「兵助、早ぇな」

待ち合わせは朝の11時。大学の近くのコンビニで、と、実家に帰ったハチから届いたあけおめメールに、3日間の間ずっとふわふわと浮ついていた気持ちは、一気に萎んだ。そこには、待ち合わせの相手ではなく、よく知った、そして厄介な友人が立っていた。

(げ、三郎)

大学の最寄りのコンビニだが、三郎の住むアパートからは遠い。それなのにヤツがいるということは、考えられる可能性は三郎もまたハチに呼ばれた、と考えるのが一番筋が通っている。それでも、まだ基本的に遅刻はしないがギリギリに到着する三郎がこんなにも早く待ち合わせの場所にいることに、もしかしたら別の用事でここに来ているのかも、という僅かな望みに賭けて、三郎に尋ねた。

「何で、お前がいるんだ」
「何でって、お前と同じだろ? ハチから呼び出しを食らったんじゃねぇの?」

だが、三郎にあっさりと望みを絶たれてしまった。顔に出すつもりは毛頭なかったが、気を落としたのが伝わってしまったのだろう、「悪かったな、俺もいて。というか、俺だけじゃなくて、みんな来るだろうけど」と言われてしまった。言葉面だけを見れば謝っているように思えるが、実際は違う。にやにやとからかうようにして笑う三郎に心底、腹が立った。

「悪いだなんて、思ってもないくせに」
「思ってるさ」
「冗談だろ。どうせ面白がってる」
「まぁ、それは否定しないな。堅物兵助の初恋なんて面白いもの、私が見逃すわけないだろ」

からからと笑う三郎を空いていた足で蹴ろうと思ったけれど、動きが大きかったためかバレて、ひょぃ、と避けられてしまって。ムキになるもの馬鹿らしくて、俺は一つ溜息を吐くと、「もう帰ろうかな」と、三郎が来るまでずっと読んでいた雑誌を陳列棚に戻した。

「帰るのか? もうすぐ来るだろ、みんな」
「まだ15分もあるし、まだだろ」

約束の時間のことを考えれば寝正月だったここ2日と同じ時間に起きたって全然余裕なのに、大学に行くときよりも早く起きて身支度を調えてしまえば、やることはなくなってしまって。どう考えても早いって分かっていたんだけれど、家にいてもそわそわしてしまって。どうせなら、先にコンビニに行って雑誌でも立ち読みをして心を落ち着かせようと思って来たのだけれど、三郎の顔を見たら、もう何か期待していた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。

(馬鹿だよな、普通に考えたら、そうなのに)

俺はハチに想いを寄せているけれど、ハチにとって俺はよく遊ぶメンバーのひとりでしかなくて。初詣にこうやって誘ってくれたのだって、ひとりの友人として当たり前のことなだけで、特に意図なんかなかったのだ。他の奴らと同じようにメールを送ってくれたんだろう。

(なのに、何、期待してたんだろ……)

気を持たせられた、だなんて言うつもりはない。その明るく朗らかな性格の彼からすれば、当然のことなのだ。俺を誘ったのも三郎を誘ったのも他の連中を誘ったのも、ハチにとっては、ごくごく普通の行動だ。なのに、それを俺が勝手に勘違いして、ひとりで浮かれていただけなのだ。

(本当に、馬鹿だよな……俺だけを誘う、だんなんてあるはずがないのに)

***

正月ぐらいは帰らないとうるさいんだよな、とハチは年末に地元へと帰ってしまった。実家に帰ってしまったハチとは年越しができないのは残念だったけど、仕方ない。他の奴らから誘いがなかったわけじゃないが、ハチと一緒でないならば、わざわざ大晦日の日に出歩かなくてもいいか、とテレビを見て年を越すことにした。部屋のこたつでぼけっとしていると、気が付けば新しい年になっていて。テレビの画面の中で芸人やらアイドルらが飛び跳ね笑い新年を祝っていた。

(あー、もう寝ようかな)

元々、騒々しいテレビ番組は好きになれない。だが、今日ばかりはどのチャンネルに換えても似たり寄ったりだった。クラシックのコンサートのは嫌いじゃないが、たぶん、聞いている内にどっちにしろ寝ていってしまうだろう。とりたて、朝に早起きしなければならないような用事もないのだが、このままテレビを見ている気になれず、俺はテレビを切った。こたつから出て、三歩も歩かずにぶつかるベッドの布団に潜り込む。

(12時15分すぎか……この分だと、7時前には目が覚めてしまいそうだな)

何時にアラームを掛けようか、と迷いつつ携帯と睨めっこしていると、不意に手の中のそれが、震えた。何だろう、と見れば、携帯メールの受信を示すアイコンが一つ増えていて。誰かからの年賀メールだろう。年末年始の回線が混線することを思うと、思ったよりも早く届くんだな、と感心しながらアラーム画面を終えた。もらった以上は返事をださないとなぁ、とやや面倒な気持ちで受信ボックスを開いて。

「っ!」

驚きに、一瞬、折りたたみの携帯を閉じてしまっていた。一呼吸。もう一回開けてみる。やっぱり、夢じゃない。そこにあるのはハチの名前だった。緊張に指が笑ってしまう。引きつる鼓動を宥めつつ、なんとかそのメールを選んで開いて---------------年賀の挨拶と共に書かれていたのが、初詣への誘いだった。3日には帰ってくるから一緒に初詣に行かないか、という文面に、俺はすぐに返信ボタンを押した。

(どうしたらいいだろうな……)

断る理由などもちろんない。問題は、『行く』をどのように伝えるかだった。『行く』とだけの返事では素っ気なさ過ぎる。すごく行きたいのだ。それだけでは、ハチにそのことが伝わらないだろう。けれど、絵文字なんてものを使う柄じゃないし、喜びが過剰すぎて伝わってハチに引かれるのも嫌だ。悩みに悩んだ結果、俺が文章を作り上げてメールを送ったのは1時を回っていた。

***

(すごく楽しみにしてたんだけど、な)

「兵助? 何、ぼんやりしてるんだ?」
「……いや、何でもない」
「まぁ、お前がどうしても帰るって言うんなら、ハチに『体調悪そうだから』って言って置くけど」

三郎の提案を俺は「頼むからそれは止めてくれ」と遮った。

「急用ができた、とかそんなんでいい」
「何で?」
「体調が悪い、だなんて言ったら、ハチのやつ見舞いに来そうだから」

来そう、じゃなくて来るだろう。前に、寝不足で身体がなんとなくだるくて講義に出る気になれずに休んだことがある。同じ授業を取っていたハチが心配しないようにと思って「体調が悪いから休む」なんてメールを送って、うとうとと寝ていたら、ものすごい勢いで部屋のチャイムが連打されて。何だ、と寝ぼけた頭でそのままの格好で出てみれば、「大丈夫か?」と、りんごやらヨーグルトやらスポーツドリンクやらが入った袋を抱えたハチが扉の前に立っていた。

(さすがに、あの時は寝不足だ、だなんて言えなかったよな)

熱は、鼻は、喉は、と心配を立て続けにするハチに、とうとう本当のことが言えず、俺は自分のベッドの中で「大丈夫だから」と繰り返すことしかできなかった。本当は寝不足なだけなのに、すごく心配してくれるハチに申し訳ない、という思いでいっぱいだった。

「何でだ? チャンスじゃないか」

三郎は不思議そうな面持ちを浮かべた。そう、確かにチャンスだろう。きっと、体調が悪い、なんて言えば、きっとハチは見舞いに来てくれるだろう。けど、嫌だった。一つは、ハチに嘘を吐きたくないという理由。体調が悪いというのは嘘なわけで、できればハチにはありのままでいたい。もう一つは、ハチに部屋に来てもらったら、きっと緊張で話すことができないだろう、ということだ。

(あの時は、まだ、ハチのこと想ってなかったしな)

そう。あの時は本当に単なるひとりの友人としてしかハチのことを見ていなかった。あの時は、意識なんてしていなかったから、全然、平気だった。むしろ、このことをきっかけに、ちょっとずつハチに惹かれていっって------------今、もしあの時と同じ状況になったら想いが溢れてしまいそうだ。けど、もしそうなったら、その後が怖い。

(ハチに振られたら、って思うと)

「何でも」
「新年を機に心機一転、言ってみるとか」

三郎の言ってみる、というのは、おそらく、想いを伝えるということなのだろう。

「できないし」

ハチにとって、俺は友達のうちのひとりでしかないのだ。俺が想いを伝えたところで、きっと「ごめん」って言われるに決まっている。そうなった時、何事もなかったかのように友達として振舞うことができるのか、って言われたら、絶対に無理だった。どうしたってぎこちなくなってしまうだろうし、下手をしたら、喋ることすらできなくなってしまうかもしれない。

(そんなの、嫌だ。今の関係を崩すくらいなら、告白しない方がマシだ)

やつの言いたいことは分かったけれど、それに応えることはできない。だから、俺がそう答えると三郎は不服そうに「あ、っそ。まぁ、私はどっちにしたって関係ないけど」と俺を見遣った。まだしばらく訴えるような眼差しをしていたけれど、俺の意志が変わることはない、と分かったのだろう、わざとらしい吐息を零して、それから話を変えた。

「それにしても、勘右衛門のヤツ遅いな」

そう言われて、改めてコンビニの壁に掛けられている時計を見る。約束した時間にはまだ5分以上もある。まだ来てなくても構わない。それでも三郎がそう言ったのは、雷蔵や勘ちゃんは、三郎と違っていつも5分くらい早めに現れるからだろう。雷蔵の名前を挙げなかったのは、何か理由を知っているからだろうか。

「まぁ、けど、仕方ないか。つうか、言いだしたヤツが来てないとか、何なんだ。何分、私を待たせてる気だ、ハチのヤツ」
「というか、何で、三郎がこんなに早くに来たんだ?」

15分も前から来ているとか、今まで、そんな三郎を見たことがないだけに、ふ、と宿った疑問をそう零すと、三郎は「あー」と面倒そうに文句を零した。

「もともとコンビニに出掛けようとしていたところに、雷蔵から電話が来たんだよ。『初詣に行くから、大学のコンビニ前に来て』って」

それでこんなに早くに来たんだろうか、と思っていると三郎がさらに吠えた。

「だいたい、30分前に急に電話してきて『今から、初詣に行こうぜ』とか、無茶苦茶だよな。雷蔵なんて、あれ、絶対寝ていたところをハチに叩き起こされた、って声だったし」
「え?」

三郎の言葉に思わず「30分前? ハチから連絡があったのって」と反応していた。俺が飛び付いた理由が分からなかったんだろう、三郎が怪訝そうな面持ち俺に見せながら「あぁ」と頷いた。それから「私に雷蔵から連絡があったのが、ちょうどコンビニに行こうと部屋を出ようとしていた時だから……20分くらい前って考えると、雷蔵に電話があったのは30分くらい前だろ」と続けた。

(どういうことなんだ?)

俺に連絡をくれたのは元旦だった。--------------それが意味するのは、つまり、

「あ、ハチのヤツが来た」

ガラス窓の向こうで、よ、っと言わんばかりに手を挙げているハチの笑顔。もしかして、と期待する自分と、また期待してがっかりするだけだ、と諌める自分。どうすればいいのか分からず、馬鹿みたいに騒ぐ心臓を必死に押さえながら、俺はハチに掛ける第一声を探した。