Palm

    お話にならないおはなしたち。健全もカプも温かいのも冷たいのも雑多。

     鉢雷   鉢雷   部下→雑   部下→雑   乱太郎ときり丸(成長/4年)

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    「満開だな」
    「うん、すごいね」

    数日前は蕾の濃い紅色が点在していただけだった桜の木は、淡雪のような薄紅にすっぽりと覆われている。
    近くに寄って見てみると、花房が毬のように塊に集まって咲いているのが分かった。
    風に翻弄される枝の先に、運命を享受したかのように花びらが揺れている。

    「雷蔵、」

    うっとりと、目を奪われたままの雷蔵に声をかけると、「ん?」と彼は私の方に向き直った。
    私達の間に降り注ぐ光の粒は優しく、世界を包み込むように温かい。

    「散る最初のひとひらを掴むと、願いが叶う、って話、知ってるかい?」
    「へぇ!そんなのあるんだ〜初めて知った」

    他愛もない噂話なのに、雷蔵は待ち焦がれるように、掬うように宙に手を伸ばした。

    ひらり

    「あ」

    逝く春は、ひそりとその身をはぐらかせて、雷蔵の掌中に眠った。
    それを見つめた彼は小さく笑って、桜の花びらを握ったまま、そっと瞼を降ろした。
    そんな噂話なんて信じてなかったけれど、雷蔵のその表情に、ちょっとだけ信じたくなる。

    「雷蔵」
    「ん?」
    「何、考えてる?」

    ぱちり、と開いた彼の目は桜色に染まっていた。











































     

    ぴかりぴかりと、磨かれたように光る青空は、ぐんと高い。
    どんなに頑張ったって届くわけないけど、なんとなく、掴んでみたくなって。
    寝転がったまま宙に手を伸ばすと、名も知らぬ草に触れて、くすぐったさがこみ上げる。

    「さぶろー。さぶろー」

    ひばりが紡ぐ歌声のように、優しい声が耳に届き、じんわりと沁みこむ。
    もうちょっとだけ、この心地よさを楽しみたくて、返事をせずにいたら、がさごそと草をかき分ける音が近づいてきた。
    踏みしめる音がする度に青い匂いが濃くなってきて、もう、すぐ傍に雷蔵がいるのは分かったけれど、見つけてほしくて、返事をしそうな口を噤む。

    「あっ、こんな所にいたの?」

    かざした手の指の隙間からもれてくる日差しが、柔らかく私に注がれた。











































     

    「あなたが死んだら困るんです」

    思わず語気を強めた私に、組頭は日なたぼこをする老猫のようにのんびりと笑った。
    包帯から覗く黒曜の瞳がじんわりと緩むのを見て、私の胸が軋んだ。
    覚悟よりもずっと遠い所に組頭はいるのだ、と。

    「わかった、わかった」

    柔らかい声が私の耳に触れ、すっと、溶けていった。
    それと同時に、泣きわめく赤子をあやすように、組頭の手が私の背中に回される。
    組頭は二度三度、掌底で私を軽く叩くと、まるで大潮の浜辺のごとく、すっと手を引いた。

    「大人しくしてるんだよ。ちゃんとお土産を買ってくるから」

    子ども扱いされたと思って、頬がカッと熱くなるのが分かる。
    それがまた自分でも子どもぽいと感じて、自分はまだそこには行けないのだと知って。
    ぎりぎりで寄り添っていたはずの体温が分離され、明確になった境界線が私に刻まれるのを、ただただ、受け入れることしかできなかった。











































     

    「おかえりなさい」

    ただいま、と無事を告げる組頭の纏う風は、ゆるり、と穏やかで。
    無意識のうちに嗅ぎ取っていた匂いが、土埃と汗だけということに静かに胸をなでおろして。
    そんな自分に、思わず胸の内で小さく笑う。

    組頭が任務に出るたびに”これが最後になるかもしれない”と覚悟をしている。
    強迫的までに強い思いは、けれども、それが続いて日常に組み込まれると、麻痺していくようだった。

    (いつか、なんて覚悟、本当はできてないのだろうな)


    「これ、洗濯しときましたから」
    「ありがとう」

    畳んだ衣服を私が手渡すと、組頭は丁寧な礼とは裏腹に、ぞんざいに衣服を掴んだ。
    身の回りのことはとんと無頓着な性格なのだと気づくまでは、かなり傷ついた。
    せっかく人がきちんとしわを伸ばして畳んだのに、と。

    「あ、そうだ。また、裏表が逆でしたよ。
     脱ぐときはくちゃくちゃにしないでください」

    私の小言に、組頭は少しめんどくさそうに「はいはい」と生返事を返した。
    自分に都合が悪くなると、明後日の方向に視線をずらすのが癖で、今も目が逸らされた。
    これ以上追及しても改善されないことは分かっていたけれど、いつものように、もう一言付け足しておく。

    「洗濯、大変なんですから」

    斜を見ながら「はいはい」と答える組頭に、私は預かっていた得物を懐から取り出した。

    「それから、これ。研いでおきましたから」

    差しだされた得物に、組頭の双眸が、その切っ先のように、すっ、と細く鋭く尖るのが分かった。
    検分する視線は、一寸の隙も与えないほどに緻密に動かされて。
    鼓動の速さも強さも、じわりじわりと増していく。











































     

    「んじゃ、最後は乱太郎な」
    「ありがと」

    壁にペタリと背中を付けると、隙間風が背筋を撫でた。
    寒気が走って、反射的に背中が離れようして、もぞもぞ、と、体をくねらせる。
    と、「動くなよ」と検分するきり丸の声が耳を掠めて、仕方なく、じっと寒さに耐える。

    「んー、と、この辺か?」

    猫っ毛のせいか浮き上がる私の髪を抑えつけながら、きり丸が独りごちる。
    袖口から覗いたきり丸の腕に白っぽい傷痕が見えて、私の心臓がひやりとざわめいた。
    とっくの昔に塞がった傷は、けれども、醜い引きつれを残していて、その深さを思い知らされる。

    (あの時は血が止まらなくて、もしかしたら、って)

    「これって、柱に傷を付けとくだけでいいのか?」
    「うん。あとで、その長さを測ったら、身長が分かるからさ」
    「ほい、動いていいぞ」
    「ありがと」

    きり丸の合図に上体をすり抜けさせるけど、まだ頭に彼の掌が載っているみたいで不思議な感覚だ。
    きり丸はというと、安全のために半分ばかし潰された小刀を使って柱に線を刻みつけていた。
    それを見ながら、さっき自分が付けた柱の傷を、皆の分をゆっくりと胸の中で数えていく。

    (しんべヱ、三治郎、喜三太、伊助、庄左ヱ門、兵太夫、金吾、きり丸、団蔵、虎若)

    この時期に毎年恒例となっている、私たちの部屋で行う背比べ。
    一年生は中央の柱、次が西、その次が東で、今年は南と、あちらこちらに刻まれてきた。
    それこそ最初はどんぐりの背比べだったのが、成長期だからだろう、年を追うごとに少しずつ間隔が離れてきて。

    「今年は、金吾を抜いたな」
    「きりちゃん、随分、伸びたもんね」
    「おぉ。毎日、骨がバキバキいって、痛いのなんのって」

    「死ぬかと思うくらい痛い」って冗談を飛ばす彼に「羨ましい」って答えながら、私は少しだけ目を瞑って祈った。