あめ




「あー、もういっか、これで。よしとしよう、うん」

ごちゃごちゃとした頭は、すっかりと熱が籠っていて、しばらく使い物にならなさそうだ。
とりあえず導き出した答えを帳面に記すと、ごろり、とその場に寝転がって。
「雷蔵、遅いな」と天井を見上げながら、呟いてみた。



とたん、とたん、と、少し急いだ、けれど決して焦ってない足音が、床に付けた背に伝わってきた。
ずっと幽かに部屋に流れ込んできた土の匂いが、はっきりと、濃くなった。
私の顔を覗き込む、私とそっくりな顔(いや、そっくりなのは私の方か)がそこにあった。



「三郎、お待たせ。ごめんね、遅くなった」
「いや。早く飯を食べに行こう」
「そうだね。お腹がすいた」

雷蔵の言葉に、私は、「よっと」と声を出しながら起き上って、机の上の燭台に近づく。
息に拭われた焔はその身を削らされ、一瞬のうちに、ぱたり、と消えた。
突如として現れた闇に、白い煙が一筋立ち昇る。
それを目の端で捉えてから、部屋の扉を閉めた。



「けど、雷蔵、本当に遅かったな」
「今日は雨だったからな。けっこう、人が多くて忙しくて」

眉を下げた雷蔵の向こう、廊下の先に広がっている世界は白く霞んでいた。
天から連なっている雨筋は、ほそぼそとしていて、目を凝らさなければ見えな程だった。
けれど、廊下の板は端の方は濡れにぬれていて、一日中降り続けていることを示していた。
雨が染みこんで黒ずんだ領域を踏まないように、足を運ぶ場所を選んで俯きかげんで歩く。



「大変だな。昨日も委員会で遅かったのに。
 今日なんて、当番じゃないだろ? 下級生に任せとけばよかったのに」
「うん。でも、雨が降ると、本も湿気を含んで状態が悪くなるからね」

貸し出せるか確かめるのは上級生の仕事だよ、と当然のように雷蔵は答えた。
その潔い表情に、雷蔵に、思わず見惚れる。
と、爪先に嫌な冷たさが広がった。



「冷たっ」
「あーあ。大丈夫、三郎?」
「本当、雨は嫌になるな」
「そう? 僕は嫌いじゃないけど」

ふわり、と包み込むような雷蔵の声音は、この雨みたいに優しい色をしていた。



「そういえば、三郎は何してたの? 宿題?」
「あぁ、けっこう手こずった」
「そっかー。あーあ、今夜も遅くなるのか」

少し疲れた溜息が、密やかな雨音を大きく揺らした。



「私のを写せばいい」
「ありがとう、でも、いいよ」
「そう言うと思った。雷蔵は、真面目だな」
「そんなことないさ。三郎だって、根は真面目だよ。
 三郎だって、自分で考えて、それが一つ一つ、自分の身になっていく瞬間が好きだろ?」

雷蔵の言葉に自分で導き出した答えが、かちりと『正解』にはめこまれた時の快感が、体に蘇ってきた。



「……じゃぁ、雷蔵、一緒に考えよう。それならいいだろ?」
「もう終わったんじゃないの?」
「いや。まだ納得がいかない所があるから、もう一度考え直してみる」
「やっぱり、三郎の方が真面目だよ」

まじまじと私を見る彼の視線が気恥かしくて、気がつけば、つい、雷蔵のことをからかってしまっていた。










(「じゃぁ、早く夕飯を食べないとな。メニューが一種類だといいけど」)