ちっちゃな天使が笑って告げる(「地獄にごあんなーい」)




障子の向こうに広がる、ほの白い明るさに起きぬけの頭が嫌な予感を感じ取る。
まだ、まどろむ布団の中にいたい気持ちを抑えつけ、早々と現実に還ろうと立ち上がる。
意を決して、外廊下に面する扉を勢いよく開け放つと、嫌な予感が的中していることを知った。

-------- 一面の、雪。



まだ明けぬ薄闇の中で、その白さが際立って見える。

(あぁ、今日の授業は潰れるなぁ)

残された授業時間数と、春休みまでの日数を頭の中で計算して、ため息が一つ。
淡く浮かび上がった白さは、眼前ですぐに消えた。
予定が頓挫した私を嘲笑うかのように。



「土井先生」

世界の白さに臆してると、まだ眠たそうな声が私の名を呼んだ。
寒そうに両手を脇の下に互い違いに差し込みながら立っていたのは、同僚の山田先生で。
凍てついた廊下に出ることすら億劫そうに、つま先立ちのまま、音を立てることなく私の方に近づいてきた。



「あ、おはようございます。山田先生」
「こりゃあ、見事に積もりましたねぇ。こんな時期に、珍しい」
「そうですね」

感嘆して雪景色を眺めている山田先生に向かって「そうですね」と呟く。
その声が、思ったよりも疲れたものになってしまった。
山田先生も、そのことに気がついたようで。



「どうしたんです?」
「いえ、これで授業が潰れるかと思うと…」
「土井先生は座学でしょうが」

雪が降った所で授業には支障ないだろう、と含みのある言葉に、思わず気まずさがこみ上げる。

目を輝かせて、初雪と私を交互に見遣った、は組の生徒たち。
けれど、その雪が降った頃は、ちょうど学期末で。
何がなんでも単元を終わらせねば、という時で。



「あいつらと約束したんです。次、雪が積もったら、一時間目は雪合戦って」

一年生の頃、初雪が降った日に授業を潰して雪合戦をしたのが、気がつけば恒例となっていた。
だから、雪遊びしている時間なんかない、と告げた私には、当然のことながら文句の嵐で。
それでも、”約束する”という私の言葉に、あいつらは渋々引き下がったのだった。

(けど、結局、雪のせいで集中できなくって、その後のテストが散々だったんだよな)



「約束は、守らないといけないですから…ね」
「そうですなぁ」

山田先生は髭をしごきながら、続けて、「しかし、まるで一年生のようですな」と苦笑いを浮かべた。



「本当ですよ。あいつら、何歳になっても変わらないというか、成長しないいうか。
 まったく、いくつになったら、私は安心することができるんでしょうね。本当に変わらない」
「まぁ、まぁ、そんなこと言って、土井先生。
 あいつらが変わってしまったら、それはそれで淋しいですよ」
「あいつらは一生、変わりませんって」
「…それは否定できないが」
「でしょ」
「じゃぁ、あいつらいなくなったら、淋しがりますよ」

飛躍した話題に、思わず、つまった。
胸を過った冷たさが、その答えを私に知らしめていたけれど。
それを、言葉にすることができなかった。したくなかったのかもしれない。



黎明の光に照らされた雪に眩みながら、大げさに溜息を吐き、話をすり替える。

「はぁ、これで時間数が足りなくなるのは確定ですよ。春休みがまた補習の嵐かと思うと」
「なんなら私の授業と入れ替えますか?」
「えぇっ! いいんですか?」
「なぁに、雪合戦と称して雪上での術についての演習をやりますから」
「それはありがたい。本当にいいんですか?」

もちろん、と頷いた山田先生の笑顔に、ふいに暗い陰が落ちた。



「けど、まぁ、今日、授業をしたからといって、春休みの補習がなくなるか、って言われると」
「…そうですね」

予想のできる未来に二人、何かに圧し掛かられたような、どんよりとした気分になる。
気を取り直すように、山田先生が、パンっと一回手を叩いた。
呆れたような視線を、寮長屋のある方向に向ける。



「それににしても、静かですな。あいつら、まだ、寝てるのか?」
「じきにうるさくなりますよ」

すると、まるで時機を合わしたかのように「雪だー」「雪合戦」「授業が潰れる」と弾んだ声が聞こえてきた。

「ほら」











(この賑やかな会話を聞くことができるのも、あと、数回、か)







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