※久々知が男娼。なので、そういう行為のニュアンスがあります。いつもより気持ちR−15以上。



人肌が恋しい、なんてきれいごとを言うわけじゃないけど、なんつうか、誰かに触れたいと思ったのだ。電子媒体じゃない、誰かに。熱のある、誰かに。そんなことを考えながら歩いていると、ふ、と視界の隅に、もはや過去の遺物となった電話ボックスが取り残されているのが、目についた。ふらふらと、近づくと、予想通りピンクチラシがべたべたといたるところに貼られている。俺は中に入ると、適当に一枚、剥がした。ぱっとしない灯りの下で、扇状的な表情をした女の子たちが、胸を寄せて映っている。どれもこれも、似たようなものだった。悩ましげに体をくねらせ、厚ぼったい唇がてかてかと輝いている。それが商売なのだと分かっていたが、俺の体は正直だった。扉がひとりでに閉まると、急に、埃っぽさが鼻について、なんとなく息苦しい。俺は一刻も早く出ようと、中身も深く読まず、ポケットに入っていた硬貨を公衆電話に落とし、でかでかと書かれていた番号を押した。

近くのビジネスホテルに入ると、俺は先にシャワーを浴びた。いかにも準備して待ってました、と思われるのは格好悪りぃ気がしたが、よくよく考えれば、相手は風俗嬢なのだ。目的はそれしかない。そう思ったら、そのままでいるのもアレな気がして、俺はいつも以上に念入りに体を洗った。

備え付けのちっとも乾きそうにない温風のドライヤーを使っていると、間延びした音が聞こえたような気がした。風の威力が弱かったのは、こうやってチャイムがよく聞こえるように、というわけじゃないだろう。けど、まぁ、本当に乾くのかどうか怪しいぐらいの弱さだっただけに、人が訪ねてきた合図がはっきりと分かった。ボタンを押し下げドライヤーを止める。鏡に映る自分は、いつも以上にぼさぼさ髪になっていて。とりあえず手でなんとか押さえつけ、ローブ姿のまま扉へと向かう。念のために、と覗き穴から向こうを伺うと、すらり、とした影があった。小さいレンズのせいで薄暗く、細かいところまでは分からねぇけど、どことなく緊張した面持ちをしているように思う。

「今、開けるから」

扉越しに声をかけると、俺はがちゃがちゃとしたチェーンを外し、鍵を開けた。ゆっくりと扉を押し開けた先から、やや掠れた声が聞こえた。

「えっと、くくちです」

くくち、という音が、目の前の人物の名前(といっても源氏名だろうが)だというのにすぐに気付けず、反応が遅れた。「えっと、あの、ファイブって店なんですけど」と、大きな黒目が俺を不安げに見上げていて、慌てて「あ、どぞ」と扉の角度を大きくし、ひとり分が通れる幅にする。

「おじゃまします」

小さくも、はっきりした声が耳に届く。その礼儀正しさに、俺は好感をもった。



***

冷え切った指先が思うように動かないのだろう、コートのボタンを外すのに手間取っているようだった。その仕草が躊躇っているようにも見えて、一瞬、錯覚する。恋人同士の情事みたいだ、と。その化粧っけのない顔立ちが余計、そう思わせるのかもしれない。明かりをすでに落としてルームライトだけにしている部屋は薄暗くはっきりはしないけれど、今まで寝た事のある商売女とはどこか違うような気がした。何か罪を犯しているような、むしろ贖罪を乞いたくなるような、そんな気分に陥る。ようやくコートを脱ぐと彼女は俺の方にまっすぐ顔を向けた。出会ったときのように。

「あの、シャワーは」
「え、あ、俺、もう浴びたから」
「そうですか。…借りてもいいですか」

時間を使ってしまうんですけど、と細い声に改めて彼女は娼婦であり自分は客なのだ、と痛感する。「あ、いいよ、入ってきて」と答えれば、柔らかそうな唇が緩んだ。「バスローブ、借ります」と、すらりとした背中がバスルームへと吸い込まれるのを俺は見つめていた。

(うわ、やべぇ)

俺と彼女を隔てる扉が閉まり、変に緊張していたのが解けたのか、どっと疲れがきた。何がやばいのか分からねぇが、その感情だけが頭を巡り、勢いのままベッドに倒れ込む。何も匂いのしないシーツに顔を突っ込んでると、しばらくして、さぁさぁ、と小雨のような水音が耳に届いた。途切れることのない、けれども、か細いシャワーの音に、ゆらゆらと揺さぶられるような心地よさに包まれる。まるで、海の底にいるようだった。温かな重みが瞼に降りてきた。



***

「あ、」

不意に大きくなった揺れに、闇がぱちりと弾けた。見慣れない装飾の天井に、一瞬、自分がどこにいるのか忘れた。肩にある小さな重みに意識を向ければ白い手があって、そこをさらに辿ると、あやふやな面持ちの彼女とぶつかった。

「俺、寝てた…みたいだな」
「起こさない方がいいかと思ったんですけど、」

でも、と口ごもる彼女に「いや、こっちこそ、ごめんな」と謝り、体を起こす。彼女はそっとベッドに手を着きながら座った。シーツが沈み込んだと同時に、ふわり、と真新しい石鹸の香りが漂った。全てを包み込むような白い泡と彼女の肖像がぴたりと重なる。

「シャワー、ありがとうございました」
「髪、乾かしてこればいいのに」
「時間、なくなるので」

コートを脱いだ時も思ったが、バスローブ姿になると、彼女はますます細く見えた。力を掛けてしまえば、折れてしまいそうなくらい。まだ濡れている黒髪が僅かな部屋の明かりに艶めいて、すごくきれいだと思った。そこに唇を落とし、ゆっくりと押し倒す。こういう時、相手が商売だと分かっていれば、楽だ。甘い言葉を紡ぐ必要も、組敷くまでの手順を考えなくてもいい。その後することは同じなのに、付き合っていると今後のために、演技というか駆け引きというか、そういったことをしなければいけない。けど、一夜限りの関係と分かりきっていれば、ただ指を絡め取って、熱を零していくだけで、後は流れに呑まれていくだけですむ。

「ん…ぁ、」

熱を押し殺すような鼻がかった声が耳を突き抜け脳髄を揺さぶる。互いにどこがいいのか分からないのだ。最初はどことなく厳かな気持ちで探り合っていたのが、段々と昂っていく声に煽情される。首筋に唇を這わせたまま、俺の手は自然と彼女の体を覆う布を取り去るためにローブの紐に掛かって---------。

「え」

空を切る感覚に、思わず固まった。密着していた肌から顔を剥がしてみれば、急に行為を止められたのを不審に思ったのか、潤んだ瞳が俺を見上げていた。

「どうかしました、か?」
「お、とこ?」

俺の指先は、想像していた柔らかい乳房を掴むことは、なかった。

なんだかそれは、幸せの形をしたものに見えた。








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