Route66


「ちょっと南の国まで、行こうかと思うんだけど」

僕は、ぽかん、と口を開けた。 何て言えばいいのか分からなくて、寝転んだままの三郎をまじまじと見つめていると、彼は照れくさそうに起き上がった。 「何で行くの」とか「いつ行くの」とか「どれくらい行くの」とか聞きたいことはたくさんあったけれど、最初に出てきた言葉は、とても間抜けなものだった。



「南の島じゃなくて、南の国?」
「そう。南の国」

そう言うと、三郎はピアノを弾くかのように床へと手を下ろした。
僕よりも細く綺麗な指が、そっと空気を震わせ、柔らかな音を奏でたような気がした。
穏やかな日差しが窓から差し込んで、聞いたことのない歌を歌う三郎の周りで光の粒がきららかに揺れていた。


「If you ever...」



三郎が姿を消すのは珍しいことじゃなかった。
今回みたいに行き先を告げることもあるし、気がつかないこともあった。
音信不通になったかと思うと一週間ぐらいして、突然、どこだか分からない土産を持ってくることもある。
一度、しばらく姿が見えないなぁ、と思っていたら地元の銘菓を片手に会いに来たこともあった。
よくよく話を聞いたら旅先で土産が買えなくて、駅前の銘店で買ってきたらしい。



だから、珍しいことでも、何でもないことなのに、

「僕と、こうなったから?」

そう聞かずにはいれなかった僕に、三郎は一瞬だけ固まって、すぐに目を緩ませた。
日向に置かれたアイスクリームのように、彼の瞳にゆるゆると溶け出した感情があるのに気づいた。
けれども、僕はその正体を見て見ぬふりをした。
後悔するには遅すぎて、諦めるには早すぎるような気がしたから。



「いや。ずっと前から決めてたことなんだ」

ピアノを奏でる時のように指先が僕の髪に紡ぐようにそっと触れた。
それがあまりに優しくて、哀しいぐらい優しくて、痛かった。
心が崩れていきそうになるのを僕はひそりと耐えた。









***



別れは、はっきりとしない空合いをした昼下がりだった。
しっとりとした薄曇りの空からは淡い光が漏れていて、ぼんやりと明るかった。
この季節特有のつむじ風が、時折、斬るように吹き抜けては、あたりの砂塵を巻き上げる。
僕たちは駅まで続く下り坂を、コンビニの新商品の事とか雑誌に載っていた記事だとか、身のない話をしながら、のろのろと歩き続けていた。

「ルート66って知ってる?」

何の脈絡もなく、唐突にその言葉が三郎の口を突いて出た。
砂埃が目に痛くて、自分の黒いスニーカーを見つめながら歩いていた僕は顔を上げて三郎を見遣った。
「何、それ? 道?」と尋ねると、三郎は宙に視線を彷徨わせ「アメリカのすっごい昔のドラマなんだけど」と迷いつつ口にした。



「ふーん。どんな話なの?」
「んー、若者二人が冒険を求めて旅する話」
「ルート66を?」
「そう」

ルート66がおそらくは意味のあることなんだろう、そう見当をつけ「そこに行くの?」と問う。
けれど、「部屋にDVDがあるから見るといい。全部、英語だけど」と三郎ははぐらかした。
僕がそれ以上訊けなくなると分かっていて、三郎はそうやって僕の口を塞ぐ。

(自分で言い出したくせに。……そういうとこ、ずるい)



三郎が僕に何を求めているのか、ちっともわからなかった。

「帰ってくる」とも「待ってて」とも三郎は言わなかった。
だから僕も、「帰ってこい」とも「待ってる」とも言わなかった。



「じゃあ、バイトだから」
「ん。頑張れ」

改札口で見送られたのは、バイトのある僕の方だった。
三郎は飛行機の関係で、夕方に電車に乗るらしく、コンビニに出かけるような格好だった。
シャツにジーンズ、サンダルって出で立ちで、ちっとも旅人らしくなくて、ますます僕は実感できなかった。

(会えなくなるなんて、ね)



別れの挨拶もそこそこに、取り出した定期を改札にかざし、ぴっ、と乾いた電子音がしたのを耳で確認すると、鞄にねじ込む。

「雷蔵。いつか、一緒にルート66を旅しよう」

追いかけてきた三郎の声がコンコースに響き渡るのを背に、僕は歩きだした。

--------------振り向かないって決めた。









***



あれから、僕は少しだけルート66のことに詳しくなった。

シカゴとカリフォルニアを結んだ、アメリカを横断する道路だってことも。
だから、南というよりは西に向かう道なのだということも。
それに沿うようにハイウェイができていったことも。

それから、今はもう、ないことも。


「Get your kicks on Route six - ty - six.」

自然と口ずさめるようになったこの歌を、三郎もどこかで歌っているのだろうか。










(優しい指の奏でる残響を、僕はまだ追いかけている)