四月二日のうそつき
ひたり、ひたり、と隠すようにして近づいてきた足音が止まった。 部屋に入ろうかどうしようか、と迷いに満ちた空気が扉を隔てても伝わってくる。 その気配に苦笑しながらも僕は特に声もかけず、じっと、彼がいる辺りを注視していた。 暫くの沈黙の後、カタ、と小さく戸が揺れて、その音がした僅かな隙間に見慣れた指が引っかかっている。 戸惑うように細々と開けられた所から、こちらの顔色を窺うような視線が僕に注がれるのが分かった。 まだ雷蔵は怒ってるのかな。だとしたら嫌だなぁ、と、こちらを覗く彼の目が言っていて、 「三郎、中、入ってきたら?」 と、僕が声をかけると、ようやく三郎は部屋の中へと足を踏み入れた。 無言のまま三郎は僕の方に近づいてると、俯いたまま僕のすぐ傍らに腰を降ろした。 すぐ側にいるのに僕と目が合わせれない様子に、さすがに可哀想になって、三郎に話しかける。 「三郎、おかえり」 昨日の三郎は、いつにも増して、浮かれていた。 南蛮に冗談や嘘を吐いても怒られない日がある、と聞いて調子に乗ったらしく。 あっちこっちで、目の前にいる本人に変装をしたりや嘘を吐いては、皆を驚かして楽しんでいた。 他愛もない冗談、と言えばそれまでだったけど、失神者が出たと聞いては、さすがに僕も黙っていられなくて。 きつくお灸を据えられた三郎は、今日は朝から謝りに回っていたのだった。 「ちゃんと、みんなに謝ってきた?」 首を縦に振った三郎の頭を、「えらいえらい」と撫でる。 僕の髪に似せたふかふかとしたそれに、そっと、指を絡める。 それまで垂れていた頭が、ゆっくりと上がってくるのが掌に伝わってきた。 「それから、は組の皆にちゃんと教えてきた?」 「……あぁ、おたまじゃくしの大きいのはナマズじゃない、って」 「よかった。は組の良い子達は、本気で信じてたからね。猫とネズミの話は?」 「それも嘘ってちゃんと言って来た」 「そっか。えらいえらい」 「けど、あれだけ素直に騙されると、気持ちいいね。 せっかくの機会だから、気合いを入れて色々と準備したけど、その甲斐があったなぁ」 ようやく本調子に戻って来たらしく、饒舌になった三郎の声はいつものように弾んでいた。 三歩で忘れるなんとやら、といった調子ですっかり反省の色は消えていて。 思わず、「三郎」と呆れた声が出ていた。 (けど、こっちもきつく言いすぎた気がしてたからなぁ。まぁ、いいっか) そう思って、三郎の頭を撫で続けていると、 「でさ、お礼に、食堂でタダで食べ放題をやってるって教えてやった」 「え、また騙してきたの?」 びっくりして、そう答えると、三郎の口元に浮かぶ笑みが、にやり、と深くなった。 「引っかかった」 「はぁ?」 「嘘だよ嘘。ちゃんと訂正してきただけだって。昨日、雷蔵だけ引っかからなかったから、悔しくてさ」 「ホントに? また、は組の子達を騙してないだろうね」 「あぁ。新しく冗談は言ってないって」 「どうだか」 三郎が可哀想と思ったさっきの自分に腹が立って、僕は黙り込んだ。 すると、慌てたように、けれども、へらへらと笑いながら、「ごめんって」と三郎が取り成してくる。 その言葉の割に、ちっとも反省していない三郎の顔色に益々怒りが増してきて、僕はそっぽを向いた。 「雷蔵には嘘をつかないよ」 「その言葉からして、嘘臭い」 「そんなことないって。昨日は特別だって」 「それが、もう嘘だろ」 「そんなことないって。今日は二日だから、嘘を付かないよ」 「そう言って、さっきも嘘を吐いたじゃないか」 ちらり、と視線を投げると、僕の言葉に三郎は困ったように、ガシガシと頭を掻いて、それから考え事をするように宙に視線を漂わせた。 この場を収めようとしているのか、何か言おうと口を開いたけれど、すぐに、また噤んで。 再び散った目線に、三郎があちらこちらに思考を巡らせているのが分かる。 (どんな言い訳だって、絶対、折れてやらないから) ふ、と、視線が僕へと定まった。 「じゃぁ、この言葉だけは嘘じゃないって信じてくれるかい?」 「何を?」 さっきまでの、へらり、とした笑みは、すっかりと剥がれ落ちていて、真摯な双眸が僕を捕えていた。 「君が、すきだ」
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