微睡みの向こうに身動ぎの気配を覚え、うっすらと目を開けた。膨らんだ闇にぽっかりと浮き立つ白い足首が遠ざかるのを、俺はぼんやりと眺めていた。音もなく開かれた障子戸の向こうで、息を潜めていた暗がりがなだれ込み、漆黒に濃密さが増した。再び閉じられた扉から足音が遠ざかる。

(どうせ厠だろうな)



夜の底は、思ったよりも、まだ冷える。まだ微かに夏の残滓を引きずる昼間とは違い、日が失速して落ちた後の夜陰には秋の気配しかしない。ぶるり、と粟肌が立ち鼻を一つ啜り。そこで俺は気がついた。寝る前に体躯にたっぷりとかけていたはずの掛け布団がはだけているのに。仙蔵が出て行った時にでもめくれ上がったのだろう。俺の熱か、それとも奴の体温か。はっきりとは分けきれない温もりがを孕んだ薄布が腹部のあたりで手繰り集まっていた。滑らかでな掛け布団は、奴の柔肌を思い出させる。

(俺は、もう少し硬い方がいいがな)



俺の布団に潜り込みながら、「これじゃ寝れん」と、どこぞの姫かと思うような台詞を口にしたのは仙蔵だった。俺の上掛け布団は綿入れをあまりしておらず、確かに硬いものではあった。が、寝れない程というわけでもない。だが、仙蔵にしてみれば石に挟まれて眠るようなものだったのだろう。忍たるもの文句など言うな、という言葉を抑え、ならば奴自身の布団で寝ようと提案すれば、それも嫌だという。文句を付けられた、ざらりとした寝具をどけると、横向きになって膝を抱えるように丸まって頑なに敷布団を掴んでいる仙蔵がいた。脇腹の辺りに手を差し込もうとすると、とろりとした漆黒の瞳が俺を見上げた。



結局、敷布団は俺の、上のは仙蔵のということに落ち着いた。

(まぁ、あんなこと言われたらな)

妖艶とした笑みを唇に乗せ、「お前の匂いがするのがいい」と言われちゃ、引きはがす手の力も抜けたわけで。計算にしろなんにしろ、仙蔵にしては、存外甘い言葉であったと思う。そりゃもう、二度と聞けねぇんじゃねぇか、ってくらい。そんないわくつきの掛け布団を肩まで引き上げると、淡い温もり重たくなった瞼に勝つことはできなかった。黒の優しさに誘われ、そのまま押し寄せてくる重みに身を任せ、再び、眠りの途につく。浮遊感に溶けて行く--------------。









***



ガクン、とした衝動に、つい突っ張る足を支えようと無意識のうちに爪が空虚を引っ掻いた。落下する感覚に慌てたせいか、心の蔵が痛い。体の中心から吐き出される振動が体中にぶつかり、波ドクリと波打った。瞬間、す、っと引いた汗が額に噴き出る。

(…あ? 寝てた…のか)



動悸が収まらない胸を押さえつけ、何とか昂るものを落ちつけようとする。思いだせねぇけど、なんか変な夢を見ていたような気がした。眠ったはずなのに、ものすごい疲労感が全身に滞っている。ぐ、と指で眼窩を摘まむように揉み、血を巡らす。ようやく現実感が戻ってきた睫毛の向こうに広がる昏さは、ずいぶんと薄まっていた。霧がかった頭のまま何となしに、勢いのまま掌底を敷いてある布団に叩きつけ、その反動で体を起こす。真夜中とは違い、闇との境界が線引きされ物の形が目を凝らさなくても分かる。けど、そこに人影はなく、涼やかに湿った空気が停滞しているだけだった。足元に絡まってまとわりつく柔らかな布にしみ込んでいるのは、俺の温もりだけだった。

(戻ってきてないのか? っ、)

焦燥感に駆られて布団を蹴飛ばし、仙蔵が出て行った扉を力いっぱい撥ね開け、「仙蔵っ」と叫び---。



「朝からうるさい」

両壁にぶつかってスパーンと戻ってきた扉と同時に、仙蔵の鋭い声が飛んできた。奴がいた安堵と驚きとがごちゃまぜになり、その場でへたりこみそうになる俺に、縁側に腰を下ろしていた仙蔵は密やかに笑った。「私がいなくなるとでも思ったか」と。まさしく言い当てられた俺は無言を紡ぎ、彼の隣へと歩み寄る。宵頃には輪唱するかのごとく盛んに鳴いていた虫たちも、追随する間隔が短くなっていき、今にも途切れそうな音を奏でていた。



「何してたんだ?」

今度は仙蔵の番だった。しばらく押し黙ったまま俺を見つめ、それから、ゆっくりと息をはきだすように呟いた。「星が消えるのを見ていた」と。仙蔵の優美な指先が空気を揺るがしながら天をさし、それを俺は辿った。居座る常闇を押し出すように、鳩羽色、竜胆、灰桜、鴇色、浅梔子のグラデーションが連なっている。冷たくなった空気が、少しずつ温められていくのが分かるような、そんな朝。そこに、ぽつり、と取り残された夏日星。



「あやつらは、どこにいってしまうのだろうな」

凝縮した光が空の底を燃やした。その眩さに目がくらみ、一瞬、瞼を下ろして遮断する。突然の闇にチカチカと橙色が視界で瞬いた。東方の空を手で翳して、目を細めながらそっと開けると、仙蔵が朝の光に呑みこまれていく所だった。思わず寄せた肌は、欲情をそそるような火照ったものではなく、熱が夜に溶けてしまったかのように酷く冷たかった。「案ずるな、」と耳元で仙蔵が囁く。



「私が消える時は、きちんと告げるさ」

赤子をあやすような優しい声は、けれども、震えていることを俺は知っていた。










(俺は自分の熱を分け与えるかのように、ぎゅ、ときつく仙蔵を抱いた)
トワイライトメロディ








title by 星が水没