バレンタインという名の   ありがとうの日



「今年は学校が休みだから貰えないのね」と根掘り葉掘り聞いてくる母ちゃんの言葉が鬱陶しくて。
「安心しなさい。私も若い頃はそうだった」と父ちゃんの気遣うような視線が煩わしくて。
居心地の悪さに思わず家を飛び出したけれど、どこにいけばいいのやら、とりあえずウロウロとして、
気がつけば、通い慣れた商店街に来ていた。

(父ちゃんには悪いけど、一応、昨日チョコは貰ったんだよね。義理だけどさ)






くすん、と鳴る鼻に、今年も花粉が飛びだしたかな、と暗澹たる思いに落ちる。
それでも、うっすらと漂う夕餉の匂いを感じ、「もう帰ろうかな」とひとり呟く。
と、商店街に連なる店の、老舗の洋菓子店の店先で、知った横顔を見つけた。



「あれ、きり丸。こんな所で何やってんの?」
「おぉ、乱太郎。みりゃ分かるだろ、バイトだよ」

深紅のエプロンには洒落た筆記体の文字が刺しゅうされていた。

(なんて書いてあるか分からないけど、おそらく店の名前だろうな)



「バイト? 外で?」
「そう。バレンタインの特設販売」
「へー。けど、何もないみたいだけど?」

きり丸の前にあるワゴンには、バレンタインらしく、赤やピンクを基調としたカゴが置かれていて。
けれども、その中は何もなく、手書きのポップが貼られているだけで。
がらん、と淋しい印象を覚える。



「あぁ、さっき売り切れたから、撤退準備中」
「ふーん。すごいねー」
「おぉ。今日一日でいくら売れたんだろうなぁ」

うらやましいなぁ、と、そのままお金に思考を奪われそうになる彼を質問で引きとめる。



「でも、何できりちゃんが店頭で販売?」
「ん?」
「いつもさお姉さんが売ってるイメージがあるんだけど、」
「あぁー何か、今年は逆チョコっていってさ、
 男から女にチョコをあげるのが、流行りらしくてよ。
 だから、売り場も男性店員でアピールしたらってわけさ」

きり丸が見せてくれたポップにも、“逆チョコ”というカラフルな文字が躍っていた。
テレビのCMで初めて聞いたその言葉は、なんだか面映ゆいような、こそばいような、妙な感じを覚えた。
その感覚は自分だけではなかったらしく、
「逆チョコだってよ」「あげるのか?」「まさか」なんて会話もクラスでは囁かれた。

(逆チョコなんて、ノリであげるような性格でもないしなぁ)



「逆チョコを買った人っているの?」
「結構、買いに来てたぜ」
「ふーん、どんな人が買いに来るの?」
「会社帰りのサラリーマンが多かったかも。日頃の感謝を込めて妻にって」
「そっか。にしても、お菓子会社も色々考えるね」
「まぁ、俺からすれば、売れれば何だっていいけどな」

きり丸らしい言葉に思わず笑いが零れた。
なかなか収まらない私に、「なんだよ」ときり丸は口を尖らせた。
お腹を捩じらせて笑っている私を呆れたように見ていた彼は、「あ、そうだ」と何か思いだしたようで。



「ちょっと待ってて」

そう言うと洋菓子店の中へと戻っていった。
少しずつ落ちてくる夕闇に、突然、一斉に街灯が灯った。
しばらくして、戻ってきた彼の手には、丁寧にリボンが掛けられた箱があった。


「どうしたの?」
「これ、乱太郎にやるよ」
「…きりちゃんから、あげるって、怖いんだけど。
 何か、バイトが重なったから手伝ってとか、明日、宿題写させて、とか?」

あまりの衝撃に、思ったことがそのまま口を吐いた。
私の反応に慌てたように「違うって」と手を振りながら言葉を続ける。



「店長が一個やるって言うからさぁ。
 とりあえず一番高いの貰ったんだけど。
 けど、家に帰っても、大量にチョコがありそうだから」
「そんなにもらったの?」
「俺じゃなくて、先生」
「あー、先生モテるもんね」
「今年は休みだから、まだましだろうけど」

去年なんかは学校のある日だったせいか、先生は山のようにチョコを持って帰ってきて。
「捨てるなんてありえない」というきり丸の元、三日三晩、チョコレートを食べ続けたとか、なんとか。
2月の終わりに先生の部屋に遊びに行った時でも、まだ、甘ったるい匂いが立ち込めていて。

(しんべヱが、よだれ垂らしてたもんなぁ)


「だからさ、俺も持って帰っても困るんだよね」
「そっか」










(「「だから、乱太郎に。さっきのサラリーマンの話じゃないけど、日頃の感謝をこめて」)








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