そのこころは
「雷蔵」 地の底を這うような低い声は、この上なく不機嫌っだった。 もさり、とした毛の塊が床を転がってきて、ぴたり、と僕の傍で止まった。 彼を見て、思わず自分の頭に手を遣ると、目の前と同じように湿気で広がっているのが分かる。 「何、三郎?」 もさもさと、湿気にうねる髪と格闘して、なんとか片手で束ねながら僕は上半身を起こした。 見下ろす格好となった三郎が、唇を尖らせて障子を突き刺すように睨みつけていた。 障子を通って来た仄かな明るさに、今が夜でないことは分かるけど。 「雨、だ」 「そうだね。せっかくの休みなのに。しかも、すごい雨」 途切れることのない水音は、耳を劈くような勢いを感じる。 そこに入り混じる風が、立てつけの悪い扉を大きく揺るがした。 バタバタと壁に打ちつける風雨は、ますます酷くなっていくのが分かる。 (春の嵐、ってやつだろうか) 「お団子」 雨音にかき消されそうになりながらも、ぼそり、と三郎の呟きが届いた。 それが三郎の執念のようなものに思えて、思わず笑いをかみ殺す。 駄々っ子をあやすように、もさもさとした彼の頭を撫でる。 「また、来週ね」 「約束な」 そう言いながらも、まだ納得できていないのか、まだ穿つように障子の向こうへと意識を向けている三郎に尋ねる。 「どうする、今日? このまま、もうちょっと、寝る?」 「えー。せっかく早起きしたんだし」 「じゃぁ、どうしよう……」 「雷蔵、何か面白いことやってよ」 「それは三郎の専売特許でしょ」 冷えてきた肩に、もう一度布団の中に潜り込むと、ひやりとしたものが足の爪先を掠めた。 いつの間にか、三郎が僕の布団の中に入り込んでいた。 僕に冷たさが吸いつく。 「三郎、冷たい」 「雷蔵は温かいな」 芯から奪われていく温もりに文句を言うと、三郎はさらに僕の方にすり寄って来た。 体を小さく縮めこめたせいか、もふり、とした頭が頬に当たってこそばゆい。 息苦しくないのだろうか、と彼の顔のあたりまで、布団を軽く剥ぐ。 「雷蔵、謎かけをしよう」 「いいけど」 「梅の木をみずにたてかえると?」 「簡単だよ。木へんを、さんずいに変えるから、答えは海」 「雪は、下より溶けて、水の上に添う。これ何だ」 「ゆきの下の文字の『き』を取って、『ゆ』でしょ。 それから、みずの上だから『み』になる。この二つだから、弓だね」 さらり、と答えを出した僕に三郎はつまらなさそうに頬を膨らました。 それから、しばらく考え込むように視線を、あちらこちらに、巡らせて。 「いい問題を思いついた」と、向けられた上目は、ランランと輝いていた。 「どんなの?」 「雷蔵と私を合わせると何になる?」 「三郎から僕を…何だろう?」 (最強になる、とかかな) 突飛な謎かけに、ぱっと思いついたのはそれだった。 けれど、それを口にするのは、何となく恥ずかしくて。 誤魔化すように、「えーっと、えーっと、」と繰り返す。 「どう、雷蔵? 降参?」 「んー。……悔しいけど降参。で、答えは?」 「鉢屋になる」 「え、何で?」 「不破で28だろ。で、三郎で36。 28と36を合わせると、64になる。 64といえば、8×8だろ。88、ほら、鉢屋じゃないか」 「えー、そんなのずるくない?」 「いいんだよ。謎かけだから」 くすくすと笑う三郎の吐息が、僕の胸のあたりに当たった。 こそばゆさと、温かさとが満たしていく。 それから、幸せも。 (「ねぇ、三郎」「んー」「たまには、こんな休みもいいかもね」)
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