生温かな水流だを想像しつつ、必死に走り続ける。足元に飛沫が散った。

(あー、どこでもドアがあったらなー。神様、くれねぇかな)

 日本の国民的アニメの青いロボットが、ぽかん、と頭の中に浮かんだ。個人的にあったら便利ナンバーワンに輝くその道具があれば、こんな大雨の中走って帰らなくてもすぐに家に付くことができるのに、と思わず「てれてれっててー どこでもドアー」なんて声真似をしてみた。けれど、紫がかったピンク色の扉が現れる、なんてこともなく、目の前にあるのは俺を馬鹿にしたように降り続ける雨だけだった。

(はぁ、馬鹿か、俺は)

 自分で自分の言動に呆れてしまう。頭が悪いのはさんざん承知していたけど、こうやって、改めて自分の馬鹿さ加減を突きつけられたような気がして、急に空しくなってきた。力が抜けた肩が落ちると同時に、溜息が自然と零れた。一度、脱力した体は回り続けていた歯車の回転速度が落ちていくように、だんだんと鈍くなっていき、やがて、俺の足は歩くのとほとんど変わらない速度にまで落ち込んだ。さっきまで顔を殴りつけていた雨は眼前に簾のように筋状に垂れさがっている。

(ま、もういっか。急いだって、どうせこんだけ濡れてるし)

 かなり濃くなって元の色が分からなくなっているシャツは、絞れば水が出てきそうなほどだったし、ジーンズも裾は浸かり込んだような色合いをしている。スニーカーはさっき足をどでかい水たまりに突っ込んだせいで歩む度に中に入り込んだ水が外に出ようとして。ぐちゃり、ぐちゃり、と嫌な感触を伴う。諦めの境地と気持ち悪さとがごちゃまぜになりながら、俺は何の変哲もない家のドアを目指して歩を進めていた。と、

「みゃぁ」

 雨にかき消されそうになりながらも必死の叫びが俺の耳に届いた。ふ、と視線を自分のスニーカーから少し横にずらす。ぼろ布のような薄汚れた灰茶色の物体があった。一歩近づき、目を凝らしてみた。僅かに覗く『りんご』の文字から、雨に蕩けて地面にくてりとへばり付くようになっているものが、どうやら段ボール箱だったようだ、ということに思い当たった。それくらい、完全に雨に打たれて形状を失いつつあったのだ。

「みぁぁ」

 また、か細い悲鳴。屈みこみ、崩れ落ちかけている段ボール箱に手を伸ばす。ぐにゅり、と柔らかくなった紙が爪先にのめり込んだ。そのまま押しあけると「みぁぁ」と仔猫が箱の中で震えていた。産まれたばっかりではないが、成猫よりもやや小さい体を震わせている。冷たい雨に濡れているせいか、白っぽい毛は棘のように房ごとに固まり、その先に銀の雫が珠を作っていた。琥珀色のアーモンドみたいな眼の奥で灯のような光が切々と燃えていた。

「お前、うちにくるか?」

 指を差しだせば、仔猫はそこに頬を擦りよせて「みぁ」と返事を寄こした。それで、俺は潰れてしまいそうな段ボール箱から仔猫を掬い上げ、腕の中に収めようとした。逃げようとはしなかったが、バランスがうまくとれないのか、手足をばたつかせる仔猫に尻尾の辺りから抱え込む。さっきの腕よりもやや高い位置で抱きとめた。頬の辺りに濡れた仔猫の毛がぺたりと貼りつく。けど、嫌じゃねぇ。押し付けた耳が仔猫の鼓動を捉える。とくとくとくとく。命の灯の音が。その瞬間、どうしてだか、泣きたくなった。

(すっげぇ、温かい)

***

「さてと、まずは、拭かねぇとな」

できるだけ仔猫に雨に当たらない様に覆いかぶさるようにして抱え軒先を選んできたもののやはり濡れてしまい、家に着く頃には俺の足もとからは滝のように水が滴り落ちていた。別に一人暮らしなのだ、気にせずに大きな玄関から家の中に入ってもいいのだが、あまりの濡れっぷりに勝手口へと回った。台所のシンクの下に雑巾が敷いてあったのを思い出したからだ。

(せめて足だけでもそいつでふきゃぁ、ましになるか)

猫を片手で差せながら、空いた手で何ら代わり映えのないドアのノブを掴んだ。施錠も何もしてないドアは簡単に開いた。もわり、と家の中に篭っていた辛気な臭いが俺たちを出迎えた。背負っていたバッグを入口に転がし、薄暗い台所を見渡す。

「雑巾、雑巾っと」

だが、よく考えれば、さすがに三和土から足を伸ばした雑巾に届くはずもなく、俺は水に浸かったスニーカーから足を抜いた。こぽっ、と零れた水滴が勝手口のコンクリートに滲む。じわり、と靴の周りに元の色から明度を落とした黒っぽい染みが広がって、コンクリートに脱ぎ捨てられていたサンダルの近くまで伝った。後で拭けばいいか、とぺたぺたと足痕を残しながら雑巾へと向かった。

「うしっ! 次はお前だな」

 ぐりぐりと足裏を雑巾になすりつけ、多少、足を覆っていた湿り気が減ってきたのを感じ俺は雑巾から降りた。そのままこの雑巾で仔猫を拭くにはちょっと可哀想な気がして、風呂場に積まれているタオルを探しに行くことにする。もちろん、仔猫は抱いたままだ。いい加減、解放してほしいのか「みぁみぁ」と抗議を上げながら腕の中で暴れている仔猫に「もうちょっと待ってろ」と声を掛ける。新しい住処に急に放り出せば、落ち付かずにどこかに行ってしまうかもしれねぇ。

(このでかい家で迷子になったら、探すの大変だからなぁ)

 とある理由でアパートを追い出された俺に「夏休みが終わる頃に家を壊すけどそれまでなら」と叔父が借してくれたのがこの一軒家だった。本当にでかく、そして古かった。館とまではいかないものの、少なくとも一人暮らしに使うような家ではない。部屋数も、結構ある。ありすぎて、いまいち、どこにどんな部屋がきちんと把握していなかった。寝るために一部屋と飯を食ったりテレビを見るために台所から繋がっている部屋を居間として、あとはその台所と風呂とトイレくらいしか使ってなかった。あまりに汚くて、掃除をするのが面倒だ、ともいう。
とにかく部屋がたくさんある上に、昔ながらの家なせいかよく分からない所に階段があったり、部屋かと思ってドアを開ければ収納スペースだったりもする。もし、そんな中に迷い込まれてしまえば見つける気がしなかった。

「しばらく、目が離せねぇな」

 風呂場でできるだけ柔らかいタオルを選んで濡れそぼった仔猫を包み込む。嫌がられないように気を付けながら軽く全体を拭いた。それだけでも、しっとりとタオルがなるのが分かった。使っていたやつを洗濯かごに投げ入れ、また棚から新しいタオルを取り出した。仔猫を乾かしつつ、ドアを押しあけて浴室に入る。吊り下げて干してあった服を短パンを取り込んでいるうちに、また手の中のタオルが湿ってきた。別のタオルに代えて拭きつつ、俺はあと三枚ばかしタオルを小脇に抱えて仔猫と共に居間に戻った。

(あー床濡れてっけど、仕方ねぇな。自然乾燥か)

 もし他の借り家であればもう少し気を使うところだが、どうせ夏休み明けには取り壊すのだ、と思うと、今さら綺麗に使おうという気にはなれない。軋みを立てる廊下は俺の足もとから垂れ落ちた雨水が染み込んでいてのめり込むような感覚がしたが、俺はそれを無視した。

「もうちょっと拭かねぇと風邪引くからな」

 立てつけは悪いがとりあえず廊下へ行くのを防ぐために俺は居間に入るとドアを足で閉めた。みゃぁみゃぁ、と鳴き声をひたすら上げている仔猫を床に降ろし、最後の仕上げとしてちょっときつめに擦る。少しじたばたとしかけたものの大人しく拭かれたそいつからタオルを外すと、ほわほわと柔らかい毛に膨らんだ仔猫が現れた。
この部屋から繋がっている台所の勝手口がちゃんと閉じられているのを確認して、仔猫を放す。とまどったのか俺をちらりと一度だけ見たそいつは、けれど、好奇心に負けたのかすぐに部屋の中を探索しだした。その姿を見ながら、自分もタオルでざかざかと頭を拭き、シャツやズボンを引き剥がす。湿っているを通り越えて完全に濡れた布が膚に張り付いて脱ぎにくかったが、なんとか新しい服に着替えることができた。

「さて、と。あいつ、どうすっかな」

 あっちこっちに興味を持ってうろついている仔猫を目で追いながら、今後のことを思案する。雨にあれだけ打たれていたが、見た感じは元気そうですぐさま病院に掛らなければいけねぇ、って事もなさそうだ。幸いにも、最近までこの家には猫がいたからトイレ砂や寝床はある。当面はそれでいいにしても、いつまでもこの仔猫をこの家に置いておくわけにはいかねぇ。

(三ヶ月後には、またアパート見つけないとといけねぇし)

 最近はペット可な賃貸アパートやマンションも増えてきたというが、家賃が馬鹿高い。いくらバイトをしたって学生の身分でそこに入居できるはずもない。この仔猫を飼ったところで、すぐに里親を探さなければならなくなる。

(となると、最初から探したほうがいいんだろうな。……となると、はぁ、あいつに電話するか)

 嫌味を浴びるのを覚悟して俺は鞄に入っている携帯電話を取りに行くために台所を通り、勝手口へと向かった。上がり口に転がっていた鞄を取ろうと腰をかがめた瞬間、するり、と温もりが足元を擦り抜けた。びっくりして見遣れば、小さく白い背中がコンクリートの三和土へと華麗に飛び降りるところだった。

***

中略

***
 結局、俺は家から三分、俺の命綱であるコンビニに行くことにした。牛乳とついでに自分の昼飯も買ってこようと、鞄の中から財布を取り出す。ちょっと湿っていたが中身が濡れている様子はない。小銭があるかどうか確かめると、ポケットに財布を突っ込んだ。携帯は一瞬迷って、どうせ掛けてくる奴なんていねぇだろう、とガスコンロの台のとこに置いておく。

「じゃぁ、行ってくるな」

 俺は足元に落ちていたサンダルに足を突っ込んだ。どうせ、近所だ。構わない。俺が準備している間、また三和土に降りてドアをカリカリと引っ掻いていた仔猫を抱き上げ、上がり口に戻す。不服そうに「みぁ」と俺に訴えかけてくるそいつの顔をしっかりと見遣りながら「部屋から出るなよ」と言いつけ、振り向きざまに俺は勝手口のドアを開けて、

「っ!?」

 息を呑んだ。ドアの向こうには雨に濡れた世界が広がっていた。土砂降りの雨であること自体は、さっきと変わらない。ただ、その雨に打たれている世界が全く違ったのだ。視界に飛び込んできたのは黒々とした森。手前には覆い茂っている草叢。頭上には、だだっ広い空。隣の家や裏手のアパートの建物の代わりに、木々から伸びる枝葉が領空を侵している。ここはどこだというのか。

(はぁ、何だこれ?)

 あまりに唐突な事態に頭が真っ白になる。比喩じゃねぇ。意味が分からず、勢いのままにドアノブを引いて家の中に飛び戻った。小首を傾げ不思議そうな面持ちの仔猫が「にぁぁん?」と鳴いた。心臓が膚を打ち破りそうな勢いで叩いている。ぎゅ、っとシャツを胸の辺りで握りしめ、呼吸を整える。

「まさか、どこでもドア? って、いやいやいや、冗談だろ」

 疲れているんだ、幻覚に違いない、なんて自分に言い聞かせる。落ちつけ、落ちつけ、とぶつぶつ呟いていると、温かなものが足を撫でた。恐怖に「ひっ」と息が慄く。すぐに、それが仔猫の温もりだと気付いた。三和土に降りてきた仔猫が「みぁぁ」と俺を振り仰いだ。

「冗談だよ、な?」

 信じれない情景だっただけに、つい、仔猫にそうやって同意を求めていた。じ、っと琥珀色の瞳を向けたままそいつは鳴き声を上げることはなくて。ますます、不安が募ってくる。勝手口からじゃなく玄関から外に出るのは容易かったが、とてもじゃねぇが、このままに幻か現実かあやふやにして出掛けるのは恐ろしくて、俺は意を決してドアノブに指を掛けた。

(開けたら、きっと隣の家のコンクリートの塀が見えるって)

 だが、結果は変わらなかった。目の前にあるのは俺の知らない世界。雨に沈む森。勢いよくはこびっている草。頭上には雨雲と木々しかない。激しい雨に霞んでいる分を差し引いても、明らかに俺が毎日を過ごしている世界じゃねぇ。

(おいおい、冗談だろ? つうか、夢だろ)

 ドアノブをぎゅっと掴み直した。これを手放したら、俺の知っている世界に戻れないような気がしたのだ。俺の世界と繋がってる右手に力を込めながら、夢なら醒めてくれ、と念じ、もう片手で頬を叩いてみるも、変化なし。ぺち、という鈍い音と熱い痛みが走るだけで。今度は力の限り抓ってみたけど、同じだった。ぐ、っと引っ張られる皮膚の感覚に伴う痛みはまさに現実のもので。咽喉が口から肺の方へと順に枯渇していくのが分かった。どうすればいいのか分からず、ドアノブを握りしめたまま呆然と突っ立っていると、

「にぁぁん」
「あ、ちょっと、こら」

 足元にふわりと柔らかで温かなものが触れた、と思った次の瞬間、俺の眼前を白い物が駆けていった。それがあの仔猫だと気付いて。慌ててその背中を追いかける。自然と手はドアノブから離れ、俺も扉の外へと飛び出していた。乾いていた体がまた濡れる。体に打ちつける雨の感触は本物だった。

「こら、待てって」

 ここで逃がしてしまったら、仔猫がどうなるか分からない。すばしっこい仔猫を必死に追いかける。と、森の入口にある草叢の少し奥まったところの手前でそいつが立ち止り、俺の方を振り向いた。雨音にかき消されそうになりながらも「なぁぁん」と仔猫が俺を呼んだ。やっと止まってくれたことに安堵し、走っていたスピードを緩める。歩きながら「何だっていうんだよ」と近づいた。俺がついて来たことを確かめたのか、再び、仔猫は俺に体を背けた。その先に、何か黒っぽい塊が見えた。それに向かって「みぁぁ、なぁぁん」と鳴き続ける。

「何だ? っ、って、人!?」

 黒っぽい塊を覗きこんだ俺は驚きのあまり仰け反り、尻もちを着いた。仔猫が鳴き声を浴びせていたそこには、人が倒れ込んでいた。紙よりも白い顔色に、唇は紫に変色していた。ぐっと閉じられた眼。こいつが、生きているのか不安になる。そっと近づいて呼吸を確かめようとした瞬間、

「う」
 固く結ばれていた唇が僅かに動き、人物呻き声を上げた。

(よかった。とりあえず、生きてるみたいだ)

ほっと息を吐き出し、けれど、目を覚まさぬ様子のその人物を観察する。頬の辺りに赤黒い擦れがあった。よく見ればこの暑い時期だというのに、びっちりと着込んだ黒い衣服も雨に濡れたのとは違う色の染みがある。

(まさか、血?)

 雨に洗い流されていてほとんど抜け落ちてしまっているようだったが、その人物からは微かに錆びついた匂いがした。交通事故とかに遭った動物たちの面倒をよく見ていただけに確信する。それが血の匂いだと。

(どっか、怪我をしてるのだろうか?)

 確かめようとしたが雨のせいで視界が暗く、はっきりとは分からない。とにかく、このまま放っておくわけにはいかなかった。どうすればいいか分からねぇが、とりあえず、さっきのドアの所まで戻れば何とかなるだろう、と俺はその人物の脇の辺りに手を差しこんで上体を起こす。地面に散らばっていた髪が俺の首に絡みついた。

(あ、こいつ男か)

 閉じられた瞼を縁どる睫毛の長さといい、髪の長さだといい、てっきり女かと思っていた俺は触れた体躯からそう気付いた。俺と比べるとやや細いその体は、けれども跳ね返すような筋肉がしっかりと付いている。おまけに気を失っているせいか、すげぇ重たい。

「っしょ」

 脇の下から手を肩へと回し背中に担ぐ様にして俺は彼を立ち上がらせた。耳元を「う」と呻き声が掠める。ずっと鳴き続けている仔猫に「行くぞ」と声を掛けると元来た方向を目指し歩き出した。俺の言葉を理解したのか仔猫が、ととっ、と俺の前に出た。重たさのあまり、ずるずると彼を引きずりながら何とか一歩を踏み出している俺に対して、付かず離れずの距離を保つながら先導するように仔猫は歩みを進める。

(これでドアが無くなっていたら……泣くな)

 嫌な想像をしながらとにかく必死に足を動かし続けた。気絶した人間は石のように重たい、なんて話を聞いたことがあったがまさか体感するとは思ってもみなかった。どんどんと沈んでいく体に視界が狭まっていき、やがて地面を踏ん張る己の足しか見えなくなった頃、

「みゃぁぁん」

何かを知らせるかのごとく一際甲高く響いた仔猫の鳴き声に、は、っと顔を上げた。

「マジかよ……」

 俺は呻った。目の前には確かにドアがあった。だが、それは俺の家のドアとは違う。古めかしい木戸はそれこそ田舎の旧家とかにはあるかもしれないが、俺が目にしたことがあるのはテレビの時代劇でしかなかった。脱力した体を滑るようにして背負っていた彼がずり落ちていく。慌てて抱え直し、改めてその扉がはめ込まれた一軒家を見遣る。少なくとも、俺が知っている範囲で近所にこんな木造の、しかも茅葺の屋根をしている家はない。

(どうすんだよ、マジで)

 頭を抱えてその場にしゃがみ込みたかった。だが、肩から背中にかけて負っている重みにそれはできない。さっきから彼の呼吸が速まっているような気がした。伝わってくる体温も己より高い。熱でも出てるんじゃないだろうか。苦しげに息を吐き出している彼に、とにかく雨に当たらない場所を求め、俺はその古びた家に近づいた。寄り添うようにして仔猫が傍に来る。

(とりあえず、ここで休ませてもらうか)

 その木戸の取っ手に俺は指を掛けた。当然、俺の家にあるドアノブとは違い、厚めの木切れが扉に貼りついている感じだ。昔の家だと横に開けるのだろうか、と力を横向きに掛けるも、びくともしない。鍵なんてこの時代にあるのだろうか、と頭を捻る。念のため、手のひら全体を取っ手の側面に当て、横に押し出してみたが、やっぱりドアは開かなかった。

「どーすんかなぁ」

大きさに対して間口の狭さからすれば、勝手口なのかもしれない。正面玄関みたいなものがもしかしたらあるのかもしれないが、背中に男一人を負って家の反対側まで周るのは正直、辛かった。ふ、っと思いつきで、勢いよく扉を押してみる。

「っと」

 反動のまま、俺は前へとつんのめった。さっきまで微動だにしなかったドアが開いたのだ。転びそうになるところを、空いていた片手で扉の枠を掴み、なんとか事なきを得る。反対側の手はしっかりと彼を抱きとめていた。危ねぇ、と顔を上げて、

「な、」

 今度こそ、俺は言葉を失った。------よく知った光景が、そこに広がっていた。俺が目にしたのは俺の家の勝手口だった。