(行かねぇと) 蹴り上げるような、落ちるような感覚に、布団を跳ね除けた所で目が覚めた。 詰まるような息苦しさに、喉がひりひりと灼けつくように痛い。 焦燥感に逸る心臓は早鐘を打ち、中々、収まろうとしない。 抑え込むようにシャツをぐっと握りしめ、ひとつ、大きく息を吐き出す。 行かねぇと、と訳も分からず急かされる感情と、ぽつりと置かれた布団の上の現実とがかみ合わず、徒労感が重くのしかかる。 「って、どこへだよ」 あてどのない問は、幼いころから何度も繰り返してきたものだった。 振り払うように、自分に言い聞かすように、はは、と乾いた笑いを上げて。 むん、と部屋に籠る熱が煩わしいほど肌に貼りついてきて、「今日も暑くなりそうだな」と独りごちた。 薄い被膜に覆われたようにぼんやりとした夢は、掴もうとしても指からさらさらと零れ落ちて、残像すら掠め取ることはできず。 ただ、棘が刺さったような、小さい、けれど、確かな痛みが頭に棲みつく。 淀んだ空気でも入れ換えれば頭痛も収まるか、と布団から這い出て窓際へと足を向けた。 桟に半身を預け、勢いに任せてアルミサッシを開くと、夜明けが出迎えた。 水底にいるような、青の世界が。 時々、叫び出したくなるくれぇに、水に焦がれる。 その感情は、何の脈絡もなく、嵐のように俺の中に吹き荒れる。 数学で計算をしていて答えが合わなかった時であったり、部活中に走り込みをしている時だったり。 それから、こうやって、青に覆われてしまった世界を見るたびに、どうしようもなく焦がれるように求める。 ----------- あぁ、青に溺れてしまいそうだ。 *** 射るような日差しの強さが体に気だるさに蓄積させていく。 水面から出ている肩や首筋が焼け、ひりひりと熱を孕み出しているのが分かる。 鮮やかな青空をくっきりと刻む白い雲は、迫りくる季節を象徴しているかのようだった。 普段なら部活に励む日曜も、さすがに大会後となればオフになる。 誰もいないプールは恐ろしいほどに静まり返っていて、部長権限の合鍵で侵入した俺の前を、アメンボがすぃと過った。 教師に見つかっては厄介だ、と校舎の陰に隠れるようにしてプールの端を選び、水音を立てないようにと、泳ぐというよりは潜っていた。 なんでもよかった。水に触れていることさえできれば。 熱を帯びた風に、干からびていくような感覚を覚え、目の前の水を掬って、そのまま顔に浴びせた。 俺の中に触れる空気を大きく押し出し、それから、再び、外の世界を中にとり込んだ。 それから、ゆっくり、水の中へと体を沈めていく。 蒼の世界は肌に恐ろしいほど馴染んでいて、手をひと掻きしなければ、自分との境界が分からなくなる。 水圧に閉ざされたせいか、地上よりも鈍くなった音は耳の辺りを柔らかく包み込んでくる。 ふ、と見上げると、ゆらゆらと、青い太陽が遠くにあった。 (あぁ、) こうやって水の中にいる時、微かに暗い水底から青い太陽を見ている時、一番感じるのだ。 滾るような血の拍動を、漏れていく息を、自身のバイタルサインを。 生きている、という実感を。 このままいれたらな、と思うものの、俺の肺腑は当然のことながら青の世界で生きるようにはできていねぇわけで。 頭の奥が霞んでいく感覚に俺は、俺は、ぐっ、と押し込めていた力を解き放ち、一気に水面へと浮上した。 ザバァァッ、と耳元を水音が爆ぜ落ちるのがやけに速く、感じたと同時に残響だけが鼓膜を揺るがす。 髪から滴り落ちてくる水は、微かにツンとした、人が造り出した匂いがした。 (なんか違ぇんだよな) 体に染みついて抜けそうにねぇ塩素の匂いに、つい、そんなことを感じる。 プールの中に潜った後、浮上した時にいつも覚えるその違和の正体を、あの夢がさらさらと掌から零れ落ちていくのと同じように、掴むことができなかった。 だが、執拗なまでに水を焦がれて焦がれて求めていた体が、「違ぇ。ここじゃねぇ」と叫んでいる。 「また、勝手に泳いでるのか?」 いつの間にいたのだろうか、プールサイドにクラスメイトの仙蔵が立っていた。 違和に囚われていたせいか、こいつが気配を消すのがうまいせいか、全く気がつかなかった。 何かの用事で登校したのだろう、きちんと着こなされた制服は、やけに涼しげに映る。 夏だというのに恐ろしいほど白い爪先で、仙蔵はあやすように際にある水を軽く蹴り上げた。 跳ねた飛沫が光に透けて、きらきらと、零れ散っていくのを見やりながら答える。 「あぁ。なんか落ち着かなくてな」 「勝手に入って溺れでもしたらどうする」 心配というよりは、そうなれば迷惑だと言わんばかりに、仙蔵の整った眉が盛大に潜んだ。 きつい日差しが、わずかな風に細波立つ水面で跳ね返って鏡のように煌めく。 光が網目のようになって、水底が揺らめいていた。 「しかたねぇだろ。水の中だと楽に息ができる」 「お前は本当に水が好きだな。……昔から」 「前世に、海の中で死んだとかかもな」 冗談で返した俺の言葉に、仙蔵の眉間の刻まれた皺が、一段と深くなるのが分かった。 さっきの呆れた表情とは違う、どことなく、昏い目をして俺を見ていた。 痛そうに歪んだ唇が、苦しそうに息を一つ零した。 「……あほ。どうせ前世は魚だったんだろう」 (なぁ、あの夢にお前が出てくる気がするっつったら、お前は嗤うだろうな) 青いバイタルサイン
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