よるのそこ
夜を統べる闇が、東の方から、うっすらと溶け出していって。 まるで海に潜っているかのように、あたりは蒼々とした静寂に沈みこんでいた。 まだ墨染の衣を被った西には、硝子を細々と砕いたような星たちが、弱々しく煌めいていた。 夜に蠢く獣ですら眠りこけているような、そんな静かな明けの空。 そのせいか、いつもは気にならない土を蹴りあげる音が、やけに響く。 けれど、その足音を忍ばせる気力すら、僕には残っていなかった。 ひたすらに走り続けていた体は泥のように重たい。 足を止めたら、そのまま疲れに引きずり込まれて、一生立ち上がれなくなりそうだ。 ただただ、手を振り、腿を上げ、大地を踏みしめ、体を前に押し出す、その行為を繰り返す。 (あと、どれくらいだろうか) 高学年ともなれば、お使い一つで、かなり遠出することもある。 その大変さを厭う者もいたけれど、多くの生徒は喜んで出かけていた。 普段、塀に囲まれた世界に属している僕たちにとって、道中に広がる世界は眩かったから。 だから、僕も頼まれて、そのまま即諾していた。 どんな景色があるのだろう、どんな人と出会うのだろう、どんな…。 そこにいる自分と、それから同じ顔をした三郎と、想像するだけでなんだか楽しい気分になれた。 けれど、今回のお使いは一人、と水を差されて、結局、三郎は留守番となった。 (三郎はちゃんとやっているだろうか) 学園に残してきた彼のことが、ずっと、頭から離れない。 まるで棄てられてしまうかのように、盛大に駄々をこねた三郎に、「すぐに帰ってくる」と約束して。 何かあった時のために、と3日はゆうに逗留できる路銀を受け取ったけれど、僕は宿に泊まることをせず、夜通し走り続けていた。 「あ」 夜の底で太陽が産まれた。 東の裾野が、かっ、と赤く燃え立った。 やがて満ちてきた光に闇が呑み込まれた。 (うわぁ、綺麗だなぁ。三郎に見せたいなぁ) 光と色があやなす空の色合いは、一時も留まることを知らず、どんどんと変わっていく。 「雷蔵」 (あぁ、幻聴だろうか。三郎の声が) 「雷蔵っ」 今度ははっきりとした声が、僕の思考を遮った。 ゆっくりと、振り向くと、そこには僕の顔をした僕じゃない”君”がいた。 彼の髪に生まれたての陽の光が淡く灯り、黄金色にゆらゆらと揺れていた。 「三、郎? な、んで」 「今日ぐらいに帰ってくるかな、と思って迎えにきた」 「迎えに来たって、こんなところまで?」 「あぁ」 三郎の笑顔に体中の疲れが解けていき、自然と僕にみ笑みが浮かんだ。 「ただいま」 「おかえり」 (君にあうために駆けた夜が、ゆっくりと明けていく)
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