「顔悪いよ?」 「"色"を抜くな、傷つくから」
ぎり、ぎり、と軋むような背骨に齧りついていた鈍い痛みは、悪寒へと変わりつつあった。 寝ればましになるだろう、と思っていた頭痛も、こめかみの血管を締め付け、 脈を打つたびに酷くなっているような気がする。 顔の前にある布団に押し付けられ戻ってきた口から漏れた息は、 自分の体内から発せられたものとは思えないほどに熱いものだった。 「なんだ、まだ寝ているのか?」 同室者の、呆れ返った声が頭上から降ってきた。 起き上がる気力すら残っておらず、それでも、なんとか潜り込んでいた布団から顔半分を出す。 「いや、起きてる」と呟いたはずの俺の声は喉の弁に絡め取られ、言葉となる前にへしゃげて潰れた。 「なんだ、風邪か?」 俺を見遣った仙蔵の整った眉が緩やかに落ちた。 咽頭がささくれ立つのを我慢し、なんとか「あぁ」と言葉を押し出す。 すると、仙蔵は、まるで検分するかのような視線で俺をじっくりと眺めた。 「顔が悪いぞ」 「色を抜くな、色を! 傷つくだろうがっ」 「お前でも傷つくのか?」 「うるせっ、げほっ、」 こんな余裕のない時ですら嫌味を放ってくる仙蔵に、いつものように叫ぶ。 途端、せり上がってきた呼気が喉に詰まって、げほっ、ごほっ、っと咳きこんで。 ちくちくとする痒さを追い出すことができず、連鎖する咳に、空気を失った肺が痛い。 「げほっ、けほっ、ごほん、っつ」 「アホ。叫ぶからだ」 「げほっ、叫ばしたの…ごほっ、は誰だよ」 咳きこんででも言っていた俺の文句を遮るように、突然、仙蔵の白い指が俺の方に伸びてきた。 「なっ」 「静かにしろ、動くな」 仙蔵は、その右手を俺の額に、空いた左手を自身の額に当てていた。 仙蔵の指先から伝播する冷たさに、自分の熱が滲んでいって。 自分と仙蔵の境界が入り混じって分からなくて、 ----------------俺の体温なのか、仙蔵の体温なのか。 「熱もあるな。しばらく寝てろ。とりあえず、手拭いを冷やしてくるから」 彼の指が離れ、一気に自分の輪郭がはっきりする。 さっきまで仙蔵と繋がっていた部分に、さっき以上の熱が戻ってきているような気がして。 ぼぉっとする頭の隅に仙蔵の柔らかな足音が遠ざかっていくのを感じながら、俺は目を閉じた。 たぷん、と耳元で揺れた水音が、遠のきそうになった意識を繋ぎとめた。 ふ、と目を開けると、まるで熱の膜が視界を覆っているかのように、ぼんやりと滲んでいる。 ぐるり、と顔を横に向けると、仙蔵は小さな桶で、洗いさらされた白い手ぬぐいを絞っているところだった。 「悪ぃ」 「風邪気味なのに、夜中に、鍛練なんかに行くからだ」 そんな言葉と共に、仙蔵の手を水が滴り落ちていく。 昨日調子が悪かったことも、それを押し隠してこっそり鍛練に出かけたことも見抜かれていて。 仙蔵には敵わない、という気持ちと、悪戯が見つかってを母親に咎められたような気恥しさが入り混じる。 「…あの時は汗をかけば治ると思ったんだ」 「本当にお前は馬鹿だな」 「…悪かったな」 じっとりと汗で張りついた俺の前髪を仙蔵はのけると、そっと、額に手拭いを乗せた。 拡散していく冷たさと、それに吸収されていく熱が相まって、心地よくて。 気がつけば、俺はまた、目を閉じていた。 「まぁ、今日一日大人しく寝てるんだな」 幸い今日は授業もない、という彼の呟きが、優しい闇の向こうで聞こえた。 「仙蔵?」 どれくらい時間が絶ったのだろう。 薄暗い部屋に何刻かを想像できることができなくて、一瞬、混乱した。 その静けさに仙蔵の気配を見つけれることができなくて、思わずその名を呼ぶ。 -------どこだ? どこにいる? 「何だ?」 仙蔵の領域に据えられた書見台の方から、いつもと変わらない声が届く。 僅かな衣ずれと共に、俺の方に近づいてくる足音。 枕元で正座すると、俺を覗き込んだ。 「…いたのか」 「あぁ。私がいないとお前が淋しがるだろう」 「…誰が淋しがるかよ」 一瞬、さっきの自分の混乱を見抜かれたようで慌てて答えると、仙蔵は小さく笑った。 「冗談だ。今日は雨だし、外に行くこともできないからな」 「雨が降ってるのか?」 「あぁ。先刻、降ってきた。 それにも気付かないなんて、お前、そうとう感覚が鈍ってるな」 その言葉に意識を向けると、屋根を叩く幽かな雨音が浸み入ってきた。 途切れることのないそれは、風に浚われては大きさを強めて。 随分と荒れた天候になっているのだろう。 だからだろうか、この部屋の穏やかな空気が、心地よい。 「あぁ、そうかもな」 「気分は?」 「さっきよりはマシだ」 「そうか。もう少し寝てろ。あとでお粥でも貰ってきてやる」 仙蔵の言葉の、その温かさの余韻に、ゆっくりと目を閉じる。 (するり、と瞼へ柔らかい闇が降りてきた。)
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