「遅い。いつまで待たせる気だ」

速攻で着替えて、バイト先の通用口から飛び出ると、喫煙所の椅子に座って、ぶすり、とした表情の仙蔵が俺を迎えた。ジャケットの下に着ていた服の袖口を目一杯引き延ばして指先まで覆い、それで頬杖をついている。そのせいで口元は見えないが、剥き出しになっている眼は、きつり、と尖っていた。仙蔵の不機嫌さに呼応するかのように、街灯の所々黒ずんだ蛍光管から、ジジジときれかけの音がする。

「待たせるって、お前が勝手に待ってただけだろうが」

人のバイト先に来たかと思うと(しかも教えてなかったはずなのに)、知り合いだと俺の話をベラベラとし(あることないこと)、どう丸めこんだのかは知らないが(知りたくもない)、仙蔵が来てから15分も経たないうちに、店長にいつもなら絶対言われないことを告げられた。「いいから、帰ってやれ」と。

「ふん。おかげで早く上がれただろうが。本当なら、朝までだったはずが」
「その分、バイト料、差し引かれんだよ。おまけに」

思わず口を突いた言葉に仙蔵が「おまけに?」と聞き返してきた。余計なことを言ったと、自分の愚かさを呪いながら「いや、」と濁すも、「おまけに、何だ」と詮索してきた。さっきまで三角だった目は、今度は訝るものへと変わっていた。俺の顔から何かを読み取ろうとでもいうかのように、注がれる仙蔵の視線。なんとか追求から逃れようと、目を軽く伏せる。

(店長に、仙蔵との関係を邪推されただなんて、口が裂けても言えねぇだろ)

さっきの、店長とのやり取りを思い出す。バックヤードに引っ込んだ俺をわざわざ引きとめた店長は、にやにやとした笑みを向け、「お前、堅物だと思ってたけどよぉ、あんな美人さんとなぁ〜羨ましいやつめ」と両肩をポンポンと叩いてきた。そのしたり顔に「あいつは幼馴染ですって」と反論したけれど、「うんうん、」と話を流されて。「だから、」と何度、言っても聞く耳持たずって感じだった。

(そりゃ、俺だっていつまでも幼馴染のままでいたくねぇけどよ、)

「けど、それができたら苦労しねぇよな」

気がつけば、口からぽろりと零れていたようで。聞き咎めた仙蔵が、「は?」とますます不審そうな表情を深めた。慌てて、「何でもない」と手をかぶり振る。

「何を苦労するんだ?」
「だから、何でもねぇって」

この話は終わり、とばかりに顔を背け、ぶったぎるように言うと、仙蔵は押し黙った。とことん追求してくる奴の性格からしたら、この静けさは不気味だ。とはいえ、嵐の前のような不穏さはなくて。逃れたのなら、まぁいいか、なんて考えていて、ふ、と思い出した。

「つーか、何で来たんだよ」

店の中でも訊ねたが、仙蔵は「上がるのは何時なんだ?」の一点張りで。恐らくは話があるんだろう、とは分かったものの、話題の方はさっぱり見当がつかなかった。その問いかけに仙蔵は俺を一瞥すると、バネ仕掛けの人形のように、ひょこりと椅子から降り立ち、そして、さっさと歩き出した。「帰る」と。呆気にとられれること、数秒。薄暗い路地に、伸びる細い影。

「仙蔵、」
「何でもない」

真っ直ぐに伸びた凛然とした背中は、けれども、ぽきりと簡単に折れてしまいそうだった。ひそりと、孤独に耐えているような、そんな気がして。慌てて、「仙蔵」と追いかけて掴んだ奴の手は、氷のように冷たかった。血が通っているはずなのに、それすら疑いたくなる程冷え切っていた。俺の皮膚の熱が、感覚が奪われていく。

(冷え症だった、か)

冬が来るたびに仙蔵から聞く言葉なのに、実感が伴うのは初めてな気がした。「寒い」と垂れる文句に続く慣用句のように、当たり前のように頭では分かっているはずだった。だが、識っていただけで、俺は知らなかった。それとも、忘れてしまったのだろうか。仙蔵の温もりを。

(そういや、仙蔵にこれだけ近づいたのは、いつ以来だろうな)

別に、仙蔵が態度を変えたわけでも、よそよそしくなったわけでもない。けど、いつの間にか俺と仙蔵の間には、僅かな隙間ができていた。ふれそうでふれることのない、その距離は、いつしか臆病な俺の言い訳になっていた。ふれることができなくなった。

「文次郎?」

じんじんと刺すような痛みは、やがて、消えていた。俺の名を呼ぶ仙蔵は、困惑気な面持ちだった。いつもより縮まった距離。けど、どちらのものか分からなくなるほど近づいた温もりを、仙蔵は振り払おうとはしなかった。俺を見上げる仙蔵の、夜闇のように深い漆黒の双眸を縁どる睫毛が、瞳に影を落とす。ふ、とその影が揺らいだ。

「あ、」
「え?」
「今、星が流れた」

見上げると、ぐるりとほとんどを灰色した建物の影が占めていて、無秩序でけれども直線で歪に仕切られた空が、ぽっかりと口をあけていた。時間が時間だからだろうか、街を色鮮やかに飾り立てるネオンは息を潜めていて、しめやかな夜だった。その中で硝子を砕いたような粉のような小さな星がいくつか、弱々しげな瞬きを繰り返していた。仙蔵の言った流れ星は、なかなか現れない。凝らすように宙を眺め、どれだけ経ったのだろうか、そろそろ、喉や首が苦しくなってきたという時分に、「昔、」と仙蔵がぽつりと呟いた。

「あ?」
「昔、お前と流星群を見たのを覚えてるか?」
「あぁ、」

夜を貫く光は、まだ、はっきりと思い出せる。小学生だったろうか、理科か何かで星空を見る宿題が出て、俺は仙蔵を誘ったのだ。流星群を共に見てみたくて。丁度、今のような秋が更けていく季節で、馬鹿みたいに寒くて、なのに仙蔵は上着を着てこなくて、俺が持っていたジャンバーに身を寄せた。

(あぁ、そうだ。あの頃は、あんなにも近かった)

「あの時、何を願ったんだ?」











(闇に射られた箒星の光が、瞼を灼いた)
未完成のプラネタリウム








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