ほっと一息つくための
礫を投げられたような、震動。 フロントガラスに氷の花が咲いては散ってゆく。 夕方から降りだした雨は、雪に変わろうとしていた。 「仙蔵、寒くないか?」 隣から返事は返ってこなかったが、俺は構わずエアコンのスイッチを捻った。 途端に、眼前の吹き出し口から噴出される籠った匂いが強くなる。 少しずつ暖が増していく風を肌で感じながら、俺は前を睨みつけた。 (別れるために、走り続けるなんて馬鹿げている) そう思いながらも、アクセルを踏み抜いた車体は、加速していく。 いつものように、突然、仙蔵に「話がある」と呼びだされ、車を奴の家まで走らせたのが夕方。 ぶすり、とした表情をし、無言のまま車に乗り込んできた。 仕方なく、俺は延々と車を走らせたけれど、それでも仙蔵は話し出さなくて。 「帰るぞ」と断りを入れて、来た道をUターンしようとした瞬間、 「お前は、私を必要としてないだろう。なら、一緒にいなくてもいいのではないか」 そう言ったきり、仙蔵は横の窓から外を眺めて、俺と視線を合わせようとしなかった。 あまりに突然のその言葉に、俺は言い繕うことも反論することもできず。 車のハンドルを握ることしかできなかった。 (つーか、俺がお前を必要としてないなんてことねぇのに、何でこんなことになる?) バタバタ、と音を立てながら目の前のガラスに貼りつく雪片の形が、少しずつはっきりとしていく。 それでも、車体の熱に浮かされたそれは、ゆっくりと溶かされ、水へと還ってゆく。 ワイパーが押し退ける度に、水滴が斜めに疾った。 (あと、30分といったところか) 内外の気温差のせいか曇りだしたガラスは見づらく、少し先をゆく車のテールランプを目印にハンドルを切る。 真夜中に近い道路は、かなり空いていて、ラッシュ時のような光蛇の列など一つとしてない。 見覚えのある街並みに、仙蔵の家までの時間を逆算する。 ----------それが、俺達に残された、別れまでの猶予。 「コーヒーでも飲むか?」 突然、ファミレスの看板が現れた。 深く落ちた闇に呑まれることなく、煌々と光るそれ。 一分でも一秒でも時間を稼ごうと、藁でもすがるような気持ちで尋ねた。 「いや、いい」 断絶された言葉に、すぐにでも曲がれるように、とウィンカーに掛けていた指先を外す。 眩い看板が横を通り過ぎたと思う間もなく、後方に流されていって。 すぐにバックミラーからも消えた。 沈黙だけが、再び、車内に籠る。 蛍光グリーンの盤面に浮かぶデジタルの数字が変化した。 機械的なそれは時の流れを感じさせない。 けれど、確実にその時は近づいていた。 -----------そこが、旅路の終点。そして、分岐点。 (俺達の道は隣り合うことがあっても、二度と重ならない) 二度と、という言葉の重さに、気がつけば俺はアクセルを緩めてスピードを落としていた。 「おい、どこに行く」 ウィンカーの音に気がついたのだろう、ずっとそっぽを向いていた仙蔵が、慌てたように俺を見た。 返事をする代わりに、不夜城のように鮮やかな光にまみれたショッピングモールへと車を滑らせる。 その一角の柔らかい光に照らされた深い緑色の看板に、仙蔵が不機嫌そうに「店には入らないと、さっき言っただろうが」と呟く。 「車の中で飲むくらい、いいだろ」 駐車場のラインに車が押し込まれたのを見て、仙蔵は諦めたように静かに溜息をついた。 後部座席に置いておいたコートを手にしようとして、シートベルトを外す。 右手を伸ばそうと体を反転させようとして、仙蔵と目が合った。 「買って来てやるから。何がいいんだ?」 「…トールソイキャラメルマキアート」 「は?」 「トールソイキャラメルマキアート」 「……覚えれるか、そんなの。一緒に来い」 俺のコートの上に乗っていた仙蔵のコートを掴み、仙蔵に投げつけるように渡す。 しばらく、じっと、そのコートを見つめていた仙蔵は、小さく笑って。 それから、俺の方を見た。 「本当に、お前は私がいないと駄目だな」 「そんなの、昔から分かってるだろうが。だから、勝手に必要にしてないとか決めつけるな」 「……あぁ。よく分かった」 (熱いコーヒーでも飲んでちゃんと伝えよう。俺にはお前が必要だ、と)
title by 慟哭 |