沈丁花、咲く永遠




年の瀬まで甲高いと本人が気にしていた声は、季節の変わり目と共にいつの間にか喪失していた。



「文次郎」

風邪かと思ったのだが、と掠れた声で仙蔵が嬉しそうに呟いたのがさっきのこと。
けれど、俺は春立つ頃には、実は気づいていた。
長引くそれが体調不良からくるものではなく成長の証しだということに。
なにしろ、一年(ひととせ)よりも前に、己が先に経験していたからであろう。
仙蔵が密かに悩んでいたことを知っていたのだから、それが来たことは喜ばしいことだった。
しかし、彼の声変りは、その変化を一緒に喜べるほど俺の懐は広くはない、ということを俺に知らしめるだけだった。

丹精込めて育てた花が嵐に手折られたような、理不尽な目に遭った気がして、無性に苛立ちを覚えるのだ。



「文次郎」

まだ安定しない彼の声は、まるで仔馬が独り立つ時のように震えて聞こえる。
以前の声を思い出そうにも、「モンジロウ」と金属のように腫れあがった音でしか再生されない。
耳に刻まれていたはずの昔の声は、もはや言葉の羅列でしかなく、そこに仙蔵は存在していなかった。



「文次郎」

(今、目の間で俺の名前を呼んでいるのは誰だ)

俺と奴との間は、今までと何一つ変わっていないというのに。
仙蔵が俺の名前を呼ぶたびに、首筋が押さえつけられてしまったような感覚に陥る。
沈丁花の近くで匂いをかいだ時に覚える濃密なめまい似た、息すら許されないと苦しさと喜びに。

--------------絡め取られて堕ちていきそうになる。



「文次郎」

呪いをかける時のように空中でくゆらせた彼の手が、迫りくる。
沈香を漂わせる花房のように白い指先に意識が惑う。
鮮明だったはずのそれが、やがて麻痺していく。

(それに触れたら、抗うことができない)

予感ではなく、確信だった。



「文次郎、聞いてるのか? おい」
「……聞いている」
「起きてるなら返事をしたらどうだ。
 まさか、目を開けたまま寝てたんじゃないだろうな」

ひらり、と紙一重で逃げた俺に仙蔵は悔しそうに小さく舌打ちし、それから行き場の失った手を戻した。
鳩尾のあたりを塞がっていたものが外れ、新鮮な空気が胸の奥へと浸透していった。
のぼせていた意識が清明になっていく。



「目を開けたまま寝る、なんて、そんな器用なことできるか」
「そうか? お前ならできそうなんだがな」

ふふ、と小さく笑う仙蔵の向こうで、沈丁花が濃厚な闇に白く漂っていた。











(この花のように永遠を願うのは愚かだと分かっていても、)