※春コミ無配


「何、これ」

突如として現れた赤。部屋のドアを開けて開口一番、そう言わずにはいられなかった。

「何ってソファ」

答えるのも面倒といった響きが下からして。俺はその赤いソファの背で目隠しとなってしまっていた奥を覗き込んだ。ゆるりとした目差しがどこか怠そうに思えるのはハチがごろりと転がっているせいだろうか。そう、ハチは小さなソファで窮屈そうに体を押し込み、それでも収まらなかった手足を外に投げ出しながら俺を出迎えたのだ。これが上目遣いであれば、まだ可愛げがあったかもしれない(まぁ、可愛げのあるハチとか想像しただけで吹いてしまいそうだが)。とにかく、柔らかそうな革はそこに沈み込んだハチは、立ち尽くした俺を理解できないといった面立ちで眺めていて。つい小言が漏れる。

「それは見たら分かる」

そうじゃなくって、と続けた声は想像以上に尖ってしまって。だからだろう、ハチは手を肘掛けの上で支えさせながら窮屈そうに折り畳んでいた体を引き起こした。自分が悪いとは全然思ってなさそうだが、一応、ちゃんと説明する気はあるらしい。

「今日、俺、休みでさ」

だが、その説明は随分遠いところから始まった。思わず「知ってる。だから尋ねてきたんだし」そう突っ込みたかったのだが、代わりに「あぁ、それで」と先を促し、唇を意図的に引き結ぶことで抑える。

「で、朝起きたら十一時くらいで」

いちいち、妙なところで話を区切るのはわざとなのだろう。このまま最後まで行き着くだろうか、と案じるのは、よく、そうやってはぐらかされてしまうからだ。前にそのことをハチに指摘したら「別にそういうつもりはねぇんだけど、何か別のとこにいっちゃうんだよな」と、全く気に留める気のない笑顔をもらったのだ。それはともかく、また、なぁなぁにされてしまうんじゃないか、って焦った俺はつい急いたことを口にしてしまっていた。

「そこはいいから、いつ、どこで、何で買ったんだよ?」
「何か、学校英語みたいな問いかけだな」

5W1H、だなんて久しく聞いてなかった言葉を唇の端に乗せ「ってか、俺、頭良さそうなこと言ってねぇ?」と一人悦に入っていきそうになるハチに「だーかーらー」と引き留める。一応、伸ばした一音一音に苛立ちを読みとってくれたらしいハチは「悪い」と肩を竦ませた。それから、まるで猫の喉や犬の背を撫でるかのような柔らかさで赤いソファに指を滑らせ--------------ふ、と熱に眩んだ。触れてほしい、と。

「……で、買ったわけ。兵助、聞いてた?」
「え、……あぁ」

つられるようにして相づちを打ったものの、熱情に眩んでいたせいだろう、ハチが何かを連ねているのは知っていたが、その内容までは全く耳に入っていなかった。ハチもまたそのことを気づいているのだろう「絶対、聞いてなかっただろ」とわざとらしく軽い睨みを寄越した。

「……そうやって思いつきで物を買うのやめろよな」
「いいだろ、別に俺の給料なんだし」

まぁハチの言うことには一理ある。一応、社会人でそれなりに給料をもらっているのだ。確かに何をどう買おうとが自分のお金で買う分には問題ないのかもしれない。ただ、それはあくまでも自分ひとりで勝手気ままに生きている場合だろう。

「そりゃそうだけど、そんな家具とかひょいひょい買ってると、そのうち座る場所がなくなるぞ」

年の瀬に付き合いだしてから三ヶ月。友人から恋人という関係に変わって初めて知ったのだが、ハチは気に入った物や興味が惹かれるものがあるとすぐにかってしまいことがある。(いや、前々から知ってはいたもの、自分自身と関わりのないところだったからあまり気に留めたことがなかったのだが、それはともかく)先週はいきなりジューサーを買ってきて「明日さ、これでバナナジュース作ろうぜ」とか何とか宣った。家電ショップで見つけたらしい。その前は、夜中の通販で買ったらしい、震える機械によって装着すれば腹筋が鍛えれる装置だった。さすがに、ここまで大きな家具の衝動買いは初めてで、だからこそ面食らったのだが。

「ちゃんと前のは処分したから大丈夫だ」

西の壁に接していたソファがなくなっている。------------自分も物に執着がない方だが、ハチは俺のそれとはどこか違う。俺の知る限り、ジューサーは、かき混ぜる歯が台所にある水切りかごに乾かすために入れられたまま今週一週間、ずっと放置されてたままだ。食器棚の一番下に追いやられるのも時間の問題だろう。腹筋を鍛える機械にいたっては、全然、目にしていない。------------------興味が失せればそれで終わりなのだ。あっけらかんと彼はなかったことにしてしまう。処分、とハチは軽く口にした割に俺にはやたらと重たく感じるのは、自分もいつかそうなるかもしれない、という想いがどこかにあるかもしれない。

「大丈夫って、そういう問題じゃないから。もの、もうちょっと大事にしろよ」
「はいはい。あ、けど、これは長く持つと思う」
「何で?」
「兵助も座れば分かるって」

俺の方に伸ばされたハチの手に、俺もまた伸ばした途端、ぐい、っと手首を捕まれて----------そうして視界が暗転した。

***

「すっかり兵助のものになっちまったな」
「え?」

本来ならば腕を置くためのアームの部分から余った足を外に投げ出してくつろいでいる兵助に、俺はソファの背もたれを掴みながら覗き込む。飛び出ている足と反対側のアームにはクッションを二つばかし当てて、そこに頭を置いて寝ころんでいた兵助が視線をこっちに寄越した。手には俺がまったく理解できない(まぁ理解しようとも思わねぇけど)言語が綴られている本。それを胸元に引き寄せた兵助に俺は顎をしゃくった。

「そのソファ」

最初はあんなに買ったことボロクソ言ってたのに、と俺が揶揄をすれば兵助はバツが悪いのか、そっぽを向こうとした。だが分厚いクッションがそれを邪魔したのだろう。下に顔を埋めることのできなかった兵助は顔を横倒しにしながら「……思ったより、心地よかったから」とぼそりと呟いた。
座り心地が良すぎて衝動買いしてしまった赤いソファは、すっかりと兵助のものになってしまった。俺の部屋にくる度に、テレビやDVDを見たり雑誌を読んだりするのもそのソファの上なわけで。体を丸めてもすっぽりと収まってしまうわけでもないのに、器用に手足の位置を工夫しているのだろう、よくそこでうたた寝しているのを見かける。もはや兵助の定位置だった。ここ最近、毎日のように兵助が俺の部屋に入り浸って半同棲状態になっているせいか、俺がソファに座れることはない。兵助がいない時も、なんとなく兵助のものな気がして、座れずにいたのだが、だが、ふ、と唐突に俺もその居心地のよさを味わいたいたくなって。

「なぁ、代わってよ」

そう頼み込んだのだが、あっさりと「やだ」と拒否されてしまった。胸元に下ろしてあった本を掲げようとした兵助に「ケチ」と口を尖らせてみたものの、今度は視線を向けることすらしなくて。仕方ない、と俺はソファの背とは反対側に回り込んだ。それから兵助のわき腹辺りから背中に掛けて手を差し込み、引き起こすことにする。

「え? ちょ、ハチ、何?」
「だから俺にも座らせてって。兵助が退きたくないんなら二人で座るしかないだろ」
身を捩って「や、どう考えたって無理だろ」と拒否をしてくる兵助に「えー」とブーイングを浴びせる。

「だって、一応、二人掛けのソファだぞ、これ」

ディスプレイには確かに二人掛けの文字があった。それを思い出して、座ることくらいなら一緒にできるだろう、と踏んだからこその行動だったのだが、兵助に「だから無理だって」ときっぱり否定された。

「一人で座るには広すぎて、二人で座るには狭すぎる」
「あーでも男女だったら座れるのか?」
「無理だろ」

本日、何度目かの一刀両断。何で、と目だけで問いかける。

「俺、そこらの女より細いぞ……まぁ、自慢になんねぇけど」

そう笑う兵助は確かに細かった。俺が手を回せばひょいと余るくらいに。細いというよりも薄い、と形容すべきなのかもしれない体躯は抱き心地がよいとはいえなかった。自分としてはもう少し肉付きがよい方が好みなのだけれど、そんなことを言えば「じゃぁ、女と付き合えばいいんじゃないか?」と結論付けられて終わりそうな気がして、口にしたことはない。

(肉付きが悪かろうがなんだろうが、それでも俺は兵助がいいのだけれど)

そうは思うものの、そのこともまた口にしたことがなかった。

「これ、どう考えても二人掛けじゃないだろ」
「じゃぁ、何で商品のところに二人掛けって書いてあったんだ?」
「さあな。店の人が間違えたんじゃないのか? とにかく、このソファを二人で使うなんて絶対無理だろ」

そっか、と肩を落とし掛けた俺は、ふ、と思いついた。

「なぁ、俺、一個思いついたんだけど。二人でソファ使う方法」
どうやって、と目だけで問いかけてきた兵助に俺は腰を折り曲げ顔を近づける。手を突っ張らせたつもりが、思った以上に沈み込むソファ。その勢いのままに兵助の唇を塞げば、驚いている兵助が閉じた瞳の中で揺らいだ。

「っ」

じわ、っと燻っていた欲が一気に加速する。もっと、と追い求める舌がざらりとした兵助のそれを捕まえた。熱い。灼き尽くされそうだった。じん、と甘い痺れに眩む。このまま一つに溶けてしまえばいい。

「……ぁ」

艶めいた吐息は自分のものとも兵助のものとも分からないくらい絡み合って、ソファに零れた。口がもがくようにして空気を取り込んでもなお収まらない熱。まだ整わない息のまま「こうやってなら、二人で使えるだろ」と覗き込めば、ソファのごとく顔を赤らめた兵助に「馬鹿」と返された。

「今度さ、一緒に棲む部屋、見に行かねぇか? このソファがぴったりの部屋」



帰るならここだけで

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