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「すごい荷物だね」 慣れた足取りで揺れた車内を進む彼の背中を追いかける。車両と車両とを連結する部分の重い扉を片手で開けようとした彼を見て、つい、そう言っていた。ドアノブを握る手と反対の右手には、僕のよりは小ぶりの、けれども、サイドバッグとして持つには大きく思えるトランクが握られていた。飾り気のない黒い革のシンプルなそれに一瞬、目を落とし、それから彼は悪戯っ子みたいな光を目に浮かべながら答えた。 「君に言われるとは思わなかった」 「う……、まぁ、そうなんだけどさ」 さっきのことをさりげなく揶揄され、ばつが悪くなり口ごもった僕に、彼は吹き出した。しばらく一人で笑った後、彼は、不意に表情を引き締めた。その真っすぐな眼差しに、どきり、と心臓が跳ねる。 「ここには、私の全てを詰め込んであるんだ」 きっぱりとした口調に尋ねてもいいものかと思いつつ「全てって?」と疑問を呈する。すると、彼は「この中に私の全財産が入ってるんだよ」と冗談のようなことを口にした。まさか、という顔を僕がしていたんだろう。彼はにやりと唇を歪ませた。 「私は詐欺師だからな。いるのは少しの服と少しの書く物と、それから、この口だけさ」 *** 食堂車はもうすぐ昼前ということもあるせいか、そこそこの混みようだった。それでも、待たされることなく僕たちは二人掛けのテーブルに案内された。横に大きく取られた窓の向こうでは、景色がすごい速さで流されていく。まだ春待ちの世界はモノクロの色調で淋しげに見えた。けれど、時々、その息吹を感じさせる鮮やかな色が飛び込んでくるし、何より僕の知らない光景だ。ついつい、見とれてしまう。 (そういえば、ちっとも、外を眺める暇がなかったなぁ) 「そんなに面白いかい?」 「うん」 外の景色に夢中で、窓に顔を向けたまま生返事を返せば、そのガラスにわずかに浮かんだ彼は呆れた表情を見せていた。 「分かったけど、さっさと頼もう。混雑してくると、中々料理がこないぞ」 ぬ、っと僕の顔と窓との間に凝った装丁のメニュー表を差し込まれ、「あ、そうだね。どれにしよう」と受け取り、ようやく僕は彼の方に視線を戻した。一枚しかないから見やすいように、と彼の方向に差し出そうとすれば、彼は「もう決まってるから、君が見ればいい」と僕の方に押しやった。どこかの街のレストランのごとく羅列されている品書きの多さに、目が回りそうだ。 (んー、どれにしよう。パスタにしようかな? あ、でもお腹がすくかな?) 豊富な品数に、どれもこれも美味しそうで、うんうんと唸っていると、「すみません」と彼が軽く手を掲げて給仕係を呼んだのが分かった。まだ決まってないのに、とますます募る焦りに、穴があくほどメニューを眺めるけれど、全然決まらない。頭を抱えている僕の隣に、す、っと銀の盆が並んだ。 「お決まりですか?」 「子羊のグリルとクリームパスタを2つ。飲み物はペリエで。これも2つね」 えぇ、と思わず声を上げれば「炭酸水、苦手か?」と問われ首を横に振ると「じゃぁ、それで」と彼は顔を給仕係に向けた。笑顔で頷かれ「かしこまりました」と言われたら、今さら訂正することもできず、唖然と下がっていく黒服を見送る。給仕係が二つほどテーブルを離れた時、ようやく、彼の方に視線を戻した。 「さっきの注文」 「何だ? やっぱり炭酸苦手だったか?」 「そうじゃなくて、僕、何も言ってないのに」 「や、あの悩みっぷりだと昼飯が夕飯に代わりそうだったからさ。この食堂車の中じゃ、あの組み合わせが一番だからな」 本当に美味いぞ、と言われて僕は頷くしかなかった。 「慣れてるんだね、この列車に」 「まぁ、な。移動手段は基本的に列車だから」 そう答える彼に、さっきの『詐欺師』という言葉が結びついた。冗談のような気もしたし、本当のような気もして、さっきは、それ以上追及できなかった。そのことを言ってもいいのかどうか考えあぐねていると、知恵熱でも出てるんじゃないかってくらい熱い頭の上から柔らかな物腰の声が降りてきた。 「お先に、飲み物をお持ちしました」 テーブルの白布に滑らすように置かれたグラスはワインを入れるようなもので、街で出されるものと取り立て変わらない。ただ、どれだけ静かに置かれても揺れ続ける水面に、ここが列車の中なのだと再確認させられる。枕木を越す振動音に交えて、わずかに炭酸水特有のしゅわしゅわとした音と共に小さな泡が底から昇り立っていた。 「さて、乾杯するか」 「何に?」 「私と君との出会いに」 僕と彼との出会いに、そう心の中で呟きながら彼と同じようにグラスの脚を掴む。掲げれば彼がグラスを近づけてきて、ふ、とその距離が0になる手前で動きが停まった。どうしたんだろう、と彼を見遣ると考え込むような面持ちをしていて。 「どうかした?」 「いや、君の名前を聞いてなかったな、と思って」 別に大したことないんだが、と続ける彼に「あぁ。僕は雷蔵だよ。不破雷蔵」と名乗れば彼は、呆けたように僕を見遣った。 「ん? どうかした?」 「……それ、偽名?」 「何で、偽名なんか使わなくちゃいけないんだい? 本名に決まってるだろ」 彼の言いたいことが分からずに、そう答える。すると、彼は持っていたグラスを一度テーブルに下ろした。僕もつられて置く。たぷん、と中の水が大きく揺れた。 「雷蔵は、列車で旅するの初めてなのか?」 「そうだね。一人は初めてだな」 「なら、忠告しておくな」 「忠告?」 普段はあまり使うことのない、どちらかといえば物騒な言葉に首を傾けながら続きを待つ。 「そう、忠告。列車にはいろんな奴が乗ってるからな。スリとか置き引きとか詐欺師とか。だから、うかつに自分の本名なんて出すと、利用されるぞ。気を付けた方がいい」 「そっか、そうなんだ」 「あぁ。さっき、君は『旅は道連れ世は情け』なんて言っていたが、本気でそう思っていると痛い目に遭うぞ。周りの客はみな泥棒だ、と思うくらい信用しないほうだいい。何かあっても、自業自得だ、ぐらいにしか周りは思わない。列車で乗りあわせたくらいの縁で、他の奴なんか誰も心配したり気に留めたりしないぞ」 目の前の彼は、深刻そうに眉を潜めていて、僕の事を心配しているようだった。それが彼自身の言葉と矛盾しているような気がして、つい、笑いが零れる。彼が本気で案じてくれているのだから笑っちゃいけない、と思うけれど、収めることができなくて。そんな僕に気づいたのか、睨めつけるような視線を彼は向けた。 「笑い事じゃないぞ、雷蔵」 「ううん。そうじゃなくってさ、……いいや、やっぱり、何でもない」 なんだそれ、と気にする素振りの彼に「それで、そっちは何て言う名前なの?」と問いかければ暫く間があった後、彼はぽつりと答えた。 「……三郎。三郎とでも呼んでくれ」 *** 彼が選んだ子羊のグリルとクリームパスタは絶品だった。舌鼓を打ちつつ、列車の仕組みやきまりなんかを教えてくれる彼の話に耳を傾ける。まどろっこくなった口内に、追加注文で頼んだコーヒーゼリーを押し込んでいると、そういえば、と三郎が切り出した。 「雷蔵はどこに行くんだ?」 予定している下車の駅と行き先の水上都市の名前を告げると、彼の瞳が閃いた。 「あぁ、あそこはいい街だな。観光でもそこそこ有名だし」 感慨深げな吐息を漏らす彼に「行ったことがあるのかい?」と尋ねれば「昔な」と短く帰ってきた。僕とそれほど変わらない年齢の外見だっただけに、そんな彼が『昔』という単語を使ったのが、なんとなく面白い。つい、くすり、と笑ってしまった。 「どんな所がよかった? 三郎のお勧めの場所、教えてよ」 「うーん、観光で行ったわけじゃないからな」 「じゃぁ、何しに行ったの?」 「仕事だよ。仕事」 ぐ、っとコーヒーゼリーが詰まって、不意に苦みが胸に広がった。仕事という言葉から『詐欺師』その三文字が思い浮かび、こびりついたように頭から離れない。すっかり打ち解けて忘れていたけれど、急に、目の前の彼が遠くなったような気がする。それでも、さっきは出なかった勇気を振り絞って話しかけた。 「さっきさ、三郎は自分の事を詐欺師って言ってたけど、冗談だよね?」 「どう思う?」 「……本当に詐欺師だったら、自分のことを詐欺師って言わないと思うんだけど」 考え考え僕の出した答えに、彼は楽しそうに口の端を上げて笑った。 「私は嘘を吐かない詐欺師なんだ」 「何それ?」 「だから、詐欺師なんだけどな。まぁ、けど、雷蔵が違うと思うのなら、そういうことにしておこう」 ← → |