役割分担




乾いた眼のかゆみは、何度こすっても消えることなく、もどかしさに、つい舌うちが漏れる。
モニターのちらちらとした明かりに、いつの間にか窓の向こうが薄暗くなっているのに気がついた。
暑くては考えがまとまらない、と課題に向かう前にストーブを切った部屋は、すっかりと冷え切っていた。

(何とか、間に合うか?)

スクロールが短くなったワード画面と提出枚数の換算を頭の中でしていると、妙な音が空気を震わせた。
床に開けて置いておいた本を抑えるのに使っていた携帯が、鈍い振動を繰り返していて。
続くバイブレーションに、メールではなく着信だと知り、折りたたんでいたそれを開ける。



「もしもし?」
「遅い。3コール内で出ろ」

不機嫌な第一声に、誰か確かめてから出ればよかったと後悔する。
あまりに理不尽な要求に、文句の一つや二つ、喉元までせり上がってくる。
が、仙蔵に口で勝てるわけもない、と余計な労力を使うのを回避する方に走る。

(さっさと電話を終わらせて、課題をやろう)



「…悪かったな。で、何だ?」
「あぁ、今日、お前の家ですき焼きな」
「は?」

決定事項、とでもいうような断定する口調に、目眩がする。
聞こえなかったふりでもしようか、と思うのもすでに遅く。
つい漏れた疑問の声に、仙蔵が説明を加えた。



「さっきの講義で長次と一緒になったんだ。
 それで、実家から牛肉が送られてきた、一人で食べるには多すぎる、と」

(そういや、小平太が「ずるい! 食いたい」って騒いでたな)

以前話した席で、彼の出身が和牛の名産地だと言っていたことを思い出す。
誰でも聞いたことのある、その高級牛肉を想像する。
と、腹の虫が騒ぎだし、朝からまともなものを食べてなかったことに気づかされる。
よもや携帯越しに聞かれることはないだろうが、何となく気まずくなって、携帯を耳に押し付けた。



「そういうわけだ」
「…で、すき焼き?」
「あぁ。小平太がバイトだから、8時半くらいからスタートな」
「8時半な」
「あぁ。けど、準備は6時半くらいからだ」
「悪い。俺、明日提出の課題があるから準備は無理かも」
「あぁ、別にいい。人手は足りてるからな」
「そうか」

パソコンの右隅で刻む時計が、また一つ、夜に近付いたのを知らしめていて。
課題の出来具合と残りを仕上げるのに必要な時間を照らし合わせて。
スタートには間に合いそうだ、と了承の返事を返そうとして、はた、と気づく。



(つうか、準備ってうちでだよな。あいつらがうちに来たら、煩くて課題なんてできるかよ。絶対無理)




「なら、6時半に行くからな」
「ちょっと待て、すき焼きをやるのは分かった。が、何で俺の家なんだよ」

断固拒否、と声を荒げると、仙蔵の呆れたため息が返ってきた。



「耳元で騒ぐな。わたしの鼓膜を破る気か」
「つーか、俺の家は無理だから。今、汚いし」
「役割分担だ」
「は?」
「長次は肉。留は調理」
「伊作と小平太は?」
「伊作は野菜とか持ってくるし、小平太は酒の買い出し。
 だから、お前は家を貸せ。きちんと、家、きれいにしておけよ」

すっかりと埋められてしまった外堀に、それでも、最後の希望を託して聞いてみる。



「なぁ、お前は?」
「は?」
「お前の役割ってか仕事だ」
「私か? 私はお前の説得だ」










(「それが仕事かよ!」)