理
布団の中に潜り込んでいても感じる、刺すような寒さに、気すら縮こまって。 もう一寝入りしたい気分を、「起きろ」と自分自身に声をかけて、布団ごと跳ね飛ばす。 肌を外気に晒す時間を少しでも短くしようと、さっと、昨日のうちに用意した制服に身を包む。 (寒い。けど、朝の鍛練をサボると癖になるからな) 奮起した心も、戸を引いた瞬間、飛び込んできた景色に削がれてしまった。 (霜、か) 一面にびっしりと覆っている霜は、鋭利な刃物のように鈍く輝いて見える。 寒さの中にに剥き出しになっている手先に痛みを覚えながら、庭に降り立つと、 そこにあった霜柱が、ざくり、と砕けた。 歩くたびに足の裏に響く嫌な感覚に、少しでも乾いた茶色の場所を探して着地する。 まだ動き始めて間もない体は温まっていなくて、軋むような感じに、まるで自分のじゃないみたいで。 手足を軽く回して、一つ一つ、先端まで意識を向け、その身体感覚を確かめる。 首を回そうとして、視線が空に自然と向いた。 ぴかり、と磨きこまれた鏡のような、硬い硬い青空。 「兵助。おはよう」 そのまま空に吸い込まれてしまいそうな静けさに、ふいに、声が落ちた。 振り返ると、寒さのせいか鼻の頭を赤くしたハチが立っていた。 その両手には、重そうな木の桶がぶら下がっている。 「ハチか。おはよう」 「今から鍛練か?」 「そのつもりだったんだけど、」 「あー、こんだけ寒いと、やる気をなくすよな」 からり、と笑うと、ハチは手持ちの桶を、軽く上に掲げた。 「なら、ちょっと手伝ってくれよ」 俺の返事を待たず、桶を一つ置いて先に歩きだしたハチを、慌てて追いかける。 ハチが向かった先は、学園の中でも随分と外れに位置する所で。 普段はあまり立ち入ることのないその場所は、裸になった木立が広がっていた。 ようやく昇って来た太陽に、うっすらと立ち込めた靄が、淡く金色に染まって、光の粒子がきらきらと輝く。 「ずいぶん、朝、早いんだな」 「俺たちは委員会の仕事があるからな」 「あー餌やりか。大変だな」 「まぁ、でも、当然のことだからな」 学園で所有している膨大な数の生き物を世話しているのが、ハチが所属している生物委員で。 他の委員会と比べると、あまり行事などで活動をしている姿は見られず、 俺の火薬委員会と同様に地味に見られがちだけれど、 天候や体調に関係なく日々の活動を怠れない、という点ではすごく大変な委員だと思う。 「よし、この辺だろ」 「え?」 いつの間にか、随分と、開けた場所に来ていた。 枝葉が落ちた梢の先に、ぽっかりと抜けるように広がる寒空。 足元には、まだ溶けぬ霜の棘を、一糸乱れずびっしりと纏った草たち。 (この場所で、何をするんだ?) 「兵助、その桶の中身、その辺にばらまいてくれ」 「これを?」 「あぁ」 そう言うと、ハチは桶を軽々と持ち上げ、円を描くように桶を振った。 すると、中から、野菜くずなどが、どばっと足元の周りに落ちた。 俺もそれに倣って、桶を腰の高さ辺りまで持ち上げる。 (結構、重いな) どっしりと詰まったそれをばらまこうにも、上手に円に振ることができなくて。 たくさん零れて山のようになっている所と、まったく何もないところと。 むらができてしまっていたのを見て、ハチが笑みを噛みころす。 「何か、すごい差ができたな」 「仕方ないだろ。手伝わせといて、文句言うなよ」 「あー、悪ぃ」 ハチの朗らかな笑い声が、空気を柔らかく揺らす。 と、さっきまで、空虚だった木の枝には、小鳥たちが集まってきて。 兎や鼠などの小さな動物たちが、木立の蔭から顔を出した。 その、あまりの距離の近さに、びっくりしている俺を横目に、ハチは慣れたように唇を震わせた。 その口笛に応えるように小さな鳥たちが囀り声をあげ、地面に降り立つと、野菜くずをついばみ始めた。 「こいつらも、生物委員会で飼っているのか?」 「いや、野生だよ。まぁ、住み着いているけどな」 「毎日あげてるのか?」 「冬場は時々な」 ハチから零れた言葉が、白い息と共にたなびく。 (「自然の理に反するかもしれないけれど」)
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