不幸の手紙より酷いラブレター
「ふぁぁ、」 胆力で我慢しようとした欠伸は、結局、喉にひっか掛けた妙な音となって漏れ出た。 気を引き締めようにも、ずん、と眼球の重みに気だるさを覚えて。 眼窩やこめかみの辺りを揉みながら歩を進める。 (もう冬休みか、) 浮かれがちな空気が漂う長屋には、あちらこちらに、荷物をまとめる姿が目に付く。 ふ、と自分たちの部屋の戸が珍しく開け放たれていることに気がいた。 何か異変があったのだろうか、と気配を忍ばせて近付くと、 「終わったのか、委員会?」 不意に、背後から同じクラスで寮も同室の仙蔵に声をかけられた。 彼の手にしていた桶の水が、たぷん、と小さく揺れて。 少なからず動揺した自分と重なる。 「あぁ、さっきな。何だ、掃除か?」 「あぁ、色々と溜めていたからな」 俺の問に答えた仙蔵は、戸の傍の廊下に桶を置くと部屋へと入っていく。 山のような衣類の中から指先でつまみ、俺の方へと投げた。 足もとに広がった着物の柄は、見覚えがあって。 「って、それ俺のじゃねぇか」 「お前がさっさと掃除しないからだ。害虫がわくのは耐えがたい。 師走だというのに、ちっとも掃除をしないとは、お前は本当に、」 「仕方ねぇだろ、臨時の予算会議があったんだ」 「今日しなければ、お前を叩き出すぞ」 その言葉に、仙蔵に付きつけられた雑巾を、俺は受け取るしかできなかった。 「お前は、いつも綺麗にしているな」 無言でいるのも、と自分の領域で草子を広げ読みだした仙蔵に背中越しに話しかける。 水で濡らそうと桶の中に手を入れると、突き立つような冷たさに襲われた。 早々に雑巾を引き上げ、ぎゅ、っと捩じつけようとして。 「いつ死んでもいいようにな、」 ぽたり、ぽたり、と雑巾から滴り落ち桶に吸い寄せられて立った水音が、静まり返った空隙に響く。 お前が汚すぎるんだ、といった手の言葉を想像していた俺は振り向くことができなくて。 ようやく絞り出した声も、「せん…ぞ」とひしゃげていた。 「冗談だ。だいたい、文次郎。お前が荷物が多すぎるんだ」 嫌味をいうような口調に、ようやく振り返る。 いつもと変わらない、仙蔵の表情。 なのに、心臓が、痛い。 「……そうか? 結構、少ないと思うんだがな。小平太なんて俺より酷いぞ」 「小平太と一緒にする方が間違ってるだろうが」 「そうだけどよ」 「あそこも、長次が勝手に捨ててるから部屋の治安が成り立ってるがな」 「そうなのか?」 「小平太は気づいていないらしいけどな」 ぱたん、と草子を閉じると仙蔵が立ち上がった。 小さな衝立で設えられた間仕切りを超え、仙蔵は俺の居空間に入ってきて。 部屋の側面に備え付けられていた天袋の前で足を止め、意味ありげな笑顔を俺に向けた。 (な、何だ?) 「この棚に、もらった文を溜めてるだろ」 「な、なんで」 「ふん。文次郎の癖に生意気な」 「ちょ、」 その手が天袋の戸に掛かる。 止める間もなく引き開けられた仙蔵の頭上に、白い紙が降り注ぐ。 読まれる前に、と慌てて足もとに散らばった文を拾い集め、顔を上げると呆れた視線とぶつかった。 「こーやって、何でもかんでも溜め込むから汚くなるんだ」 「仕方ねぇだろうが。もらったもんだから、勝手に捨てるのも、って。お前はどうしてるんだ?」 プロをも凌ぐその実力もさながら、その匂い立つ井出達。 女子だけではなく男からも艶やめいた言葉をたくさん掛けられている。 当然のことながら、今までにもらった文も一つや二つ、といったものではないだろう。 ただ、その現場は見ても現物を見たことがないな、と今更ながら思う。 「その場で捨て去ってるからな、溜まらない」 「よく捨てれるな」 「私にとっては、不必要なものだからな」 青光りする刀の如く、微塵の迷いもない言葉で仙蔵は斬り捨てた。 「……不必要」 「そう。不必要。……何だ? そんな顔して」 「文って、結構、書き手の気持ちとか込められてるだろ」 「あぁ、鬱陶しいくらいにな」 (以前、幾度か交わした文も、こいつにとっては迷惑だった、ということか) 心底うんざりした、という仙蔵の表情に胃腑がさしこみを起こす。 暗澹たる気持ちがむくむく湧き上がり、眼前が暗くなる。 なんとか溜息だけはしまい、と呑み込んでいると、 「安心しろ」 「え」 「お前からの文は全て取っておいてある」 仙蔵は、こっちの気持ちを見透かしたような、にやりとした笑みを向けていて。 (…あぁ、敵わねぇな)
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