フリーダム主義




「げっ、」

筆箱の中身を何度かき回してみても、目当てのものは出てこなかった。
こうなったら最終手段だ、と筆箱を逆さまにして、中身をぶちまけ、振ってみる。
けれど、バラバラと降り落ちてきたのは、鉛筆とシャーペンと替え芯とボールペンと定規。
肝心の消しゴムが出てこない。

(やべ、誰か知り合いいねぇか?)



見慣れない教室から見知った顔を探そうと、外れてしまいそうな勢いで首を360度回転させる。
目を見開いて、同じ学校の連中、塾の友達、部活で見たことのある奴…と探す。
緊張感と高揚感の入り混じる教室に、俺の知り合いはいなくて。

(げ、どうしよう)

パニックに頭を抱え込んだその時、穏やかな声が俺に問いかけた。



「どうかしたの?」

思わず顔を上げると、隣の席に座って単語帳をめくっていた少年が、ふわりと柔らかそうな髪を陽に透かせ俺の方を見ていた。



「あ、えーっと、消しゴムを忘れたもんでさ。
 ちょっとパニクってたというか。悪いな。なんか勉強の邪魔しちゃったみてぇで。」
「えっ!? よければ、僕のを貸そうか?」
「いいのか? 悪ぃ」

拝み倒すように手を合わせると、彼は照れたように「止めてよ」と手を顔の前で慌てて振った。



「あ、でも僕も予備は一つしか持ってないから」

ちょっと待ってて、と彼は筆箱の中から、消しゴムと定規を取り出した。
定規でこすって半分に切ろうというのだろう。
その優しさに胸が温かくなる。

(ホント、いいやつだな。こいつと友達になれたらいいだろうなぁ)



「悪いな」
「困った時はお互い様だからね」

彼がカバーを外すと、その下の白い消しゴムに『絶対合格』とうサインペンの文字が見えた。



「ちょ」
「どうしたの?」
「これ、何かお守りみたいなものじゃねぇの?『絶対合格』って書いてあるし」
「あー、うん。お守りと言われれば、そうかな」

のんびりとした口調で答えた彼は、けれど、とても大切なものを見つめる眼差しを消しゴムに向けていて。



「やっぱいい」
「え? 何で?」
「そんなの切るなんて、悪い。もしこれで不合格になったら」
「うん。でも、君も消しゴムがないと困るでしょ?」
「けど、」
「大丈夫。これで不合格になるなら、最初から不合格だよ」

確固たる自信に咲いた笑顔に、俺は甘えることにした。









***



「竹谷」

試験監督が立ち去っても、俺は最後に受けた理科の出来具合に立ち直れずにいた。
うつ伏せにしていた顔を上げると、いつの間にか同じ学校の奴が傍に立っていた。
ごきり、と首を鳴らしながら「おぉ。おつかれ」と答える。



「どーだった?」
「かなりヤバイ」
「結構、難しかったもんな。帰り、解答速報もらいに学校寄るだろ」
「おぉ。今片づけるから、一緒に帰ろうぜ」
「つーか、お前、まだ片づけてなかったのかよ。遅ぇよ」
「得点源の理科で、間違えたのに気づいたからよぉ」
「うわっ。お前、それ落ちるんじゃね」
「言うなよ。凹んでるんだから」
「まぁまぁ、まだ分かんないだろ。ほら、早く帰ろうぜ」

友人急きたてられて、机に散らばったままの筆記用具を片づけようとして、その存在に気づいた。



「あ」

周囲を見回すと、顔見知り同士が安堵と不安の入り混じる表情で答えを確かめあったりしている。
けれど、その中に彼の姿はなかった。友人に「悪ぃ。ちょっと待ってて」と声をかけ、消しゴムを握りしめると、奴の抗議の声を無視して慌てて廊下に出る。少し先に、柔らかそうな後髪が見えた。
(ちなみに視力は2.0だ)



「おーい、不破くん」

受験票をちらりと見て覚えた彼の名前を、大声で叫ぶ。
けれど、彼は、すたすたと歩き続け、足を止める気配がない。
この距離なら聞こえているはずなのに、と訝しげに思いながらももう一度呼ぶ。



「不破くーん!!」

腹の底から出した声に、緊張感の解けた廊下にいた奴らが、「なんだなんだ」と俺の方を見た。
けれど、肝心の不破君は振り返るどころか、その歩みすら変わらなくて。
とにかくお礼だけでも言わないと、消しゴムを片手に彼の背中を追いかける。

(あり? 読み方が違うのか? でも、ふわ以外に思いつかないし)

受験票に書かれていた『不破雷蔵』という文字を頭に浮かべ、そんなことを思う。
周りの不審がる目をかいくぐって走り、廊下のつきあたりを曲がりかけた彼の肩を掴んだ。
俺の勢いに振り向かされた彼は、酷く驚いたような表情を浮かべていた。



「さっきは、サンキュな」
「何が?」

話した時とは全く違う鋭い口調と尖った目線に、気圧される。
さっきまでの彼が春のひなたなら、今の彼は冬のつららのようだ。
思わず口ごもった俺に、胡散臭いものを見るような表情が目の前の彼にのぼる。

(人違い、じゃないよな。さっきと同じ顔だし)



「俺に何か?」
「何って……消しゴム、借りてたから。ありがとう。おかげで助かった」

彼は掌に載せた、「合格」の文字が半分で途切れた消しゴムに視線を落として。
そこから視線を引き上げると、こちらの居心地が悪くなるくらい、じろじろと眺めてきて。
不意に彼の口の端が緩み、何かを企んでいるような、楽しそうな笑みを浮かべた。



「春まで貸しといてやるよ」
「え?」
「春になったら、雷蔵に返せばいい」
「は?」
「その消しゴム使ったんなら、必ず受かるさ」

意味不明な言葉を俺に残して、目の前にいる『不破雷蔵』は背を向けた。



「え、ちょっと、どういう、え、」

彼の言いたいことが分からず混乱している俺に、彼は背中越しに手を振った。











(「また、入学式にな。竹谷」「え、名前、ちょ、なんで? つーか、え? おーいっ」)








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