※「Knockin’on Heaven’s Door」パロ。病の末期の二人の話が強盗やのなんやのするロードムービーなので、そういう描写を含みます。



「あー、緊張したっ、」

この心臓がもうじき止まってしまうなんて信じれないくらい、ドコドコと胸を叩いている。まだ右の指先が銃の引き金の形に凝り固まっているようで、俺は左手でそれを撫でて解しながら三郎の方を見遣った。ハンドルを握っている彼は「そうか?」といつの間にか手に入れた煙草が落ちない程度に、唇を緩ませた。さっきまで車内に満ちていた青の匂いに苦みが増す。

「まだ心臓がドキドキしてるし」
「私は面白かったけどな」

さっきのことを思い出して、「三郎って役者だったのか?」と問えば、「まさか」と彼は体を揺らして笑った。車体が崩れることはなかったけど、葉巻の先に溜まった灰がひらりと落ちる。片手で灰皿に押し付ける姿は様になっていて------つい、見とれてしまっていた。

「なんだ、私の顔に何か付いているか?」
「え…いや。本当に役者じゃなかったのかと思って」

本当のことを言うのが気恥ずかしくて誤魔化したが、三郎はそのことには気づいてないようで。笑っていた目をさらに細めて歌うように「勘右衛門と比べたら、誰でも役者になれるさ」と楽しげに俺がはぐらかした話題に応じた。

「なんだよ、それ」
「そのまんまさ。私は警官と話している最中に、いつ勘右衛門が飛び出てくるか、気が気じゃなかった」



***

店主の言葉と同時に、ガタン、と鈍い音が響いたのが分かった。溝を蓋したコンクリートに車が乗り上げたのだろう、店に入ってくる車体の天辺には青のランプ。警察、だ。隣で三郎が小さく舌打ちした。「勘右衛門、交代だ」と手渡された銃にどうすればいいのか分からず、ぐるぐるとその場で回りたくなるのを抑え、とりあえず店主に突きつけたままでいると、「早く、そいつを連れてカウンターの下へ」と叱責が飛んだ。

「おじさん、俺も犯罪者になりたくないもんで」

分かってくれますよね、と目だけで訴えれば、こくこく、と壊れたバネ人形みたいに店主が頷いた。目と手はそのままに、横のドアから店主がいる側へと入り、銃を突き付けたまま彼を裏手へと座らせる。その後で、三郎が続いた。といっても、彼は軽々とカウンターを飛び越えて。

「おっさん、喋るなよ」
「三郎、何か策があるのか?」
「まぁ、な」

横顔に刻まれた笑みは輝いていて、俺は何だか怖い物をみてしまったような気がした。と、店の入り口についていたカウベルが眠たげな音を立てた。扉が開くと同時に、なまったるい空気が流れてくる。几帳面そうな、歩幅のきっちりとそろった足音。狭い店のことを考えれば、恐らく三郎とその人物はカウンターの板一つ分だけの距離で対峙しているのだろう。

「おやじは?」
「おやじ? 私のかい?」
「まさか。ここのおやじだよ」

顔は見えないけれど、腹の底から出ているようなどすをきかせた声に、俺の肩は自然と跳ねた。覇気というか、振動が伝わってくる感じ。よく三郎、逃げ出さないよなぁ、と思いながら、聞き耳を立てる。もちろん、店主に銃を見せつけるのは忘れずに。

「あぁ……彼ならどこか行ったよ。今日は私が代わりに入ってる。注文は?」
「どこに行ったか知らないか? いつものだ」
「知らないな。いつものって?」
「いつものといえば、いつものさ。おかしいな、おやじから聞いてないかい?」
「おかしいも何も、聞いてないんだから仕方あるまい」

表面上は友好を装っているのに、二人の間を繋ぐ緊張は今にもぷちりと切れてしまいそうなぐらいに張りつめているのが分かる。ごくり、と唾を呑みこみそうになるのを、音を立てたらまずい、とぐっと押し込めて。と、隣にいる店主の唇が薄く開いた。何か喋ろうとするならば塞がないと、と注視する。だが、先に動いたのは、三郎だった。凝り固まった空気を融解するように「それはそうと、」と秘密話を持ちかける様な色めいた声音で警官に話しかけた。

「呑まないのかい?」
「……呑むさ。その棚の3つめ……あぁ、それだ」

三郎の靴音と上機嫌な警官の言葉に、結局、店主の口は空気を食んだだけだった。しばらく三郎と雑談を交わしていた警官がふと「あぁ、もうこんな時間だ」と呟いた。時計か何かを見たのだろうか。すぐさま正確な歩幅の靴音が聞こえ、ようやくこの物理的にも精神的にも辛い空間から解放される、と握りしめていた銃を話そうとした瞬間、

「あぁ、そうだ」

声を掛けたのは三郎の方だった。このままやり過ごしてしまえば無事に終わるのに、この期に及んで何を言う気なのだろう、と胆が冷え、緩んだ緊張が急に高まり、手が汗をかきだしたのが分かった。残響すら聞こえない、ぴしり、と止まった足音に続いて「何だ?」怪訝そうな警官の声。

「代金、払ってもらわないと」
「あぁ……おやじの時はいつもツケなんだが」
「私はおやじじゃないものでね」



***

「ったく、あの時、本当に何を三郎は言い出すのかと思ったよ」
「まぁ、結果オーライじゃないか。ガソリンもお金も手に入ったし。おまけに煙草も手に入ったし」
「煙草もくすねてきたのか?」

やっぱりと思いつつも呆れ半分で返せば「今さらだろ」と三郎は楽しそうに答え、もう一度、煙草をふかした。漏れ出る煙は器用にも天使の輪っかみたいに渦巻かれ、そうして、いつの間にか当たり前のように溶け消えてしまう。胸に満ちていた青が、海の匂いがまた混濁したような気がして、俺は三郎から煙草をもぎ取り、そのまま灰皿に押し付けた。

「何するんだよ」
「煙草は体に悪いだろうが。知らないのか?」
「体に悪いも何も、今さらじゃないか」

剣のある目が向けられたのが分かったけれど、こっちも負けてられない。じ、っと視線を彼に据える。

「俺が海を見るまでは、三郎に死なれたら困る。海に案内できるのは三郎だけだろ」

そう言い放つと彼は、ぷ、っと吹き出し、笑いを弾けだした。あっちこっちに車体が振られ、センターラインも割ってしまうくらい手がぶれるほど体を揺らして爆笑している彼に「危ないって」と叫びながらハンドルを押さえる。けど、彼の笑いは一向に収まらない。腹をよじらんばかりの勢いで笑う三郎についていけず、しばらく彼を見ていると、ひぃひぃと喉を鳴らしたまま言った。

「すげぇ告白だな」
「え?」
「死なれたら困る、なんて告白、初めて言われた」

思わぬ展開に「は、え? 告白?」と混乱していると、「違うのか? あれは告白だろ」と目尻に溜まった涙を擦り、笑いを堪えながら三郎が追い打ちを掛けてくる。混乱する思考はあちこちして「え、いや、そう意味じゃないんだが……いや、けど、三郎がいないと困る」なんて自分でも意味不明なことを口走ってしまっていた。それが、抑え込んでいた栓を抜いてしまったようで、再び、爆笑のるつぼに落ちてしまった。


***

どれくらい走ったのか、ちっとも変わらず延々と続く道は時間以外に進んだことが分からない。ひとしきり笑ってようやく落ち付いた彼は「で、どこに行く? やっぱり海か」と独り言を呟き、それから楽しそうに鼻歌を歌いだした。

「それ、聞いたことある。天国の扉を叩いてる、ってやつか?」
「そうそう。今の私たちにはぴったりだろう」

ユーモアたっぷりに口ずさむ三郎は、いったい、どこが悪いのかさっぱり分からなかった。三郎がハミングしている曲の通り、まさしく俺と三郎は天国の扉をノックしている最中で。扉があけば、もう、その先に進まざるを得ない所にいるのだ。けど、こうやって三郎と一緒にいると楽しくて、それが嘘なんじゃないか、って思えてくる。

(そういえば、どんな病気なのか聞いてなかった、な)

ふと、そう思ったが、なんとなく訊ねる気になれなくて、別のことを口にする。

「それにしてもさ、天国で海の話ってどんな話をするんだろう」
「さぁな。きっと海に沈む太陽の美しさとかじゃないか?」
「なるほど」
「本当かどうかは分からないぞ。私もさすがに死んだことがらないからな」

慌てたように「もし死んで違っていても文句は言わないでくれよ」と付け足す三郎に「なら、なおさら、海に行って、その沈む太陽を見ないとなぁ」と、からかい------それから、瞼の中に思い浮かべる。いつか、写真で見た光景。サンセット。光る水面。伸びる影。金色に包まれた世界。そこにたゆたう、青の匂い。

「綺麗だろうな」
「あぁ、そうだろうな」

三郎の声に憧憬が混じっていたような気がして「三郎は海、見たことがあるのか?」と何気なく聞くと、不意に彼の瞳が翳ったような気がした。それまで、ずっとどちらかの声が響いていた車内に涌いた静寂。回転し続けるエンジンギアの軋みが耳に痛い。急に黙りこくられて、どうすればいいのか分からなかった。すとん、と落ちた沈黙を繕おうとしたけれど、話題が見つからなかった。隣に三郎がいるはずなのに、ぽつん、と独り取り残されてしまったような気がする。

「……三郎は、死ぬの、怖くないか?」

暗澹たる気持ちは、さらに、淋しさの底に眠っていた気持ちを呼び起こしてしまったようだった。ずっと、深い深い所に隠していたはずのそれ。幼い時から病巣に侵されていて繰り返し繰り返し感じていたというよりも、物心ついた時からずっとこの半身に当たり前のように棲んでいたその感情。答えてくれないかもしれない、そう思いつつ、三郎はどう感じているのか知りたくて話掛けれた。すると、固まっていた三郎は一呼吸分だけ沈黙を貫き、それから、あっさりと「そんなに」と返事をしてきた。

「そっか……すごいな。俺は怖いよ。小さい頃から、それこそ何回も死にかけてるのに」

嘆息にも似たものを吐き出せば、三郎が微かな声を押しだした。「何回も死にかけたことがあるからだろ」と。意味が分からず、空気を押しつぶすような声で「え?」とだけ返すと、彼はまっすぐだけを捉えて、フロントガラスから1mmも視線を動かすことなく、呟いた。

「何回も死にかけて、それでも生きてきたってことは、それだけ生きることに執着があるのさ」
「生きることに執着……」
「そう。だから、死が怖いなんて当たり前だろ」


天国に青は在るか