母ちゃん!




演習を終え疲れきった体を引きずって部屋に戻ると、仁王立ちをした伊助が待っていた。

「団蔵っ!」

半分寝掛けていた眼が、ぱちり、と冴えわたる。
伊助が抱えるように持っているのは、当然、俺と虎若の着物で。
演習に行く前に行李の中に押し込んだはずのそれからは、饐えた臭いが漂ってくる。



「げっ」
「また、洗濯物溜めてたな」

不機嫌極まりない、といった彼の表情に、慌てて言い訳の言葉を口にする。



「えーっと、演習で色々忙しかったからさぁ」
「それは、皆一緒だろう」

一刀両断した伊助は「いい加減にしなよ、団蔵」と厳しい視線を俺に浴びせた。



「ほら、早く溜めてる洗濯物出して。洗うから」
「いいって。後で洗うから」
「そう言って、洗ったためしがないだろ。汚れは時間を置くと落ちにくくなるんだから」
「あー、もぅ分かってるって」
「全然、分かってない」
「だから、分かってるって!」

つい、語気が強くなってしまった。
演習で、ささくれ立った神経に、もう、何も考えたくなくて。
いつもなら軽く聞き流せれる小言も、今日はつい、言い返してしまう。



「いや、分かってない」

どなり返そうと思った瞬間、鼻にかかった甘ったるい声が俺達の間を割って入った。



「まーまー、親子喧嘩はお止めになって」
「誰が親子だって? きり丸」
「今はきり子って呼んで」
「どうしたのさ、そんな恰好で」
「今から、甘酒を売りに行こうと思ってよ。こっちの格好の方が儲かるだろ」

ひらり、と着物の裾を揺らし、ウィンクを一つ投げたきり丸(いや、きり子)が近づいてきた。
すっかり物売りの娘になりきっていて、小さな歩幅に内股気味の姿勢。
ぱっと見では、女の子にしか見えないだろう。



「演習明けなのに、お前は元気だな」
「天才アルバイターきりちゃんですから」

笑い飛ばすきり丸を労わるように、やわらかい声で話しかけた。



「あんまり無理しないでよ。ちゃんと寝ないと駄目だよ」
「それは伊助の方だろ。三日間くらい寝てないだろ?」
「あー、まぁ、慣れなくて要領悪かったから、仕方ないよ」

俺とは別の組み合わせだったから、よくは分からないけれど。
普段は後方支援を勤めることが多い伊助が、珍しく最前線だった、と聞いて。
よく見れば伊助の眼の窪みには、俺のよく知る隈がくっきりと浮かんでいた。
伊助自身も、きっと、自分のことでいっぱいいっぱいなはずなのに。

(疲れてるのに、俺達のこと気にしてくれてて。なのに、大人げなく言い返して悪かったな)



「あ、そうだ。きり丸、あの手順で分かった?」
「おぅ。サンキューな、伊助」
「手順って?」

俺が尋ねると、きり丸はどこに隠し持っていたのか、酒瓶を二つ取り出した。



「伊助から教えてもらったんだよ。火薬委員会伝統の甘酒の作り方」
「へぇ」
「あ、飲むか?」
「いいのか? きり丸がくれるなんて、珍しい」
「毒見してないから、ちょうどいいや。湯呑くれ」
「大丈夫なのか、それ?」

不安になりながら棚に置いてあった湯呑を三つ取り出し、机に並べる。



「団蔵、これ洗ってある?」
「洗ってある。つーか、演習に行く前に伊助、お前が洗ってくれたんじゃないか」
「あーそうだった」

そう言いながらも、伊助は懐からまっさらな手拭いを取り出すと、湯呑の口を拭き始めた。
伊助から手渡された湯呑に、きり丸が甘酒を注いでいく。
とぽりとぽり、と緩慢に器を満たしていくそれからは、独特の匂いが揺らぎ立ち上った。



「あ、伊助はこっちな」

そう言うと、きり丸はもう一つ、封の色が違う酒瓶を取り出した。



「そっちの瓶と違うの?」
「こっちは、きり子スペシャル」
「ふーん」

伊助の湯呑に注がれたそれは、先に注いだ甘酒よりもやや緩く水っぽく芳醇な匂いを漂わせていた。
きり丸が酒瓶の口を閉じ、縄できちんと縛るのを見届けて。
それから、湯呑を顔の前に掲げる。



「ま、演習お疲れ様ってことで」
「「「かんぱーい」」」

こつり、と湯呑を合わせて、互いに視線を交わし、それから一気に呷る。
すぐに駆け降りるわけではなく、喉に絡みつく甘みが心地よい。
柔らかな温かさが腹の中から沸き立ってくる。
飲み終わった瞬間、ほぅ、と思わずため息が漏れた。



「美味かった。って、伊助!?」

突然、俺の肩に向かって伊助が倒れこんできた。
被さって来た彼を慌てて支え、押し返す。
赤ら顔の伊助は、けれども、安らかな寝息を立てていた。



「どうした?」
「伊助、寝てるぞ。何、盛ったんだ? きり丸」
「いやーん、そんな怖い顔しないで。こわーい。きり子、泣いちゃう」
「きり丸、ふざけるなよ」
「飲んでみれば分かるって」

その言葉に伊助の湯呑に口を付け、喉をのけ反らせた。
あっという間に、その液体は体の奥底へと滑り落ちていって。
カッ、と胃の腑にこみ上げてきた熱はさっきと比べ物にならないほど熱い。



「…これ、白酒?」
「ピンポーン。麹を頼んだら、くれたんだ。
 伊助、寝てないくせに、布団とか干してやらないと、ってさ。
 ふかふかの布団の方が、体も休めれるだろうからって。
 団蔵達の世話を焼きに行くってきかないから。てっとり早く寝させる方法」
「……伊助は酒が弱いからな」



疲れが溶けだしたような寝顔を見て、きっと限界に近い状態だったのだろう、と思う。
押し入れに詰め込んでおいた布団を引き出し、伊助にそっと掛ける。
ふかふかじゃなくて悪いけど、と。



「伊助ってホント、人の世話を焼くの好きだな」
「出来の悪い息子がいっぱいいるから」
「母ちゃんってか」
「まぁ、自分の事は自分でしましょう、ってことで」
「分ってるって」










(「おやすみ、伊助」)