Palm

    お話にならないおはなしたち。健全もカプも温かいのも冷たいのも雑多。

     竹谷(蟲/師系のパロ)   次滝(現パロ)   久々綾(現パロ)   雑伊   留→伊(現パロ・伊作が女体化)

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    惹かれたのは偶然か、はたまた必然か。

    「こいつは、」

    市中の座は、いったいどこからこんなにも集まったというのか、あふれんばかりの人で賑わっていた。あちらこちらで、耳慣れぬ訛り混じりの売り買いする言葉が聞こえてくる。旅に必要なものを揃えようと、ぶらりぶらりと、人と人と間を縫うように歩いていた俺は、いつの間にか、その店先で足を止めていた。
    『ないものなどない』と言われる市座では、生活に使うものだけでなく、少々、まっとうとは言い難い物を扱う奴らもいる。大概は放っておいても大丈夫だが、時々、厄災を引き起こすものもある。そういった場合は、適当に言いくるめて買い取ることにしていた。その前を通り抜けようとした瞬間、勘よりももっと深いところで、俺の琴線に何かが触れていた。
    目の前にいる行商の男が筵に広げたいたものは、欠けた茶碗やら、歯のない下駄やら、がらくたばかりであった。使い古した道具には魂が宿るというが、そりゃ、使い手が大切にしていた場合だけだ。大概は、こうやって、外に出されて、次々と主を代え、いつしか朽ちていくのだ。そんな廃物ばかりの中で、ただ一つ、俺の目を惹くもの。

    「おや、お客さん、それをお求めかい」

    俺の凝視する目線に気がついたのか、男が迎合するように話しかけてきた。

    「こりゃあ、こん中でも、一等、いいものさ」

    下婢た笑みが汚ならしく漏れる。歪んだ眼には一閃の欲望。脂ぎってぎらぎらとぬめった額を袖口で拭き、黒ずみが詰まった爪先で男はそれをつまみ上げた。男はわざとらしく辺りをきょろりきょろりと見回すと、身を乗り出してきた。男が近づいた分、垢臭さが増して、息が苦しい。男はさらに寄ると、声を抑えるように低くして「これにはな、」と耳打ちをしてきた。

    (やっぱり)

    男が告げた、その名を、俺は知っていた。いや、知っていたてなものじゃなかった。今すぐにこれを買って立ち去りたかった。この男の不愉快な手から、そしてそこから、解放してやりたかった。
    だが、男は俺の沈黙をどう受け止めたのかは定かじゃないが、べらべらと喋り出した。

    「知ってるか、こいつにまつわる話を」

    逃げ出したい。立ち去りたい。聞きたくねぇ。けれど、俺の足は大地にのめり込んでしまったかのように、一歩も動かなかった。











































     

    思わず、びくり、と足を止めていた。台所と廊下を区切る木目調の丸いビーズでできた暖簾に手をくぐらせた瞬間、がっちりとした背中が目に飛び込んできた。やっぱり我慢しよう、と踵を返そうにも、暖簾を音もなく戻す術のなく(今戻したら、じゃらじゃら、と派手に音を立てるだろう)、私はその場で立ち尽くした。

    「そんな所に突っ立ってないで、入ってきたらどうなんです?」

    起きたばかりのような掠れた声は、有無を言わさない強靭さがあった。その言葉に後押しされて、爪先に冷たさがしみ込んでうまく動かない足を、なんとか運ぶ。何を話せばいいのか分からなくて、紡ぐ言葉をあれこれ考えながら、結局無言のままシンクの前に立った。

    (自分の家なのに、なんだろう。ひどく彼に気を使っている気がする)

    もう何年も会ってなかった従弟は、随分と身長が伸びて、いつの間にか追い越されていた。あの頃も何を考えているのか分からなかったけれど、それは今も同じで。今日(あ、もう昨日か)も、ほとんど会話らしい会話をしていない。私も彼も、互いの両親が会話しているのに耳をそばだてて、うなずいていた。いつもだったら、強気で出れるはずなのに、三之助の前だと調子が出ない。

    「ずっと起きてたのか?」

    背後からの言葉に、私はコップに伸ばしかけた手を戻した。三之助の方を見ると、闇みたいな黒い瞳が私の方をじっと見ていた。吸い込まれてしまいそうな、すべてを見透かされてしまいそうな眼差しから逃げることはできなくて。

    「喉、乾いてな。三之助もか?」
    「俺は腹へって目が覚めた」
    「なんか作ってやろうか?」
    「そこまではいいや。後が怖い」
    「なんだそれ、失礼な奴め」
    「あ、でも、これ剥いて」

    差し出されたのは、ぱっかりと割れたいちじく。赤紫の気味が悪いほどに種が詰め込まれ、酷く淫靡に見えた。かすかに届く匂いすら、青臭さのない、円熟したものだったからだろうか、彼の手で寝そべる娼婦のようだった。

    「いちじく?」
    「そう」
    「どうしたんだ、これ?」
    「ここに来る途中、木になってた。食べ頃だと思う」

    それを採った(盗った)のか、それとももらったのか、彼の表情からは読み取ることができなかった。三之助からいちじくを受け取ると、柔らかな棘が遠慮がちに私の肌に突き立った。深い紫色の果実からは甘い香りがその機を知らせていた。

    「なんか、グロテスクだな」
    「子どもを食べる代わりに、これを食べる話ってなかったっけ?」
    「あ〜あったような。でも、確かざくろだった気がするな」
    「そっか」

    シンクの中に零れ落ちていた水滴が、青白い蛍光灯の下で、ぴかりと光った。ほんの少し包丁を当てるだけで、赤紫の皮がめくれ、淡い乳白色の肌が出てきた。押さえつける指がのめり込みそうな程の柔らかな果実は素直にその身を絶たれていく。

    「ん、」
    「どーも」

    いちじくは、今にも崩れてしまいそうな、でも確かな形を保とうとしているような、そんなギリギリのラインで、ガラスの器に盛りつけると、三之助の方に差し出す。

    「そっちも食べれば」
    「あぁ」

    三之助に勧められて、彼から銀のフォークを受け取ると、それを突き立てた。

    「いちじくって、いろんな食べ方できるよな」
    「たとえば?」
    「ジャムとか」
    「あぁ。今度作ってよ」
    「……あぁ」











































     

    黙々とレポート用紙に向かっている先輩からは、カツカツカツと神経質そうな硬い字を刻む音がさっきからずっと続いていた。時々、考え込むのか、リズムが乱れたりそれが止まったりする。そこに入り込むゆるりとしたトーンの音楽に歌詞はない。言葉があるとそれに気を取られるから、といつか先輩が言っていたことを思い出した。「それなら、外国語の歌にでもすればいいじゃないですか」と聞いてみたら、先輩は困ったように笑った。「言葉が分からなくても聴こうとしちゃうんだよな」と。どうやら、先輩と自分とでは、頭の造りがずいぶんと違うようだった。(自分はどれだけ煩い歌でも気がつけば思考からフェードアウトしてしまう)エンドレス・リピート。コンポから流し放しのそれは、起伏が少ないせいではっきりとはしないけれど、おそらくは三周ぐらいなのだろう。雨がそぼろ降るような音色には聞き覚えがある。ストリングの物憂げな響きが灰色の午後を象徴しているようだった。

    「ごめんな、もうちょっとで終わるから」

    こちらの視線に気付いたのか、先輩が、ふ、と顔を上げた。濡れたような黒色の目は、輝石のように美しくて、思わず息をのむ。一呼吸、深くした後に「いいえ」と答えると、ほ、っとしたように先輩は肩の力を緩めた。それから、ぎゅ、と握りしめられたシャーペンを2回ノックする。今時の手が疲れないとか振れば芯が出るシャーペンとかそういった類のものではない。先輩が手にしているシルバーのそれは、とても細身で握りにくく、芯が折れたらいちいち取り換えなければならない。正直、合理的とも実用的とも言えないだろう。けれども、先輩は愛していた。この手がかかるシャーペンを。

    「先輩」
    「ん? どうした?」
    「…いえ、何でもないです」
    「そう?」

    そのシャーペンに嫉妬しました、なんて言えるはずもなくて。再び走り出した黒鉛の先を、ぼんやりと眺める。コンポから流れてくる単調な曲を唇でそっとなぞった。











































     

    彼方の夕空は燃え立ち、落ちるような夜闇が此方に沈んでいた。

    「やぁ、」
    「……何かあったんですか?」

    こちらを見遣った伊作くんが驚きに一瞬息を呑んだのが分かった。それでも、すぐに、平静と変わらぬ調子で尋ねてきたのは、さすが、この学園の生徒だろう。場が悪いと思ったのか、きょろきょろと見回すと、彼は後ろ手で扉を滑らす。閉じられた、空間。ひそり、と強まった暗がり。伊作くんとの距離が、急に近くなったような気がした。散逸していた彼の視線が再びこちらに集まったのを見て、問いかける。

    「何かないと来ちゃいけないのかい?」
    「来ちゃいけない、ってことはないですけど」

    そう口ごもる伊作くんに、もうちょっとだけ意地悪がしたくなって「逢いたくなったから逢いに来たんだけど」と笑みを含みながら告げると、「冗談も大概にしておいてください」と剣呑な視線が飛んできた。行きすぎたらしく、ひどく不機嫌そうにそっぽを向かれて。駆け引き失敗。どうも、彼は一筋縄ではいかない。

    「まぁ、それはさておき、これを持ってきたんだ」
    「柿?」
    「そう。来る途中で見つけてね。あ、渋柿じゃないよ」

    夕陽のような色合いのそれを手渡すと、伊作くんの刺々しい空気が一気に緩んだ。輝石か何かのように、わたしからそっと受け取った。「そのまま食べても、いけるよ」と後押しすると、「じゃぁ」と伊作くんは柿をそのまま口にした。しゃくり。みずみずしい音が脳髄まで響く。まるで自分が食べているかのような、そんな感覚。

    「どう?」
    「おいしいです」
    「そりゃよかった。苦労してとった甲斐があったよ」
    「すごい立派な大きさで、しかも渋柿じゃないなんて、どこで手に入れたんです?」
    「共犯、成立」
    「え? 来る途中って…雑渡さん、これって学園の柿ですか? 学園長が育ててる」
    「そのもしかすると、かもね」

    笑いながら答えると伊作くんは困ったように「厄介なものに手を出さないでくださいよ」と天を軽く仰いだ。

    「もう、とっくに出してるさ」
    「とっくに?」
    「だって、君に手を出しているからね」

    柿を投げつけられる覚悟で茶化すように言ったけれど、一向に、柿は飛んでこなかった。あれ、と不思議に思ってそっと視線を遣る。その先にいた伊作くんの頬は熟れた柿の色をしていたけれど、これは期待をしてもいいって事だろうか。











































     

    「だから、浮気癖は治らないって言っただろうが」
    「…だって、『もうしない』って」
    「ばっかじゃねぇの」

    そんなの常套文句だろうが、と呆れたように留さんは呟いた。その表情に腹が立って、抱えた膝越しに彼を睨みつけて。ふん、と鼻を鳴らしながら答える。

    「うるさい。どーせ、馬鹿ですよ」

    分かってた。あんな馬鹿な男を好きになってしまった自分は、どうしようもない馬鹿なんだってだってことぐらい。『もう絶対しないから、愛してるのはお前だけだから』って、その言葉に何度も騙され、何度も傷ついて。そのたびに、やめよう、別れようって思うのに。なのに、結局ほだされて、赦しちゃって。それの繰り返し。

    「ま、別れて正解だって」

    ふ、と留さんの眼差しが緩んで、ぽん、と頭を撫でられる。あやす手の大きさは、あの人に似ていて。心臓がつきり、と痛んだ。本当に、馬鹿みたいだと思う。まだ、あの人のことを思い出してるなんて。かき消したくて、忘れたくて、顔を膝に埋める。リフレインする、別れの言葉、彼の表情。ざわざわ、潮騒みたいに打ち寄せては還えっていく。

    ***

    「ん」

    ふっ、と甘く柔らかな匂いが漂ってきて。顔をあげると、そこにホットミルク。きりきりとした締め付けるような痛みが緩んだ。ぶっきらぼうな優しさが、伝ってくる。

    「ありがと、留さん」

    受け取った指先から。それを含んだ口の中から。ゆっくり、ゆっくり、ほどけていくモノ。

    「…おいしい」
    「そりゃ、よかった」
    「何か、甘いね」
    「蜂蜜入りだからな」

    今夜はよく寝れるんじゃねーか、って言葉に彼の優しさを感じて。

    「あ、れ?」

    目の奥が熱く痺れて、世界が溶け出す。あの人の前では、一滴も流れなかったのに。
    泣いて引き止めることすらできなかった、恋だったのに。なのに、留さんの前だと、どうしてこんなにも素直泣けるのだろう。何も言わず、背中を預けさせてくれる留さんのぬくもりに、また、泣いた。

    ***

    「伊作、…何だ、寝たのかよ」

    久しぶりに泣いたせいか、体に心地良い重さが降りてくる。留さんの声が、なんだか遠くなっていく気がして。ゆっくりまどろみに落ちていく。

    「だから、俺にしとけって」