涙としめりけ




「あ…立花先輩」
「こんにちは」

下の方から聞こえてきた声に、背筋を冷たい汗が流れる。
逃げ腰になりながら、「あぁ」と返事を返すと、はぁぁ、と盛大なため息が二人の口から漏れた。

(いったい、何なんだ?)



いつもなら、にじり寄ってくる二人が、今日はやけにおとなしい。
山村は、まるで塩を振り掛けられたナメクジのように、どんよりと萎れていて。
福富にいたっては、両足が絡まってこけてしまうのではないかと思わずにはいられない足取りで。

嵐の前の静けさとでも言おうか、不気味さ故に、思わず二人に声を掛ける。



「どうしたんだ、お前達?」

すると、福富の目から大粒の涙がぼろり、と零れた。
つられるように山村の目からも溢れ出てきた涙は、留まることをしらない。
顔から出るものが全部出るといった勢いに辟易しながらも、このまま放っておくわけにもいかず。



とにかく、泣いている理由を探ることにして。
「お腹が痛いのか?」と言っても、首を振るばかり。
「喧嘩をしたのか?」と聞いても、泣き声が大きくなるばかり。

(こういう事は、留三郎の方が向いてるんだろうが)

辺りを見回しても、留三郎らしき人物どころか、人っ子一人おらず、懐から手拭いを出す。



「ほら、落ち着け。泣いていても分からんだろう」

福富に渡すと、手拭いをくしゃくしゃに丸め、ちん、と大きく鼻をかんだ。
それで、少し落ち着いたようで。
まだ、しゃくり上げているようだったが、話は出来そうなので、訳を問うことにする。



「何があったんだ?」
「さっき、食満先輩の所に行ったんです」
「留三郎の所に? あぁ、お前達、用具委員か」
「食堂のおばちゃんに頼まれて、木槌を借りに」
「木槌? 何に使うんだ?」
「鏡餅を割るからって」
「ちがうよ、しんべヱ。割るじゃなくて、開くって、さっき食満先輩に教えてもらったばっかじゃん」
「あ、そうだった。そうなんです、開くでした」

そういえば、今日は二十日だった、と思いだす。
前年に飾った餅を集め、鏡開きを行い、お汁粉にするのが、恒例となっていて。
使う道具を準備したりするため、鏡開きは用具委員の管轄の元で行われるのが常だった。



「それで、何でお前達は泣き出したんだ?」
「食満先輩、僕たちのこと、嫌いになったんです」
「それはないだろ」
「でも、お話していたら、急に怒りだして」
「食満が?」

頷いた二人に、驚きの余り、返す言葉が見つからなかった。



(あの食満が、後輩を怒った?)

あの、という言葉には、面倒みが良い、後輩思いの、後輩には優しい、という言葉が入るわけで。
私たち6年同士ならともかく、下級生相手に怒る姿など、想像できなかった。
にわかに信じれず、もう一度問い返す。



「食満が怒ったのか?」
「そうです」
「何か理由を言っていたか?」
「それが…先輩に怒られたの、初めてで、怖くて逃げてきちゃったんです」

たくさん泣いたせいか、鼻や頬が痛々しいほどに赤くなった山村が、ぽつん、と答えた。
さっき自分が想像した通り、二人にとって留三郎は“優しい先輩”だったのだろう。
隣にいる福富は改めてその事実を感じたかのように、また、しゃくり上げた。



「じゃぁ、怒られる前に何をしていたのか話してみろ。何か手掛かりがあるかもしれん」

ここでまた泣かれては、と話を切り返すと、二人は宙を見上げるように考えて。
一つ一つを紡ぐように、ゆっくりと、話し出した。



「えっと、木槌を借りに行ったんです」
「用具倉庫に少ししかなくて、それで、食満先輩が持ってるかなっと思って」
「それで、寮長屋の先輩の部屋に行ったんです」
「それで?」
「そしたら、ちょうど先輩がいて、借りたい理由を話したんです」
「うん。で?」
「その時に、僕が『割る』って言ったから、『開く』ってことを教えてくれたんです」
「なるほどな。それで?」

あちらこちらに脱線しそうな二人の会話から、辛抱強く手がかりを探す。



「その後、木槌は高い所にしまったから、と、僕を肩車して」
「それで、棚の奥にあるのを喜三太が見つけたんだよね?」
「うん。それで、しんべヱが『パス』って言ったから、投げて渡したんだよね」
「そうそう。上手に掴めたから、僕、『ナイスキャッチ』って言ったんだ」

ふ、とその流れが、琴線に触れるのを感じた。
留三郎の性格からも、そのことだろうと確信に近いものを覚える。
考えている間に、二人の話が留三郎が怒り出す所に入りそうになり、遮る。



「…それだろうな」
「え、何がです?」
「留三郎が怒った理由。怒ったっていうより、叱った理由」
「叱った?」
「あぁ。あとは、お前達二人で考えるんだな」
「え?」
「じゃないと、留三郎が叱った意味がなくなるからな。
 自分で何がいけなかったのか考えないと、同じ失敗をする。それじゃ成長しない」

私の言葉に、二人の口が”成長”と小さく呟くのが分かった。
それまで濡れていた眼差しに、強い光が宿って。
背筋もしゃきっと伸びている。

(あぁ、大丈夫だな)



「立花先輩」
「何だ?」
「ありがとうございました」

ぺこり、と頭を下げて立ち去る二人を見て、知らずと笑みが零れた。









「あ、仙蔵。ちょっといいか」
「何だ? 留三郎」
「昼間は悪かったな。うちの喜三太としんべヱが。
 あの後、謝りにきた。『木槌を投げてごめんなさい』
 『道具を大事にしなくてごめんなさい』『次は気をつけます』って」
「そうか。なら、よかった」









(「あいつら感謝してたぞ。喜三太なんか、明日、蛞蝓持って礼に行くって」「それは断る」)