狼の皮を被った羊



寝転んだ地面がゆっくりと体温を蝕んでいくのが、分かる。
見上げた空では細い筋状だった雲がバラバラになり、風に流されていく。
このままじゃ風邪を引くと分かりつつも、体を起こすのすら億劫で、目を閉じた。



「きり丸ぅ」

聞き慣れた、ふんにゃりとした声が、上から降りかかってきて。
目を開けると、その声の持ち主とは似ても似つかない長い体躯が視界に入った。
一瞬、本人かと期待した自分に舌打ちし、苛立ちの反動に変えて、勢いよく体を起こす。

(こんなことするの、一人しかいない)



「なんすか、鉢屋先輩」
「あれ? バレた?」

必要以上に声を低くして声を出し、近づかないでくれ、と言外に匂わす。
けれど、先輩は全く意に介することなく、俺の傍に腰を下ろして。
さっ、と変装を解くと、いつもの雷蔵先輩の顔に戻った。

(変装の下に変装って、どうなってるんだろう)



「そりゃ、バレますって。その体つきじゃ。それに、」

思わず出てしまった一言に、しまった、と内心呟く。
誤魔化す言葉を言うよりも先に、「それに?」と鉢屋先輩に促されて。
その笑顔に言い訳はねじ伏せられ、けれど、理由を自分から言うのも癪な気がして、口ごもる。



「…しんべヱとは喧嘩中だから自分の所に来るはずないって?」
「知ってて聞くなんて、趣味悪いですよ。雷蔵先輩に聞いたんすか?」
「…まぁ、ね」

些細なことでしんべヱと喧嘩になったのは、一昨日のことだった。
何となく言い合っていたのが段々と引っ込みがつかなくなって。
気がつけば、酷い言葉を投げつけていた。

昨日も今日も一言もしんべヱは口を聞いてくれなくて。
乱太郎は俺に「そのうち元通りになるよ」って言ってくれたけど。
けど、教室や長屋にいたくなくて、昨日は図書室で時間をつぶしていた。






「しんべヱに謝った?」
「…謝っても許してもらえれないっすよ」

(しんべヱが、あんな表情するなんて)

泣くのでもなく怒るのでもなく--------酷く、傷ついた表情で。
「もういいよ」と背を向けられた瞬間、気が付いた。
一番言っちゃいけない言葉だった、って。



「きり丸は、悪いと思ってる?」
「…そりゃ」
「じゃぁ、簡単だ。謝ればいいよ」
「だから、それができたら、こんな所にいませんって」
「そうだよね。うーん。じゃあ、こうしよう。
 私がきり丸の代わりにしんべヱに謝ってくるから、きり丸は私の代わりに雷蔵に謝ってよ」

予想外の提案に俺は鉢屋先輩の顔をまじまじと眺め、それから、「はぃ?」と不明瞭な疑問を上げた。



「実はね、私も雷蔵と喧嘩中なんだ。昨日から一言も口を聞いてくれなくてね」
「それはいつものことじゃ?」
「……まぁ、そうなんだけどね。でも、今回のは許してくれないかもしれない」
「許してもらえなくても、謝ることが大事なんじゃないっすか」

自分の口から飛び出た言葉が、耳に突き刺さり反響する。
そして、ゆっくりと、自分の中に染み渡っていく。
張りつめていた何かが、すとん、と消えた。

------------------------------- あぁ、そうだよな。



「そうだね。…よし、今から雷蔵に謝ってくることにしよう。きり丸はどうする?」
「俺も謝ってきます」

温かな掌が俺の頭を包み、そしてゆっくりと撫でられた。
顔をあげると、先輩は柔らかく微笑んだ。
頑張って、と。

(あ、もしかして)



「ありがとうこざいます、雷蔵先輩」
「え? 何を言ってるんだい? 私は鉢屋三郎だよ」
「いえ、雷蔵先輩っすよ。絶対」

断言した俺に、“雷蔵先輩”は、降参、とでもいうように両手を上げた。



「…どこで僕だって分かったの?」
「さっきです。俺が謝ってくるって言った時の、ほっとした表情とか。
 それに、昨日から口を聞いてもらえなかったなら、俺としんべヱの喧嘩を知らないかなぁ、って」
「なるほど。きり丸はいい観察眼を持ってるね」
「あと、」
「あと?」
「鉢屋先輩なら、変装を見破られた時、もっと悔しがるってか、拗ねますよね」











(「本当に鋭いね。でも、三郎にそれ言っちゃダメだよ。もっと拗ねるから」)










その数刻前。

「どうしたのさ、雷蔵」
「え?」
「難しい顔してる」
「うん。きり丸がしんべヱと喧嘩したらしいんだけど」
「あの二人が?」
「うん。なんか、まだ仲直りできてないみたいで。
 きり丸は休み時間の間、ずっと図書室にいたんだけど、相当落ち込んでいてさ」
「そうか」
「きり丸の方に原因があるみたいだから、謝ればいいんだけど、
 なんか意固地になっちゃってて。僕も、何か力になれないかなって」
「なるほど。あ、こんな作戦はどうだ?」

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