これの続きですが、単品でもおっけーです。節分話。



外に出ることのできる裏口から伸びてきている通路は硬い冷たさに沈んでいて凍っているかのようだった。はぁ、と息をわざわざ零さなくても目の前で白が勝手に編まれていく。手首や襟ぐりといった隙間から入り込む冷気に、ぞわり、と一気に膚が坂だった。バイトから上がって着替えている最中は極寒にしか感じれなかったスタッフルーム券ロッカールームも、こうやってさらに寒い場所に出れば、さっきのはまだマシだったと思えるのだから、不思議なものだ。

(あ、ちょっと早かったかもな)

鞄に突っ込んであった携帯をダッフルのポケットに移し替えようとして、21:10という数字がサブディスプレイに刻まれているのを目にした。ハチとの約束は15分。5分は待たなければならない。通路でこれだけ寒いのだ。外はもっと寒いだろうな、と考えるだけで鳥肌が深まった。

(けど、今更、ロッカールームに戻るのもなぁ)

バイト仲間に別れも告げているのだ。戻っていけば詮索とまではいかないものの「どうした?」と聞かれるだろう。忘れものとか理由をこじつけないと厄介になるのは目に見えていたが、どうも、そういうときに嘘を吐くのが俺は苦手だった。

(待ち合わせている相手が来てなかった、なんて言おうものなら「え、誰? 誰?」なんて周囲が煩くなるだろうし)

カノジョかと問われたら即座に否定できるが、友人かと聞かれたらすぐに首を縦に振れない気がした。-------------だって、ハチは友人じゃないのだから。だが一部の友人を除いてハチとのことは話していなかった。いくら恋愛の形は自由だとはいえ、マイノリティーであることには変わりない。

(家族にすら、言ってないからな)

別に言いたくなきゃ言わなくていいんじゃねぇの、なんてハチは言っているけれど、この先、隠し通すことができる、って気もしない。けど、それ以上に、ハチとこの先もずっと一緒にいることができるのか、という保障はもっとないわけだ。明日傍にいても、10年後、20年後----------------そうやって、考えていくと、想像がつかねぇ。それこそ、80歳のじぃさんになったとき、どうしているんだろうか。歳を取っても、一緒にいるんだろうか。

(って、何、変なこと考えてるんだろうな)

押し寄せてくる昏い気持ちを振り払うように「寒いけど、外で待ってるしかないな」と別事を呟き、思考を切り替える。首に巻き付けたマフラーにできるだけ顔を埋めれば、毛糸が口先で絡んだ。感触はいいとはいえないが、それよりも寒さに耐える方が優先事項だ。ちょっとに息苦しさを我慢し、ドアを開けるためにポケットに突っ込んでいた手を出そうとすれば、鞄がずり落ちそうになって、かけ直す。と、中にいれてあるDVDの山が、がさっ、っと音を立てた。

(つうか、こんなに寒いのに悪かったよな。別に俺がハチの分も借りていけば済む話だったし)

来ると言ったのはハチの方だったし、今更「俺が借りていく」なんてメールをしたところで、もう家は出ていることだし考えても仕方のないことなんだろうけど、あまりの寒さにそんなことを思う。はぁ、と溜息を白くさせ、皮膚が貼り付きそうなくらい冷たいドアノブを開けた。一歩、外に出ると、少し先の建物の影で黒が一つ揺らいだ。

「お、兵助。おつかれ」

ハチ、だった。まさか、と驚きに声が出ない。代わりに慌ててハチの元へと駆け寄る。俺と同じようにダウンの格好とはいえ、うぅ、と呻きを漏らすハチは明らかに体が震えに大きく揺れていて、それを自分で止めれないようだった。近づけば、空気に触れている鼻や耳は赤く、目は凍てついた空気に攻撃されて涙の幕が張っている。

「いつから待ってたんだ?」
「ついさっき」

ハチの様子からそれは嘘だと分かっていたけれど、自分でも多分同じように見栄を張るだろうから、そこは突っ込まないでおく。代わりに「中、入ってればよかったのに」と言えば、「や、部外者だからそれは無理だろ」と寒さで引き攣る唇をハチは無理矢理緩めた。

「とりあえず、行こうぜ」
「ん」

縮こまった背中はまだ震えていて、なんだか、ちょっとそれがおかしくて。それから、ちょっと倖せな気がして。----------------俺は空いている手を、そっとハチの掌の中に入れた。ひやりとした指先が、小さく跳ねて、けど、そのまま、ぎゅぅと握りしめられる。分かち合う体温。

「兵助の手が温かいとかちょっと貴重だな。いっつも、俺の方が温かいし」
「そうかも」

俺とハチとの間で、ぶらぶらと揺れる影は、笑っているようだった。


***

レンタルショップに行く前に、「食う物がなにもなかったんだ」と駈け込んだ閉店間際のスーパーは、ぴかりと乾いた光が床に落ちていているのだが、人気と活気がないせいか、ちょっと薄暗く見える。自動ドアの動きさえ、どこか緩慢に見えた。振り解いた訳じゃなく、振り解かれた訳でもなく、自然と離れてしまった指先。移ってしまった温度がどっちのものか分からないくらいだったから、ふ、と淋しさが宿ってしまう。

(でもまぁ、人前で繋ぐのはな……)

男同士だから、というよりも、個人的な性格の問題で、ハチと二人の時以外に手を繋ぐのはどうも苦手った。だから、むしろ、淋しい、なんて思った自分に驚いて、つい立ち止まって、まじまじと手を眺めていると「兵助?」と先を歩いていたハチが俺が付いてきてないことに気が付いたのか、振り返った。

「や、なんでもない」

まだ不思議そうな面持ちをしていたけれど、俺が小走りで近づけば、ハチはオレンジ色のカゴを手に取った。ハチに持たせるの悪い気がして、けど、言ったところで譲らないだろうから、後ろから「カート、使うか?」と訊ねたけれど、振り返った彼は思案することなく「そんな、買わねぇからいいよ。ありがと」と断ってきた。

「けど、冷蔵庫、何もないんだろ」

てっきり食料品を買い込むのかと思っていただけに不思議に思って訊ねると、ハチは周りに誰もいないのに、俺に顔を近づけ声を潜めた。

「あー、けど、この時間だと、物がよくないだろ。保ちが悪い」

その辺りの感覚は俺よりもハチの方がしっかりしているのは事実なので特に反論をせず「明日、また来ようぜ」という言葉に頷く。そうなると行く場所は限られている。店の奥まったところにある総菜コーナーだ。いつもなら野菜のコーナーから順に精肉、鮮魚と回っていって、あまり総菜コーナーには足を踏み入れないのだが、今日は日用品を突っ切って、そのまま向かうことにする。

「もう、たいした物残ってないだろうな」
「まぁ、俺は、お腹に入ればなんでもいいけど」
「唐揚げとか酢豚とかそういった油物なくても? ポテトサラダだけとか」

ぶらぶらとカゴを揺らしながら歩くハチにそう聞いてみれば焦ったように「や、それは勘弁だけど」と手を振った。そんな会話をしつつ総菜コーナーを除いてみれば、想像通り。保温のための棚はすっからかんで、下に引いてある敷物の緑色がやたらと目に付いた。

「げ、マジでかよ」

残っているのは元の値札の上に三割引のシール、さらにその上に半額とギザギザしたものに囲まれた文字が躍っているマカロニサラダやひじきと豆の煮物なんかだ。油物といえば、せいぜい、大学芋くらいだろうか。さすがにイカリングとか焼き鳥くらいは残ってるだろうな、と予想していたのだが、どうやら、それも外れてしまった。

「どうする? コンビニでも寄る?」

がらんとした通りには他に客の姿はない。直に蛍の光が流れ出すだろう。ここで悩んでいても直に追い出されるだろう、と提案すると、ハチは「あー」と考え込むように目を上に遣った。それからしばらくして溜息を大きく吐くように「そうすっか」と答える。多分、考えていることは同じだ。最寄りのコンビニは、アパートをだいぶ通り過ごしたところにあって、面倒なのだ。

「まぁ、仕方ねぇよな」

ハチの手から吊り下がっていた空っぽの買い物カゴが、諦めたのか、ぶらん、と揺れた。踵を返して歩き出したハチに「さっさとDVD返して、帰りに寄ろう」と声を掛ければ、唐突に、ハチの動きがなくなった。ぱ、っと現れた壁に、ぶつかりそうになる寸前で、足を踏ん張って回避する。

「どうしたんだ?」

総菜コーナーの通路に置かれた特売品のショーケースの前で足を止めているハチの背後からひょいと覗き込む。と、

「恵方巻?」

パックの中に収まっているのは、しなっとのりの太巻きだった。黄色に赤という目立つ配色のチラシに『広告の品 恵方巻』なんて文字が躍っている。それを見て、ハチが「節分とか、すっかり忘れてたな」と呟いた。俺も、と同意する。たぶん、スーパーに来なかったら、気づかなかっただろう。

「節分ってさ、一番最初になくなる行事だよな」

ふ、と思ったことを口にすれば、隣でショーケースを眺めていたハチが、俺の方に視線を寄越した。その目が、どういうことだ、と問うている気がして、「ほら、子どものころは豆まきとかしたけど、せいぜい小学生ぐらいまでだろ」と事訳する。それから「小学校の頃は、給食とかにも出たし」と続ければ、ハチは「あった、あった!」と目を輝かせた。

「懐かしいな。歳の数分以上入ってて、残りは家に持ち帰ったよなー」
「そうなのか? 俺のところは担任が全部食べろって」
「え、あれ、歳の数以上食べちゃいけないんじゃねぇの? そう思って、俺、我慢して親父とかお袋にあげてたのに」

驚きに口を大きく開けて興奮するようにそう言っていたハチは「じっちゃんが八十個も食べるのとか、すげぇ羨ましくてさぁ、早く大人になってそんだけ食べてぇ、って思ってたんだよなぁ」と懐かしそうに目を細めた。

「じゃぁ、今夜は恵方巻買って、あと豆も買って豆まきでもするか?」

冗談のつもりでそう言ったのだが、思った以上にハチは乗り気だったようで「お、いいね」と顔を明るくさせた。さっそく、ショーケースの中から半額のシールが付いたそれをハチは買い物カゴに1パック移した。結構な太さはあるし具材もたっぷりという感じだが、この太巻きには肉類や油物は入ってなさそうだ。この半分だけでだけでハチが満足するとは思えず、「え、2本でよくないか? 足りないだろ」と新たに追加しようとした俺の手をハチが止める。

「だって、これだけで飯ってことはないだろ? 飯系はこれ1本にして、あとはコンビニで何か買ってこうぜ」
「寄るなら寄るでいいけどさ。けど、恵方巻って切ったらまずいんじゃなかったっけ?」

恵方巻はここ数年で急にメジャーになった食べ物な気がする。少なくとも、俺が子どもの時に、節分の時にそんな食べ物の話を聞いたこともなかった。だから、実を言うと食べるのは今回が初めてだったりする。だから嘘か誠かは分からないが、そんな話を聞いたことがあった気がしてそう訊ねると、「じゃぁ、1本にして、ポッキーゲームみたいに食うか?」と冗談を言ってきたものだから、ど突いておく。

「ってぇ」
「ハチが変なこと言うからだろ」

痛がっているハチを置いて、さっさと歩き出せば「悪かった」とすぐに声が追っかけてきた。隣に並んだ買い物カゴには恵方巻が2パック入っていた。

「豆、売ってるかな?」
「この近くとかにあるんじゃないか? 関連商品だし」
「お、あった!」

ハチの嬉しそうな声に、俺も視線の位置をハチと同じ方向に向けると、明日には見切り品になるであろう、鬼の面が付いた豆が積まれていた。普通に考えれば、やっぱりこの行事は、小学生がいるような家族がするのがほとんどだろう。どれも、ファミリー用なのか、一袋に入っている豆の量は想像よりもずっと多かった。100個以上、入ってるんじゃないだろうか。さすがのハチもその袋を手にはしたものの、すぐにカゴに入れようとはせず、どうする、って俺の方に視線を寄越した。

「歳の数ってことは、1人19個として、2人で食べてもだいぶ余るな」
「来年まで取っておけねぇよな?」
「さすがに、それは無理だろ」

俺が否定するとハチは「だよなー」とあっさりと諦め、そのお面付きの豆を商品棚に戻した。それから「まぁ、いいか。先は長いし」と意味が分からないことを呟いた。どういうことだろうか、と「長いって?」と言葉尻だけをハチに訊ね返す。

「ほら、80歳とかになってからでも、食べれば余らないから、その時でもいっかと思って」
「何でだ? 80歳だと80個ってことは、それでも余るだろ」

どう考えても、袋に入っている豆の数は、100個以上はかたい。だからそう指摘したのだが、ハチは不思議そうな面持ちで「へ? どうして?」と首を傾げた。まだ分かってない様子のハチに「だって、100個以上入ってそうだろ、これ。一人で80個食べても、まだ余るって」と教える。すると、ハチに「何、言ってんだよ。足りねぇくらいだろ」と言われて。今度は俺が首を捻る番だった。

「何で足りないんだ?」
「何でって、一緒に食べるからに決まってるだろ。俺と兵助と2人で」

やっと意味が分かって-----------------俺は、空いているハチの手を、そっと握った。驚いたようにこっちを見たハチの表情は、すぐに優しい笑みへと変わり。そのまま、ぎゅう、と握りしめられる。温かい。自分の温もりとハチの温もりとが、混ざり合って、分からなくなる。分かってるのは、ただ、倖せだ、ということだけだ。

「80になっても?」
「あぁ。80になっても、一緒に」

いつか、年老いて手がしわしわになってしまってもこうやってハチと握っていたい、そう思った。



しあわせならてをつなごう