gift



かたん、と銀色のポストは温かな音を立てた。
手から消えた重みに、突き刺すような北颪が痛い。
まだ家主は夢の中だろうか、静けさに包まれたそこに背を向ける。



「次は、」

頭に叩き込んだ道順を心の中で唱和し、自転車のスタンドを外してペダルに足を掛けた。
油が切れているのか、タイヤが一周するたびに鈍く軋む音がする。
きぃぃ、きぃぃ、と周期的な音に酔いそうだ。



「3番地の佐藤さん佐藤さん、っとここか」
「あっ!」
「え、」

ポストに束にした賀状を突っ込もうとした瞬間、不意に甲高い声が足もとからして、心臓が跳ねあがった。
びっくりして落としてしまいそうになったのを、地面にふれる寸前、何とかキャッチして。
三段抜かしで階段を駆け上がったような動悸が胸を打つ。

(あっ、ぶねぇ)



「それ、ねんがじょー?」
「…あぁ」

ようやく平常に戻ってきた心音に、視線をなんとか声がした方に向ける。
ずっと待っていたのだろうか、寒さに頬を赤くした小さな男の子。
期待に満ちた眼差しが俺の手元に集中していて。



「ん」
「ありがとう!」
「…どいたしまして」

(年賀状は贈り物だと思う、か)



腕に大事そうに抱えて戻っていくその姿に、そんなキャッチフレーズが過る。










「戻りました〜」
「悪いね、きり丸くん。あんな量の配達、頼んじゃって」
「いいっすよ。あれくらい楽勝っす」
「頼もしいね。じゃあ、明日もバイトよろしく」
「お疲れ様っした」

取りまとめの郵便局員に声をかけ裏口から出ると、太陽はすっかりと昇り切っていた。
それは別に、いつもの太陽と違うわけではなくて。
あくびを一つ、噛み殺す。

(結局、気持ちの問題だよ、なぁ、)

夜更かししていた人たちが行動を開始し出したのだろう、さっきより人通りの増えた道を急ぐ。



角を曲がると、くすんだ小さな窓が並んだ見慣れたアパート。
ずっと転々としていた自分がようやく落ち着けれるようなった場所。
階段を上ろうとして、いつもの癖で、つい、階段脇の集合ポストに手を突っ込んだ。


---------------触れる冷たさに、何も入ってないのを知る。



(いらないっていったの、俺だし、)










「きり丸は、土井先生の住所でいいんだよね?」

期末テストが終わった解放感が教室中に溢れていて、あちらこちらで会話に花が咲いている。
前に座っていた乱太郎が振り向き、唐突にそんなことを言った。
意味が分からず、「は?」と聞き返す。



「きり丸に年賀状を出そうと思うんだけど、先生の住所でいいんでしょ」

ねんがじょう。
年賀状。
その音が文字となり理解するまでに、少しかかった。

(貰ったことも、書いたことねぇもんなぁ)

よく分からないけれど、何となく面倒そうな響きに、



「……あー俺、いいよ」

そう言った俺の言葉に、「え?」と乱太郎の動きが止まるのが分かった。



「だから、年賀状いいって」
「何で?」
「だってよ、もらったら返さなきゃ、だろ?」
「まぁ、常識的にね」
「だろ。そうすっと、一枚50円ってことは、かける10人で500円。もったいねぇよ」
「さすが、どけちのきりちゃん」
「それに、冬休みは郵便局でもバイトするから、俺としては、ちょっとでも集配物を減らしたいわけ」
「なるほど、」
「ってな訳で、ご協力よろしくお願いします」










他の奴にも言っといて、と、そう言ったのは自分なのに。
指先が触れた冷たさに、胸に穴があいたみたいだ。
ぽっかり、と。





「お、おかえり。寒かっただろ。今、雑煮作ってるから」

ドアを開けると、温かな出汁の匂いが漂ってきた。
玄関と繋がっている台所に立っていた先生が俺の方を振り向く。
靴を脱いで、そのまま奥の居住スペースに向かおうとして、ふ、とまな板が視界に入った。



「先生、大根の葉っぱ、使ってくださいよ」
「分かってるって。あ、ちゃんと手、洗いなさい」

そう咎められ、「へーい」としぶしぶ返事をして水道の蛇口に手を伸ばす。
つぅぅ、と細く出した水に手を入れざっと擦り、すぐに水を止める。
すぐに止めると、顔をしかめた先生と目が合った。



「きり丸、ちゃんと」
「あ、そうだ。先生、年賀状、下から持ってきました?」
「あぁ。そこに」

先生の言葉に視線をやると、小さな茶卓には、それなりの厚さに積まれた先生に宛てられた葉書。
教え子や同僚、昔の友達、と年末に焦って机に向かっていたのを思い出す。
一年に一回だから、と一枚一枚、手書きで住所を書いていたっけ。



「ならよかった。以前、バイトが面倒になって捨てたって話があって、」
「年賀状をか!? それは酷いな。送り主の気持ちがこもってるのを捨てるなんて」
「気持ち?」
「あぁ。『元気にしてるかな』とか『来年もよい一年になるように』って、気持ちがこもってるだろ」

温かな笑みを先生は浮かべていて。
あの少年の笑顔が、「ありがとう!」の言葉がそこに重なる。
年賀状は贈り物だと思う、だなんて単なるキャッチフレーズだと思ってたけど。

----------- いらない、なんて言わなきゃよかった。










「あ、そうだ、きり丸」
「なんすか?」
「きり丸にも年賀状、来てたぞ」
「え?」

金箔の押しが眩しいばかりに使われているのはしんべヱから。
牛の模様が上手に使われた洒落たデザインの兵太夫。
渋く「丑」という字だけのは虎若。
丑年なのにナメクジの絵柄は、喜三太。
かろうじて「あけまして」と判読できるのは団蔵。
達筆過ぎる墨で読めないのは庄左ヱ門。
三治郎の裏面の迷路は自分で考えたんだろうか。
「風邪を引くなよ」とか細々としたコメントであふれているのは伊助から。
逆に、一言「よろしく」とシンプルなのは金吾。
一家写真に笑顔で収まっている乱太郎。

-------あぁ、



「あいつらから伝言」
「え?」
「今朝な、きり丸がバイトに行った後で、あいつら直接、届けに来たんだよ」
「なんて言ってたんすか」

声が濡れそうになるのを抑えて聞くと、先生は柔らかな笑みを浮かべた。










(「チラシの裏でいいから、始業式の日でいいから、必ず返すようにって」)