春を愛する人




「やぁ、伊作くん」

いきなり現れた影に、思わず作業の手を止めていた。



「…どこから入ってきたんですか?」
「どこ、ってもちろん正門からだよ」

ちゃんと入門表にサインしてきたから、という言葉に思わず「小松田さん」と呻く。
危機管理なんていう言葉はあってないようなものだ、と分かっていたけれど。
こうも易々と侵入されていいものなのだろうか、と思う。

(まぁ、完全に拒めない僕も悪いんだろうけど)



「何してるんだい?」
「見て分かりませんか?」
「土筆のはかまを取ってる」
「分かってるなら聞かないでください」

分かっているのに質問してくる彼に苛立ちを覚え、土筆のはかまを強く引っ張る。
勢いに任されたそれは、ぶちり、と茎ごと折れてしまった。
雑渡さんのせいで短くなってしまった、と心の中で毒づきながら、次の土筆を手にする。



「伊作くんの声が聞きたいからね、聞いてみた」

冗談よりもまだ軽い口調に、無視を決め込む。
彼も、その返答を望んでいるわけではなかったのだろう。
黙り込んでいる僕を一瞥すると、あっさりと話題を変えてきた。



「しかし、随分とたくさん採ったんだね」
「昨日、薬草を採りに行く道すがら見つけて。
 雲行きから、明日は雨だと思って。雨だと採りに行くのが大変だし。
 雨が上がると、一気に成長して、スギナに変わると食べれなくなってしまうので」
「ふーん」
「昨日もはかまを取ったんですけど、まだ終わらなくて」

雑渡さんは、山のように積まれていた土筆の中からおもむろに一本だけ摘まむと、くるくると、回し始めた。
きっちりと編まれたように並んでいた亀甲模様が緩んで、回転するたびに形が崩れていく。
そこから黄緑色の胞子が辺りに飛び散った。



「暇なら手伝ってください」

邪魔をするな、と牽制のために鋭く放った言葉を彼は意に介することなく受け止めた。

「いいよ。はかまを取るのは、昔から得意だからね」











するり、とひとつなぎになった茶色が雑渡さんの手からこぼれ落ちた。
一方僕はというと、輪っかになっている部分がバラバラに取れてしまっていて。
彼の傍らには、はかまが外され白い茎が露わになった土筆がどんどんと積み重なっていく。



「本当に得意なんですね」

感嘆をこめて呟くと、それまで無駄のない動きをしていた雑渡さんの手が止まった。
呆れたような疲れたような、どことなく濁った声が僕に問いかける。



「あのねぇ、私のことをどう思ってるんだい?」
「凄腕の、プロの忍。敵に情け容赦がない。学園にとっては敵」
「ふーん。伊作くんは、どう思ってる?」
「自分勝手で、嘘付き。何を考えてるのか分からない」
「ひどいなぁ」
「…それから、」
「それから?」
「ひどく、厳しい目をした人」

自分でそう言ってみて、あぁ、と妙に的を得ていることに気が付いた。
雑渡さんはいつもの、困ったような冗談を言う時のような、曖昧な笑みを僕に向けている。
けれど、僕は弧を描いた彼の眼差しの、ずっとずっと奥底に潜むモノを、僕は見つけてしまう。

それが、たぶん、彼を完全に拒めない理由。









「さて、」

僕が最後の一本と格闘していると、隣から呟きが聞こえてきた。
服に付いたはかまを手で払い落して、雑渡さんはゆっくりと立ち上がった。
思わずその行方を目で追い、その先にある雑渡さんの視線と僕はぶつかった。



「さてと」
「帰るんですか?」
「同室の彼が帰ってくる前に」
「今日は学園長のお使いに行ってるから、まだ帰ってこないですよ」
「いいのかい? そんな情報をばらして」
「少し食べていきませんか?」

本来なら、すぐにでも追い払うべきなのだ。
彼は学園にとっては敵なのだから。
彼は得体が知れないのだから。

けれど、気がつけば、そんな言葉を自然と口にしていた。









「あぁ、里の味がするね」

僕が作った土筆の煮物を一口食べ、雑渡さんが呟いた。
思わず漏らしてしまった、という方が正しいだろう。
僕に向けられた言葉じゃなかった。



「雑渡さんにも、ふるさとがあるんですか?」

僕の問いに、雑渡さんは、はっと顔を上げて、「時々失礼だね、君は」と苦笑いを浮かべた。
何かに堪えるように、息一つ分だけ目を閉じて、それから開けた。
さっきまでと違って、口元が柔らかくほころんでいた。



「もう何年も帰ってないけれど、すごく田舎だね。
 里山があって、田畑があって、春になると土筆採りをした」
「へぇ。そうなんですか?」
「そうそう、春といえば、一面に菜の花が咲いてね」

雑渡さんの短い睫毛が、その眼に、深々と影を落ちた。



「浄土みたいに、美しい所だよ」

浄土に行ったことがないから分からないけれど、と付け足した彼には郷愁が過っていて。
今まで一度も僕に見せたことのない、厳しくも温かな目をしていた。
闇に絡め取られてしまいそうで、それでいて何かを希うような。

(こんな表情するなんて、ずるい)



何となく雑渡さんのことを見ていられなくて、僕も傍らにあった土筆の煮物を口にする。
削り節の出汁が浸み入った甘味に、独特の苦みが入り混じる。
胸に広がる土の味は、ひどく優しくて、泣きたくなった。











(あなたは、ずるい)