笑って笑って!



「あのさ、」

隣のクラスは授業が早く終わったのだろうか、顔を出すと、すでに生徒は三々五々で。
柔らかな日差しの集まる窓際の机には、女子達の華やかな色合いのお弁当を入れた袋が並んでいる。
どのクラスでも権力を持つのは女子というのは同じなようで、
廊下に面した入口で机を動かしていた男子生徒に声を掛けると、彼は得ていたように大声で叫んだ。



「くくちー呼んでるぞ」
「おーありがとな。ハチ、ちょっと待ってろ」

最後まで丁寧にノートをまとめていたのか、机の上に散らばった筆記用具を片付けているところで。
テスト前に借りようと、そんな勘定をし、「おぉ、いつまでも待ってる」なんて急かさないように声を掛ける。
と、「ノートは貸さないぞ」と言われ、(ヤベ、読まれてる)なんて思い張り上げた「そんなこと考えてねぇって」って言葉は、我ながら焦って聞こえた。



「三郎と雷蔵は?」

紺色の弁当包みを右手でしっかりと抱えながら兵助が教室から出てきた。
女子どもに追いやられて寒い廊下側で食べるよりはマシだ、と屋上に向かう。

(ちなみに、屋上の鍵は三郎がくすねてきたものだった。どうやってかは、怖くて聞かなかったけど)



「雷蔵が自販で飲み物を買うって。三郎はそれに付いていった」
「昨日見たら、ブラックいちごミルクなんてのが入ってたぞ」

兵助の呟きに、思わずひきつった笑いを洩らす。
うちの学校の自販機は、時々、妙なものが混じっていて。
(黒糖ジュースとか、寒天ゼリー入りポタージュとか、誰が飲むんだよって突っ込みたくなる)
なぜか知らないけれど、さんざん迷って、雷蔵はそういうのを買うことがあった。

(や、買うのはいいんだ。けど、飲めなかったのを、三郎が俺に押し付けてくるのが嫌なんだ)



「…三郎も雷蔵を止めろよなぁ」
「あれは面白がってるだろ。ま、強く生きろ」

ポン、と兵助に叩かれた肩を落としながら、廊下を歩き、つきあたりの階段を上る。
ワックスがはげかけてたリノリウムは、くすんだ灰色をしていて。
隅の方には埃がずいぶんと大きな塊となって、溜まっていた。











「あ、来た来た」
「遅い、ハチ」

扉を開けると二人の声に出迎えられた。
屋上はこの季節にしてはずいぶん穏やかそうな白く霞んだ青空が広がっていた。
一歩踏み出すと、太陽の光が当たったコンクリートから返ってくる温もりが心地よい。



「何で俺だけ。兵助もだろ」
「何となく」

三郎の隣に座りながら、真正面の雷蔵の傍に置かれていた缶に目をやる。
弁当袋の影で見えにくいけれど、オレンジ色をしていることは確かなようで。
少なくとも、兵助が言っていたブラックいちごミルクではないだろうと、胸を撫でる。


「セーフ」

同じことを考えていたのだろう、隣から兵助の声がした。
その言葉に、お互いの顔を見やって。
笑いが噴出する。



「「ぶはっ、ひゃ、はははっつ」」
「どうしたの?」

笑い転げる俺たちに、怪訝そうな視線を雷蔵が向けているのが分かった。
けれど笑いは止まらず、ぜぇぜぇとせり上がる息を荒く吐いて。
痙攣する腹筋をなんとか抑えながら、返事をする。



「ぶはっ、ひゃははっ、ひっ、な、何で…っも、ない」

出てきた涙を拭いながら答えると、雷蔵はますます困惑した表情を浮かべた。



「変な二人」
「それは昔だろ」

茶々を入れてきた三郎は、ちゃっかり弁当の包みを開けていて。
煮しめだろうか、醤油の香ばしい匂いが漂ってくる。
と、お腹の虫が空腹を催促した。



「ひぃぃ、はー、あぁ、兵助、飯食おうぜ」
「おぉ、そうだな」

大きく息を吸い込み、呼吸を整え、しっかりと結ばれた深緑色の布を外しにかかる。



「げっ、」

弁当の蓋を開け、俺はその手を止めた。
そして、そのまま閉じる。
中に入っていた物体が頭に浮かび、必死にそれを消し去る。

(うん、あれだ。目の錯覚。そうそう。目の錯覚でありますように。うん。)



じっくりと確かめようと、脳内の危険信号を無視して、ぐ、っと指に力を込め、蓋を開ける。



-------------ピンクのハートって何だよ。



無駄食らいだ、と言いつつ買ってもらった普通よりも一回りも大きな弁当箱。
その半分近くを占める米の上には、紅で色付けられたでんぶがもっさりと乗せられていた。
さっきまであんなにも騒ぎ立てていた食欲が一気に潜まって、ガクンとテンションが落ちるのが分かる。

(そういや、なんか朝から姉ちゃんが喜々としてたっけ)

今日は会社は休みを取った、と化粧気の全くない顔をした姉と合わせたのは久しぶりのことで。
妙に楽しそうな顔をして「おはよう」なんて言うもんだから、何か裏があるのか、と身構えていたけれど。
朝ごはんを食べて身支度して、家を出てくるまで何もなかったから、
すっかりとそのことは頭の隅に追いやられて忘れていた。



「どうしたんだ、ハチ?」

ひょい、と覗き込むように三郎が声を掛けてきて、慌てて蓋を閉める。



「や、えーっと」
「もしかして、中身入ってなかったとか?」

箸に卵焼きを持ったまま、心配そうに雷蔵が俺を見ていた。



「…や…うん、まぁ、そんなところ」
「マジで?」
「…あ、あぁ。…購買行ってくるから、先、食ってて」
「けどさ、今から、購買行っても売り切れなんじゃない?」

立ち上がり歩きかけた俺に、冷静な兵助の声が追い打ちを掛ける。
振り返ると、左腕にきちんと留められた時計を確認していた。
ほら、と掲げられた時刻に、ため息を一つ。



「あー無理かもね。ならさ、僕のおかずあげるよ」

はい、と彩りよく収められていた弁当箱から、きれいな箸さばきで雷蔵は唐揚げを掴んだ。
それを見ていた三郎が、「しゃーねーなぁ」と溜息まじりに呟き、弁当を物色し出した。
「俺のも」と涙目になりながら、アルミカップの麻婆豆腐を差し出そうとして。

--------------あぁ、



「悪ぃ。ホントは弁当、ちゃんと入ってるんだ」










(あぁ、畜生。笑われてやるよ)








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